早乙女カナコの場合はの映画専門家レビュー一覧

早乙女カナコの場合は

柚木麻子の小説『早稲女、女、男』を「さくら」の矢崎仁司が映画化。演劇サークルで脚本家を目指す長津田と大学の入学式で出会い、付き合うことになったカナコ。二人の10年にわたる恋愛模様を中心に、彼女たちと周囲の人々が自分を見つめ直していく姿を描く。出演は「熱のあとに」の橋本愛、「スクロール」の中川大志。
  • 評論家

    上野昻志

    まず、少女マンガもかくやという出だしに、先行きが心配になる。それも、演じている男女が、大学生というには、いささか薹が立っているかに見える(失礼!)からだ。もっとも、その点は、彼女や彼が、この時から先、6年後までを生きるという物語の要請故だろう。その時間の中で、カナコを中心とする女性たちが、男たちの単純さとは裏腹に、恋愛を真剣に考えていくさまは悪くない。ただ、彼らの世界が、それだけで閉じられているかに見えるのは、現代日本を反映しているためか?

  • リモートワーカー型物書き

    キシオカタカシ

    “東京私大の擬人化”的な若者の多視点から描かれた小説。それに対し、そんなステレオタイプを意識的に排除して直球な恋愛10年史に仕立て直した映画。“悪しき固定観念の助長を避ける”という切り口には頷けるのだが、本作の場合は登場人物の自意識こじらせの大部分もまた切り捨てられることに。時には過剰な戯画こそが真髄を突くこともあるのかもしれない。映画で軸となるユスターシュと原作における「カリ城」のトレードオフなら後者にリアルを感じる個人的趣味の問題もあるが……。

  • 翻訳者、映画批評

    篠儀直子

    紋切り型が(たぶん意図的なのだろうが)連続する前半は、この演劇サークル全然公演を打ってる様子がないけど大丈夫なのかとか、どうでもいいことばかり考えてしまったが、山田杏奈演じる学生が虚飾をかなぐり捨てたところから、シスターフッドが前面化して急に面白くなる。最後に突然言語化される、男社会での男の生きづらさの問題は、もっと早い段階から多角的に掘り下げてほしかったと思うけど、音楽の使用に対して極端に禁欲的であることも、顔のクロースアップすべてに存在感があるのも好ましい。

  • 評論家

    上野昻志

    まず、少女マンガもかくやという出だしに、先行きが心配になる。それも、演じている男女が、大学生というには、いささか薹が立っているかに見える(失礼!)からだ。もっとも、その点は、彼女や彼が、この時から先、6年後までを生きるという物語の要請故だろう。その時間の中で、カナコを中心とする女性たちが、男たちの単純さとは裏腹に、恋愛を真剣に考えていくさまは悪くない。ただ、彼らの世界が、それだけで閉じられているかに見えるのは、現代日本を反映しているためか?

  • リモートワーカー型物書き

    キシオカタカシ

    “東京私大の擬人化”的な若者の多視点から描かれた小説。それに対し、そんなステレオタイプを意識的に排除して直球な恋愛10年史に仕立て直した映画。“悪しき固定観念の助長を避ける”という切り口には頷けるのだが、本作の場合は登場人物の自意識こじらせの大部分もまた切り捨てられることに。時には過剰な戯画こそが真髄を突くこともあるのかもしれない。映画で軸となるユスターシュと原作における「カリ城」のトレードオフなら後者にリアルを感じる個人的趣味の問題もあるが……。

  • 翻訳者、映画批評

    篠儀直子

    紋切り型が(たぶん意図的なのだろうが)連続する前半は、この演劇サークル全然公演を打ってる様子がないけど大丈夫なのかとか、どうでもいいことばかり考えてしまったが、山田杏奈演じる学生が虚飾をかなぐり捨てたところから、シスターフッドが前面化して急に面白くなる。最後に突然言語化される、男社会での男の生きづらさの問題は、もっと早い段階から多角的に掘り下げてほしかったと思うけど、音楽の使用に対して極端に禁欲的であることも、顔のクロースアップすべてに存在感があるのも好ましい。

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