映画専門家レビュー一覧

  • モンスターハンター

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      P・W・S・アンダーソン&ミラ・ジョヴォヴィッチ夫妻でカプコンのゲームを映画化。という安定の座組みだが、ミラの立ち姿はほとんど「バイオハザード」のアリス、既視感は否めない(相変わらず彼女のアクションに対する姿勢は素晴らしいが)。トニー・ジャーのリアルかつ超人的な動きは初参加のこの組のスタイルに合わせてか抑えめだったのが残念。だが、この二人が言葉を介さないコミュニケーションでバディになっていく過程は、お互いのこれまでにない魅力を引き出していた。

  • コントラ KONTORA

    • 映画評論家

      北川れい子

      裸足でうしろ歩きをする男の正体は、いったい何者なのか――。といった詮索はともかくとして、土着性に歴史と個人史を巧みに盛り込み、かつ下世話なエピソードも忘れないこの作品の凄さ、素晴らしさに拍手を送りたい。ミニマムな話なのに、モノクロの広々した田園風景が窮屈さを寄せ付けず、開けっぴろげのユーモアもある。死んで不在となった祖父の分身である手帳の、書き込みと絵。宝探しが奇しくも祖父という存在の重力になっているのもスリリング。演出も俳優陣もみな満点!!

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      四方田犬彦は、近年の日本映画が現在の社会に照らし合わされるかたちで当然描くべき歴史性にあまりにも無頓着であることを度々批判しているが、巷間自明のものとされているカッコ付きの「日本映画」の外側からこうした揺さぶりをかけられると、「永遠の0」程度を戦後日本のワクチンに見立てて有難がる欺瞞的な「空気」(山本七平)がますます薄気味悪く感じられてくる。暴力性の表現、そのヴァリエーションも豊富で、なかでも円井わんの瞬発的な怒りの爆発に虚を突かれる。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      アンシュル・チョウハン監督、日本人が表現してきた「日本」の限界を突き破る自由さがある。個人的な執着と製作条件下での工夫からのファンタジー的要素だと思うが、内輪的な遊びや作りごとの退屈さとは無縁の、世界に向かう姿勢を感じた。余剰感のない白黒映像。円井わん演じるヒロインのソラがリアルな強さで躍動する。ラスト、とにかくカッコいい。理屈はどうでも、負けないということ。若松孝二や増村保造がやりたくてもできなかったことを見ている気がして、やられたと思った。

  • 夜明け前のうた 消された沖縄の障害者

    • 映画評論家

      北川れい子

      かつて精神障害者を人目に触れないように隔離した事実は、沖縄だけでなく日本中に多くあったことだが、不勉強で今回初めて、“私宅監置”なる法的制度があったことを知り、改めて胸を突かれた。自宅の片隅に粗末な小屋やコンクリートの建物を作り、障碍者を押し込めていたいくつもの事例。このドキュメンタリーでは沖縄の障碍者に光を当ててその闇の歴史を語り、中でもその現場写真は痛ましくも説得力がある。ただ、サブタイトルで“沖縄”を特化していることにはチト疑問が。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      精神病者をめぐる私宅監置の歴史に切り込んだドキュメンタリーとしては、少しまえに今井友樹監督の「夜明け前」があった。見えにくいものの「見えにくさ」を生み出した原因はいったいなにか。それを描き出すために、容易には見えないこと自体を表現に昇華した今井作に対して、この映画は創作舞踏を駆使し、記憶の身体化を試みる。言葉と身体をとおして「消された」人々の存在がまざまざと再生されていくさまに胸をつかまれた。饒舌すぎるナレーションと音楽の使い方には疑問が残る。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      人々が知るべき事実。一九七二年まで続いた沖縄での精神病者の「私宅監置」。原監督が名分的な正義以上のものに突き動かされてきたのはわかる。人類への根源的な問いに向かおうとしているし、そういう成長を人に促す題材でもあるだろうが、ここでの表現方法には手抜かりを感じる。曖昧な主観の入り込むイメージ表現や撮影する自分の影を出す前に、事実そのものとその歴史的背景、そして現在との関わりをもっと探ってほしかった。カメラの位置に工夫がない。アフリカは要らなかった。

