映画専門家レビュー一覧
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はたらく細胞
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映画評論家
吉田伊知郎
原作未読ながらアニメは見ていたので、よくぞここまで実写化できたと感心する。永野芽郁、仲里依紗、加藤諒という〈わかってるキャスティング〉が世界観を引っ張り、佐藤健も真剣に白血球になりきるので白けない。それゆえ新たに加えられた人間ドラマ部分は、極力ドラマが削ぎ落とされているものの壮大な体内世界のみを描くのは予算的にも厳しいための苦肉の策に見えてしまう。父が外で採血した血がたまたま娘に輸血されるのではなく、移植手術によって細胞移動を描いてほしかった。
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ソウル・オブ・ア・ビースト
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俳優
小川あん
エキセントリックすぎて、頭と心が追いつかなかった。幻想的なムードが高まって、少しやりすぎ感が出てしまってたころに (1時間過ぎたくらい) 、恋に落ちた二人がそのエモーショナルを自覚し始めてからは、急に面白くなってきた。日本語のナレーションとあらゆる類の音楽が相まってドラマチックさを主人公に突きつける。「お前はバカだ。」この映画は近づき過ぎず、俯瞰してみるのが自分にとって正解のようだ。動物の描写を解明はできなかったが、確かに心に獣の爪痕を残した作品だった。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
動物園から動物が放たれると同時に、登場人物のなかの野生が目覚め、獰猛さは街全体へと感染していく。そのさまを描く本作は、こんな放埓な映画を撮ってみたいと多くの者が夢見てきたに違いない作品だが、それを成就できる人間はほとんどいないし、ましてや、こんなにやりたい放題やっておきながら作品として成立させられるのは、かなりの才能のなせる業だろう。作品評価とは関係ないが、ドイツ語とフランス語、英語(そして日本語)のあいだを自在に行き来する言語空間も、分析したくなる興味深さ。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
スイスのチューリッヒを舞台にした三角関係を描いた青春映画。17歳の子持ちの少年が破天荒な男とその魅力的な恋人と知り合い、彼女に情熱的に恋をする。刹那な三人と暴動状態の街、動物園から逃げ出す野生動物たちと映画は常に一触即発なスリルを持って、若者たちの「俺たちに明日はない」状態を躍動的に描く。三人の男女がとにかく魅力的でゴダール初期作のよう。カメラと編集は極めてモダンで美学的。ただし日本文化を愛する監督が意図的に付けた日本語の格言めいたナレーションはいらないかと。
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お坊さまと鉄砲
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文筆業
奈々村久生
牧歌的な風景に、生年月日を「無意味なこと」として知らずに生きてきた人々。近代化の裾がようやく訪れた村のさざ波を描くにしては、驚くほど緻密に計算された画面構成とストーリーテリング。アメリカの銃社会や資本主義経済の理屈がまったく別の価値観に取り込まれていく作劇も見事。単純な二元論で語れる問題ではないところを映画的なダイナミズムで乗り切り、クライマックスではラマ教の法要の儀式という花火を打ち上げる。口当たりのいい佳作の枠に収まらない上質のエンタテインメントだ。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
アメリカ人や日本人、政治で分断が深まってるあらゆる国の国民もれなく全員が観るべき映画。高校の授業で全生徒に観せるべきとも思ったが、観せただけではダメで、観たあと少人数グループに分かれて感想を(議論にはならないよう)語りあうまでが大切。映画にでてきた勃起した男性器も非常に大切、濡れた女性器も同じくらい大切、というのが僕の感想。映画としての欠点は一点だけで、BGM入れすぎ。ラジオやテレビから流れてくる曲とクラブでかかってる曲、あとは祭礼の音楽だけで充分だった。
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映画評論家
真魚八重子
