ヒロシマナガサキ
ひろしまながさき White Light/Black Rain: The Destruction of Hiroshima and Nagasaki- 上映日
- 2007年7月28日
- 製作国
- アメリカ
- 制作年
- 2007
- 上映時間
- 86分
- レーティング
- 一般映画
- ジャンル
- 社会派
解説
「Days of Waiting(待ちわびる日々)」で1991年アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門でオスカーを受賞したスティーヴン・オカザキ監督が、<原爆>をテーマに、14人の被爆者の証言と、実際の被爆に関与した4人のアメリカ人の証言によって構成したドキュメンタリー。2013年7月20日より岩波ホールにてリバイバル上映。
ユーザーレビュー
「ヒロシマナガサキ」のストーリー
60年以上経過した今でも、原爆投下は人びとの議論や拒絶、俗説を引き起こしている。驚くことに、今や多くの人びとが、1945年8月6日と9日に何が起きて、あの2日間が世界を根底から変えてしまったという史実について、きちんと理解していない。この作品は、あの時そこに居合わせた人びとの視点を通して、原爆を包括的に、かつ分かりやすく描こうとする。実に市民の85%が犠牲になった(広島では14万人、長崎では7万人)なかで、原爆で生き残った人々は、その後、放射線による障害や病気の苦しみを抱えている(その後の犠牲者数は16万人)。下平作江は当時10歳で被爆し、最後の肉親を失った時に自殺を考えたことを述べる。「二つの勇気があることに気づきました。一つは死ぬ勇気、もう一つは生き続ける勇気です」他にも様々な生存者の証言が続く。居森清子は、爆心地から410メートルしか離れていない地点で被爆。清子は620名の生徒がいた小学校の唯一の生存者である。中沢啓治は、父と弟と姉を失った。そしてその後は、自分の体験をマンガやアニメーション(『はだしのゲン』)で人々に伝える人生を選択した。肥田舜太郎は当時まだ若い軍医だった。原爆投下直後に現地に入り、生存者の治療にあたった。60年後の今でも、被爆者の治療を続けている。永野悦子は、原爆が投下される数週間前に、自分の家族を長崎に来させたことを、未だに後悔している。被爆者の証言とともに、生存者が残した絵、原爆の記録フィルム、写真が映し出される。なかには、今までほとんど使われたことのない史料も含まれている。そのなかの幾つかは、身体的損傷を受けた被害者の記録フィルムと、そのフィルムで紹介された本人たちの60年後の姿だ。スティーヴン・オカザキは、500人以上の被爆者と会い、そのうちの100人以上を取材。そしてこの映画のため、14人の被爆者の証言を選んだ。
「ヒロシマナガサキ」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「ヒロシマナガサキ」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 社会派 |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 2007 |
公開年月日 | 2007年7月28日 |
上映時間 | 86分 |
製作会社 | Farallon Films |
配給 | シグロ=ザジフィルムズ |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | 16:9 |
カラー/サイズ | カラー |
音量 | ステレオ |
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