  • AGANAI 地下鉄サリン事件と私

    • フリーライター

      須永貴子

      オウム真理教(=麻原彰晃)に人生を狂わされた二人の男の異色ロードムービー。共通のルーツである丹波や、母校の京都大学などを訪ねながら、監督が荒木に様々な問いを投げかける。時間と言葉を尽くした結果、少しだけ心を開いた荒木が、入信から出家までの心の変化を語る。それは、教団がいかにして、純粋な若者を現世に絶望させるかという、洗脳の核心に触れた貴重な証言。二人の思い出話として語られる、カルトの勧誘活動に対する当時の京大のおおらかさに絶句。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      監督のさかはらさんとインタビュイーのオーム真理教(現アレフ)の広報部長の荒木さんは奇しくも共に京大を出ていて、出身も同じ丹波だという。それがサリン事件の被害者と加害者側の人間として、この映画で対峙している。荒木さんは直接サリンを撒いたわけではないが、今は教団の顔といった存在であるから、“事件に責任を感じている”と思いきや、事件を背負いきれず、戸惑うばかりのようだった。二人の微妙な心の交流を掬い取れるか否か、見る人のあの事件への思いが左右する。

    • 映画評論家

      吉田広明

      地下鉄サリン事件の被害者である監督が、アレフ広報である荒木氏と対話を重ねる。糾弾するというより、なぜオウム=麻原であり、その信仰を維持するのか、事件にどう責任を感じているのかを知ろうとする。「出家」に拘泥して現世との絆を断ち、閉じこもろうとする荒木氏を、監督は自分の家族、荒木氏自身の家族と会わせることで外に引き出す。結局引き出せたのは一端の責任感、負い目の感情で、謝罪ではないが。観察=分析するドキュメンタリーというよりコミットするドキュメンタリー。

  • 生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事

    • フリーライター

      須永貴子

      佐々木蔵之介が、解説や説明をするナレーションではなく、映像や音声が残っていない島田の「声」を担っているのが面白い。佐々木の声で語られるのは、島田が手紙などに残した文章や、他者の手記や日記に綴られた島田の発言。島田のポートレートを繰り返し映すことで、容貌の違う役者が演じるよりも、島田の本質が伝わる効果を生んでいた。力作だが、島田叡という人物を通しての現政権への問題提起としても、狂った日本社会を「生きろ」というメッセージとしても、回りくどい。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      日本には奴隷制がなかったと自慢気に語る人がいるが、沖縄戦の様相を見ると、日本という国が国民を奴隷以下に扱っていたことがよくわかる。「日本軍は国は守っても国民は守らない」。国民がいてこその国なのに、それを捨て駒扱いするということは愛国心の欠如と言うしかない。こんな考え方を国ぐるみで平然としてきた戦前日本は世界でも稀な異常な国だったのだろう。至極まともで健全だった県知事・島田叡と無辜の沖縄県民が無残な死に至ったのは、あの日本にあっては必然だったか。

    • 映画評論家

      吉田広明

      「軍民官一体」の標語の下、本土以上に徹底した形で総力戦を強いられた沖縄で、県知事の立場にあり軍と板挟みになりながら沖縄県民を極力守ろうとした島田の姿を軸に、国を守っても民衆は守らない、本土防衛の砦として沖縄を利用した日本という国家の姿が明らかにされる。本土の人間として、沖縄県民の幸福を願った島田のあり様は、沖縄を考える我々自身のひな形とも見なしうる、というかそうすべき。文書や証言を渉猟しているが、内容に比して若干長い。もう少しコンパクトで良い。

  • にしきたショパン

    • 映画評論家

      北川れい子

      これが長篇第1作という竹本監督のチャレンジ精神には敬服する。ピアニストを目指すショパン少女とラフマニノフ少年の紆余曲折。当然演奏シーンも多く、ほとんどは練習場面だが、さしずめ、眼で聴き、耳で観るような―。けれどもあれこれの障害物を盛り込んだメロドラマ仕立ての脚本と、魂に響く音と言った台詞がかみ合わず、映画としての広がりも奥行きも希薄。世に出るための手段としてのコンクールやオーディションに固執するのは分からないでもないが、全体に頭でっかち!?

