この作品のレビュー
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ミャーノフ大佐
アメリカ映画って、時々こんな変わった映画が紹介されるよね。ハル・ハートリーとかウェス・アンダーソンとか、あるいはジム・ジャームッシュやコーエン兄弟やデイヴィッド・リンチや。商業的に成功して大監督になる人もいれば、インディーズで終わっていく人もいる。「フライド・グリーン・トマト」も一歩間違えばこの類いの映画かもしれない。
魅力的な部分も多々あるのだが、今一つ映画に1本筋が見えない。面白みを出したいなら最後までその雰囲気で持って行ってほしいし、両親の呪縛からの解放を描きたいなら、そちらに振り切った方が良い。ちょっとおかしみのある映画にしたいのか、一人の女性の解放を描きたいのか。両方というのかもしれないが、どうもこの映画ではその2本の筋が上手く融和していないんだなあ。やっぱりちゃんと成功した監督になっている人達はこの辺が上手く処理できているよね。ウェス・アンダーソンにしてもジム・ジャームッシュにしてもコーエン兄弟にしてもだ。
例えば主人公の家族が大家から隠れるために、両親は屈んで低い塀を通り過ぎているのに、娘はのけぞりながら通り抜ける。面白いのだが、何の意味があるのか。映画全体としてどういう意味があるのか。また、借りている家が、壁と天井の隙間から泡がたれ落ちてくるのだが、それが話全体とどう繋がってくるのか、意味不明だ。確かに面白いけど、だけどその意味は?このシュール路線で全編通すんだったら良いんだけど、どうもそこを描きたかった様ではないし。
途中、飛行機の中で知り合うプエルトリコ女性と絡んで話が進んで行くんだけど、主人公の心の変化が今ひとつ判らないから、結局、最後は両親の元へ行くんだろうなあ、と観ていたら、そうでは無かった。だったら徐々に変わる心の変化を描いてほしかった。難しいとは思うのだが。
映画の原題が「Kajillionaire」って意味がわからない。日本語のタイトルも意味がわからない。どっちも意味がわからないから良いか。
製作にブラッド・ピットの名前があった。彼もインディーズに対して理解があるのだろう。こういう人達の中から将来の大監督も出てくるんだろうな。
「さよなら、私のロンリー」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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