明日になれば アフガニスタン、女たちの決断の映画専門家レビュー一覧

明日になれば アフガニスタン、女たちの決断

アフガニスタンに生きる女性たちを描き、第76回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門に出品されたオムニバス。身重の身で家族の世話や家事に追われるハヴァ、離婚を決めたものの妊娠したミリアム、ある秘密を抱えるアイーシャ。3人は人生の試練に直面する。アフガニスタン映画機構(Afghan Film)初の女性会長となったサハラ・カリミ監督の初長編作品。アフガニスタン初のインディー映画作品。
  • 映画監督/脚本家

    いまおかしんじ

    「俺の痰壷はどこだ。すぐ横に置いておけ」義父のセリフ。無言で立ち上がる女性のお腹は大きい。ハアハア息遣いが荒い。倒れた彼女を助けようともしない旦那も自分のことしか考えていない。出てくる女性たちはみんな男に翻弄される。ホントにどうしようもない男どもだ。救いようのない状況をじっと耐える女性たちに同情する。どうにもならないことに流されるしかない日々。彼女たちは、なんとかしようと必死でもがく。その必死さは胸を打つ。ラストの始まりの予感はホッとした。

  • 文筆家/女優

    唾蓮みどり

    私は宿命というものを信じていない。というか、信じたくない。この映画に出てくる女性たちだって宿命を受け入れて生きているわけではない。疑問を持ち、苛立ちを感じている。疑いもしない人間達の古い価値観が、彼女達を何処へも行かせないように引っ張る。彼女達が「妊娠」に振り回されているのが気になる。女であること=子どもを宿すこと、から逃れられないとでもいうように。早く世界中で「あんな時代もあったね」と話しながらこの映画を見られる日が来るようになってほしい。

  • 映画批評家、東京都立大助教

    須藤健太郎

    ラストに考えさせられる。待合室に3人。1人は顔を出し、2人はヴェールに覆われている。すると、1人がヴェールを外す。どこか得意気に見える。3人の女性の物語を対比してきたなら、意図は明らかだろう。彼女は夫と義父母への奉仕を強いられる家父長制の犠牲者だが、自己の尊厳を取り戻すべく、ここで伝統と縁を切る。これは無言の宣言である。だが、この瞬間、この映画は「隠す」と「明かす」の作劇に回収されてしまう。「驚いた?」と言わんばかりのドヤ顔。それは監督のもの。

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