解説
アメリカの実験映画作家ケネス・アンガーが、自らの言葉で映画作家としての歩みを幼少期から振り返ったドキュメンタリー。ジャン・コクトーやフェリーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニらとの交流を交え、パリやロンドンを渡り歩いた自身の映画史を解き明かす。監督はカナダのフィルムメーカー、エリオ・ジェルミーニ。証言者として、「メカス×ゲリン 往復書簡」などの映画作家ジョナス・メカスも出演。
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「アンガー・ミー」のストーリー
2021年2月4日に94歳となったアメリカの実験映画作家ケネス・アンガー。本作は、カナダのフィルムメーカー、エリオ・ジェルミーが2006年に制作。ケネス・アンガーが幼少期から「スコピオ・ライジング」などの自作について語ったドキュメンタリーである。マヤ・デレンらと実験映画の配給会社“クリエイティブ・フィルム・アソシエーツ”を立ち上げた話。ジャン・コクトーに会いにパリへ行き、シネマテーク・フランセーズでアンリ・ラングロワに採用され、働き始めたこと。そのシネマテークで収蔵していたエイゼンシュテインの「メキシコ万歳」のフッテージを再編集し、コッポラが所有していた35ミリフィルムを借り、船のマストに掲げられる旗を手作業で赤色に染めたエピソード。ローマに住んでいたときに接したフェリーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニの話。1958年のブリュッセル万国博覧会で3台の16ミリ映写機を同期させ、「快楽殿の創造」を3面マルチスクリーンで上映したこと。「ルシファー・ライジング」では、ルシファー役にキャスティングし、後にマンソンファミリーの一員として投獄されたボビー・ボーソレイユと仲違いし、彼にフィルムを盗まれて落ち込み、映画監督をやめようと思った話。後に訪れたロンドンで監督引退の気が変わり、ローリング・ストーンズとBFIの協力を得て、「我が悪魔の兄弟の呪文」を製作したエピソード。そして、「スコピオ・ライジング」がLAのミッドナイトスクリーニングでプレミア上映された際、劇場に警察が現れ、映写技師と支配人が逮捕され、フィルムが押収されたこと。その後、カリフォルニア州の最高裁判所で、公共の場での上映に相応しいとの判決が出て、映画の社会的価値を取り戻し、表現の自由に関する先駆的な訴訟事件として、その後の映画の表現に影響を及ぼしたこと……。自身の口から語られるアンガーの映画史である。
「アンガー・ミー」の写真
「アンガー・ミー」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「アンガー・ミー」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 伝記 |
製作国 | カナダ |
製作年 | 2006 |
公開年月日 | 2021年4月9日 |
上映時間 | 71分 |
製作会社 | A Few Steps Production=Segnale Digitale |
配給 | アップリンク |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | カラー/シネスコ |
公式サイト | https://uplink.co.jp/anger/#angerme |