マチルド、翼を広げの映画専門家レビュー一覧

マチルド、翼を広げ

「カミーユ、恋はふたたび」の監督で女優でもあるノエミ・ルヴォウスキーが監督・出演した自伝的ドラマ。9歳のマチルドは変わり者のママにいつも振り回され、友人もできず孤独に過ごしていた。ある日、ママが連れてきたフクロウがマチルドに話しかけてくる。出演は、本作が初演技となるリュス・ロドリゲス、「バルバラ セーヌの黒いバラ」のマチュー・アマルリック。
  • ライター

    石村加奈

    マチルドにとっての母とは、愛か、呪いか? ラストダンスの解釈に悩む。清めの雨を全身に浴び、笑顔に変わってゆく様を見ていると、母娘の美しい和解と捉えるべきだが、奔放すぎる母への怒りを珍しく露にした(梟も驚くほどの!)クリスマスの翌朝の「命令ゲーム」で垣間見た、少女が内面に抱える激しいものも感じたりして。冒頭の、向かうところ敵だらけ、といった風情で周囲を威嚇し、世間から母親を守ろうとした彼女のそばに梟がいたことは救いだが、9歳のさびしんぼうは淋しい。

  • 映像演出、映画評論

    荻野洋一

    長篇デビュー作「私を忘れて」(日本未公開94)が素晴らしかったルヴォフスキーの新作は、フクロウとの対話、オフィーリアの水死体イメージに仮託しつつ、孤独な少女の悪戦苦闘と空想世界が乱反射する。監督本人の演じる精神が崩壊する母親は絶品で、母の奇行に対する少女の無力が痛々しい。溢れるほど愛に包まれているのに、母子関係はなす術もなく解体されていく。後半で少女が腹立ちまぎれに自宅カーテンに?燭の火を点けるシーンは、トリュフォー映画のように鮮烈で切ない。

  • 脚本家

    北里宇一郎

    情緒不安定の母を、9才の娘が面倒を見ている。どちらが親だか分からない。というよりこの家庭には大人が存在しない。少女は子どものままで生きている。だから自由だ。思うがままにフクロウとも会話する。時々トラブルもあるけど、自分の判断で解決していく。彼女は世界から自立している。父が疎遠の理由が不明瞭だとか、演出が少し近視眼的という不満はある。だけど池に沈んだ夢見る乙女が、ある日息苦しくなって飛び出した。それが現実の人生のはじまり というところが切なく。

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