校庭に東風(こち)吹いての映画専門家レビュー一覧

校庭に東風(こち)吹いて

柴垣文子の同名小説を原作に、様々な問題を抱えた児童たちと、彼らと向き合う小学校教師の交流を描いたドラマ。教師の三木知世は、新しく赴任した小学校で、家では話せるのに学校では話せなくなる“場面緘黙症”の疾患を抱えた少女・蔵田ミチルと出会う。出演は『科捜研の女』シリーズの沢口靖子、『花子とアン』の岩崎未来。監督は「青いうた のど自慢 青春編」の金田敬。2016年9月3日より京都・イオンシネマ高の原を皮切りに全国順次公開。
  • 評論家

    上野昻志

    これは、原作によるのだろうが、いい話だよね。沢口靖子が頑張っているし、確かに、こんな先生がいたら、と思う。生徒一人ひとりに心を配って寄り添う。そうなると、絵に描いた理想的な教師像みたい見られて、逆に敬遠されるかもしれないところを、清々しく演じているのは、彼女の資質だろう。ただ作り手も、そんな彼女に惹かれたためか、アップが多すぎる、というか、アップのショットが長すぎる。アップは困ったとき(それ以外は不要)、という吉村公三郎の金言を思い出して欲しい。

  • 映画評論家

    上島春彦

    先に文句を言っちゃうと校長、無能すぎ。主人公と手を携えて問題に当たってくれなきゃ。やっかい者の主人公をわざわざ自分の学校に呼ぶんだからそれなりの人物のはずでしょ。それはさておきこの映画、本当に風が吹くのが素晴らしい。友情が生まれるのも誤解もそれぞれ風が契機になっており、上手い演出。ただ難しい扱いなのは病気の少女のお母さん。学校が薄情だからヘソを曲げたらしいのだが。いっそ少女を治すために校長が主人公を学校に呼んだ、という設定にするべきだったのか。

  • 映画評論家

    モルモット吉田

    東宝芸能の女優たちが登場する教育映画として観る分には申し分ない。沢口のオーバーな演技も、他が低温な芝居なので上手く際立っている。場面緘黙児なる語は初めて耳にしたが、家では喋るが学校では話せない現象と説明されて、小学校の同級生にもいたことを思い出し、からかいの対象にしていたことに胸が疼く。貧困家庭の生徒が、頭痛で意識朦朧とした母を助けようと頭痛薬を万引きして捕まり、担任の沢口を迎えに来させるという大幅な時間ロスを招く描写以外は至極真っ当な作り。

1 - 3件表示/全3件