浅学で知らなかったのだが、ブータンは王朝制が独裁政治になることなく、比較的政策がうまくいっている中で、国王みずから立憲民主制に移行したらしい。鑑賞後に知って、それでこのような内容の映画なのかと理解した。王朝制で国民が不自由を感じていないのに、民主化が図られたため選挙制度に対しキョトンとしていたわけだ。他の国は人民が選挙制を勝ち取ろうと多くの血が流されてきたというのに、さすが人民の幸福度の高い国なだけはある。007が世界共通語なのは微笑ましい。
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不思議の国のシドニ
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文筆業
奈々村久生
敢えて不自然さを残した合成や静止画を使った描写など、デジタル以前の実験映画を思わせる表現は稚拙さや自己陶酔と紙一重だが、それを成立させたユペールの存在とジラール監督の絶妙なセンスが光る。日本の関西地方の街並みをとらえたレトロフューチャーな味わいも虚と実のあわいを生きるシドニの心象風景に似合っている。ユペールは同世代の俳優と比べても現役でラブの要素を含む作品への出演が多く、実年齢に沿って現在進行形の恋愛や性愛を演じられる稀有なキャリアと独自性が際立っている。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
逆張りっぽいことを言うけど、この映画の美点は日本人から見て変な部分を直してないところだ。恋愛とは「相手からは変に見えてる自分」を受け入れることだからだ。ただ、せっかくだから食事を(日本人の日常食を)もっと見せてほしかった。幽霊はセックスより食事に嫉妬するだろう。あとバーのシーンで酔った伊原剛志が「あなたたちが創作したキリスト教的な一夫一婦制度や恋愛のありかたは、けっきょく我々には無理です」と言い出すかと期待したが、さすがにそういう映画ではなかった。
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映画評論家
真魚八重子
日本が生者と死者が共存しているようなのは、確かに海外からはそう見えるかもしれない。死者を招き入れるお盆の風習があり、それでお祭り騒ぎもしない。広島や神戸や福島の地名が登場するように、未曾有の災厄もありながら続いている土地。そういう直感的な雰囲気にあふれた映画だ。イザベル・ユペールがお洒落な装いで、京都をさまよっているだけで絵になるから、十分楽しく観られてしまう。家族を失う孤独、アバンチュールの癒やしもありつつ、ユペール映画というジャンルの一作。
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太陽と桃の歌
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映画監督
清原惟
劇映画だとわかっていながらも、どうしても桃農園を営む一家の生活に密着したドキュメンタリーのように思えてきてしまう。監督の実家が代々農園を営んでいること、職業俳優ではなく、実際にその地域に住む人々が出演していることを知り、深い納得があった。一つひとつの場面は、物語を展開させるために存在しているのではなく、ただそこにある時間の輝きがある。おじいさんがピンク色のかわいいシャツを着ているのも自然に受け入れられるくらい、演出を感じさせない演出が巧みだった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
カタルーニャ地方にある小さな村で代々桃農園を営むソレ家に容赦なく襲いかかる近代化の波。地主が突然、土地を明けわたすように宣告し、桃の木を伐採してソーラーパネルを設置するというのだ。しかし映画はその波紋の広がりを社会派的な視点で激しく糾弾するわけではない。カルラ・シモン監督の自伝でもある本作の魅力は現地の素人を起用し、ドキュメンタリー的な肌合いを感じさせることだろう。彼女はゆるやかに崩壊してゆく家族を深い愛惜とノスタルジアを込めて葬送しているのだ。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
長年の地方在住かつ「サマーウォーズ」を観て「『儀式』こそが大家族のリアル」と奥歯を?み締めたタイプの人間として身構えて鑑賞。しかし誰もが身に覚えがあるような生々しい“親戚間の揉め事”すら瑞々しくリアリズムで描いた本作は、勝手な先入観に反してするりと飲み下せてしまった。ままならぬ現実とノスタルジー混じりの希望を包括したラストシーンが象徴する甘美で痛切な気分と空気は、斜陽の時代を生きていると感じる多くの人が当事者として意識できるものではないだろうか。
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ペパーミントソーダ
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映画監督
清原惟