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      正攻法で真面目につくられた作品で、ともすればその真面目さが食い足りなさとなるところだが、低予算ゆえの画面のつつましさや本職でない役者たちのぎこちない演技がむしろ奏功し、押しつけがましさのない素直な感動を呼び起こす。アマチュア的座組の活かし方といい、音楽の使い方といい、往時の中尾幸世を想起させる水田汐音のたたずまいといい、どこか佐々木昭一郎の作品に通じるテイストも。ラストシーンのフェイドアウト、そのタイミングと余韻が心地よい。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      阪神淡路大震災の記憶と「左手のピアニスト」をめぐる事実。語るべきことが確かにある。関係者はこれを劇映画にすることに夢を感じたのだろう。震災前後の時代感覚をも遥かにさかのぼった昔を感じさせる「まじめさ」にまず当惑するが、それにしても、なぜこんな話なのか。人物の心の動き、運命の罠にハマっているだけ。深刻顔とわざとらしい芝居はやめてピアノの力を信じなさいと言いたくなった。竹本監督、場面の空気をもっと重視すべきだ。題名にあるショパンも活かしていない。

  • 奥様は、取り扱い注意

    • 映画評論家

      北川れい子

      でっかいウソにはリアルなディテールを――。娯楽アクションの鉄則だが、この映画、ドラマシリーズを知らない人はあっち行って、と言わんばかりの導入部といい、記憶喪失という便利な逃げ道といい、企業誘致を巡る陰謀話といい、どれもこれも嘘の厚塗りにしか見えず、頭からシッポまで、シラジラしい。主人公夫婦の設定も、ブラピとA・ジョリー主演「Mr.&Mrs.スミス」の二番煎じ。ロケセットにけっこう金をかけアクションにも力を入れているが、作りの派手さより問題はハナシの中身。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      中央アジア(というテロップもどうだろう)を舞台にした冒頭の「夢」シークエンスからして恐ろしく類型的で嫌な予感がただようが、夫婦像にせよ環境問題の扱いにせよ外国人の描写にせよ、すべてが広告代理店的なイメージの領域にとどまる、どころか、それらのもつ抑圧的・排他的な性質になんら批判を加えることなく「面白げ」にあるいは「感動的」に差し出してみせる手つきは不快きわまりない。80年代ハリウッド映画を100倍希釈したようなアクションシーンもダラダラと退屈。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      テレビから映画へ。タイトルの楽しさに、綾瀬はるかの魅力とガンバリ。成算ありとした企画会議の期待を裏切らない仕事だとは思うが、アクション場面が弱い。装置的に半端なものを、慌てたように入る音楽がさらに大味にする。佐藤監督、ラストの仕掛けに自信をもちすぎたろうか。新エネルギー源開発で揺れる地方の町が舞台。後戻りできない計画と裏組織が人々の暮らしをおびやかす。善意の人もいて、ロシアと「公安」が絡み、個人的に動く諜報員もいる。出番がないのは痛快さか。

  • トムとジェリー(2021)

    • 映画評論家

      小野寺系

      スラップスティックな追いかけっこをメインとする原作アニメの内容を実写映画にするのは困難に思えたが、考え得る選択肢の中からベターなものを選びとっていって、水準に達する娯楽作品に仕上げている。「ロジャー・ラビット」や「スペース・ジャム」同様の2Dアニメーション合成は、現在ではレトロだと感じるが、トムとジェリーの騒動が最も映えるだろう、高級ホテルでのセレブの結婚式や、アニメキャラのようなキャストたちの風貌など、題材に合わせた数々の工夫が功を奏している。

4401 - 4420件表示/全11515件