解説
徳川三百年の歴史の中一代で『女帝』の名を裕しいままにした、本名おふくこと春日局の謎につつまれた半生を描く。原作・脚本は「極道の妻たち 三代目姐」の高田宏治が執筆、監督は「瀬降り物語」の中島貞夫、撮影は「あ・うん」の木村大作がそれぞれ担当。
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「女帝 春日局」のストーリー
天下分け目の関ケ原合戦の数年後の一六〇四年、浪人・稲葉正成の妻ふくが夫の仕官を依頼すべく京都伏見城に徳川家康を訪ねた折のことだった。好色絶倫の家康に迫られたふくは、そのまま家康の子を身ごもってしまう。翌一六〇五年の夏、江戸城では徳川大納言秀忠の正室・お江与が懐妊した。このことで江戸城は乳母を募った。この機を捉え、ふくは五人の幼な子と若い女中つめを連れ江戸へ出奔し、乳母役として最後の二人まで残った。その時、ふくは出産直後で愛らしい男の赤ん坊を抱いていた。大年寄・大姥の局は、健康な母体を持つふくを推し、民部の局は、ふくが逆臣明智光秀の血を引く女ということで激しく反対した。お江与の陳痛が予定より早く始まり、予想以上の難産のあげく男児を出産したが、不運にも逆子のため窒息による死産だった。大姥は民部に事の一切を秘密にとの約束を取付け、死産をひた隠し、ふくの乳呑み児を替玉にしたのだった。ふくは大姥の要求を自分がこの子の乳母として採用される事を条件に受け入れた。その子は家康から徳川宗家の長男にのみ与えられる竹千代を命名された。そして翌年、秀忠はめでたく二代将軍の座につくことができた。ところがここに一大異変が起った。お江与がまた懐妊したのだ。大奥はざわめき、やがてお江与は無事男児を出産、その子は国松と名付けられた。以来、大奥の確執は日を追って激化し、今では完全に竹千代派と国松派の真っ二つに分れるまでに至った。そのうち竹千代は大御所の子という噂も出はじめ民部や大姥らは慌て出し、家康自身も心おだやかではいられなくなった。そしてそんな時、家康は心臓発作で倒れたのだった。しかし、噂は真実へと色濃くなってゆき、遂に家康は病いをおしてふくに真実を問う。ふくは竹千代は秀忠の子であると断言し、その竹千代が後の三代将軍・家光となったのだった。
「女帝 春日局」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「女帝 春日局」のスペック
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