1960年代のフランスを、10代の姉妹の日々を通してスケッチしたような映画。女子は政治活動をするな、恋愛はするな、といった厳しい規範の中で閉塞感や生きづらさを感じる生活を、紋切り型にはまらず描く手つきがよかった。時に性的な視線にさらされる彼女たちの身体を欲望の対象として直接写さずに、性的な欲望だけを可視化しているのにも好感を持つ。写真のアルバムをめくるように、大人になった彼女たちが思い出しているような視点で描かれており、優しさと懐かしさに包まれている。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
急進的なフェミニストと称されたディアーヌ・キュリスの初々しい長篇デビュー作だ。時代は1963年。両親の離婚で母親とパリで暮らすことになった二人の姉妹がリセに通いながら体験する刺激的な日々が活写される。ベタつかない、クールな距離感を保つ描写の積み重ねによって、彼女たちの抱える思春期特有の感情の揺らめきが画面から滲み出す。瞠目すべき才能と言ってよい。教師の理不尽な振る舞いに女生徒たちが一斉蜂起する場面など「新学期・操行ゼロ」を想起させる素晴らしさだ。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
英語で言う“スライス・オブ・ライフ”と日本オタクカルチャーで言う”日常系”のラインが曖昧になっていることを感じる昨今。“徒然なる短いエピソードで毎回オチをつけつつ、ささやかだが決定的な変化を大きな物語として描く”『あずまんが大王』『ひだまりスケッチ』『けいおん!』といった漫画に90年代末から触れてきた者として、そんなストーリー4コマ的話法の極北が47年前のフランスにあったとは……と感嘆。男性オタクに対する忖度がないので、完全なる上位互換かもしれない。
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どうすればよかったか?
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文筆家
和泉萌香
家族もれっきとした他者である、という事実を頭で理解しつつも、心に定めていることができる人はどのくらいいるだろうか。統合失調症を疑われた娘を医者から遠ざけ、状況は悪化、扉には南京錠がかけられた、と文章にしてみると凄まじく強烈で、いや、ご家族の長く壮絶な日々が映されているのだが、あの花火を並んで見る一瞬間にただただ涙が出てしまった。病への理解、人と分かりあうことの困難のみならず、老い、そして死の意味をも問い、カメラという他者が冷静かつ優しく捉える。
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フランス文学者
谷昌親
たまの家族旅行などを除くと、カメラは藤野知明監督の実家から出ることはない。それでも私たちがこの映画に単調さを感じないのは、もちろん、家族の一員が統合失調症を患い、それでもその両親が治療や入院を拒みつづけたという特殊な状況があるからだが、それ以上に、20年にもわたって撮影が続けられたためだ。同じ室内で、進展のない会話が試みられる様が反復される。だが取るに足らぬように見えるその映像の連続こそが時の歩みを残酷なまでに刻印し、ついには鎮魂歌となるのである。
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映画評論家
吉田広明
統合失調症を発症した姉を、両親が自宅にほぼ軟禁状態にする。両親が医学の研究者であったことがかえって事態を複雑にしたということはあるだろうが、この対応がまずかったことは医者に見せた後の経過を見れば明白である以上、「どうすればよかったか」という問いの答えは予め出ているのではないか(自分ならそう出来たかは措き)。従ってここには、どうしようもない現実を我々に突きつけ、どうすればよかったのかと我々を問い詰めるだけの衝迫が欠けているように思える。
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大きな家
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ライター、編集
岡本敦史
養護施設の子どもたちに密着し、つとめて「普通の生活」を切り取ろうとするコンセプトはわかる。実際、不幸でも孤独でもない、生き生きとした表情や感情は多々捉えられているが、被写体の魅力と反比例して、作り手の空虚さや問題意識のなさを逆照射している感も否めない。躍動感溢れる映像や音楽はむしろ凡庸さをいや増す。後半ようやく「家庭」をめぐる固定観念が施設育ちの子たちにも染みついた日本の病理を浮き彫りにし、考えさせる内容にはなるが、少し時間がかかりすぎる。
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