映画専門家レビュー一覧
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悪は存在しない
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フランス文学者
谷昌親
「ハッピーアワー」で組んだスタッフやキャストが複数参加しているだけに、「ドライブ・マイ・カー」以上に濱口竜介監督らしい作品と言えるかもしれない。主人公の巧を演じる大美賀均はもともとスタッフで、台詞まわしもぎこちなく感じられるが、終わってみれば、まさに巧という人物以外のなにものでもない。森のなかを人が歩き、水を汲み、薪を割る、ただそれだけで画面が活気づく。鳥のさえずり、風やせせらぎの音、それらにかぶさるように流れてくる石橋英子の音楽も印象的だ。
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映画評論家
吉田広明
山間地にリゾート建設を図る企業、形だけの説明会でお茶を濁すはずが、担当者が地元住人に感化される。神宮再開発を連想させる問題提起にも、「偶然と想像」につながるコメディにも見える作品。車の中での長い会話が事態を転回させる点も監督らしい。冒頭の長い移動など、音楽家のライブ用映像の名残だろうが、映画としてあれは要るのかなど疑問は残る。みんな悪い人間ではないという意味で「悪は存在しない」が、地元民に「悪意」がないわけではないというズレが露わになる衝撃。
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エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命
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文筆業
奈々村久生
持って生まれたものよりも育つ環境が人を作る。その可能性と残酷さ。社会や政治の時勢に利用される宗教の力と脆さ。ベロッキオには無駄がない。必要最低限のカット。無駄がなさすぎて、映画が終わった瞬間に潔くシャッターを降ろされるような問答無用感がある。ユダヤ教とキリスト教の関係やローマ教皇の影響下における信仰については、その背景のもとに育っていなければおそらく完全には理解し得ないが、これがたとえ新興宗教だとしても原理は同じであることが事の重さを突きつける。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
人間にとっていちばん大事なのは心の自由だと思うのだが、しかし心が自由であることなんて人間に可能なのかとも思う。なにかに洗脳されていなかったら人は人間になれないのではないか。暴力で連れ去られ、親が信じているのとは別の、こう生きたほうが幸せになれるという生きかたを教えこまれる。そういう宗教と宗教の戦い、倫理と別の倫理の争いに巻き込まれることを人間はずっとやってきたのか。この映画で語られているとても大きな歴史の問題は、僕にはどう捉えていいのかわからない。
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映画評論家
真魚八重子
エドガルドは母との別れで泣くような感情も見せるが、基本的には言われるがまま動く人間だ。ユダヤ人でありつつ、派手な教皇に対しスターへの憧れの眼差しを向ける。二つの生きる道の岐路に立つ彼が、同時に引率者を亡くすと空っぽになり、この数奇な運命は彼には重すぎてむごい。壁がアップになるとき、それは必ず向こう側から打ち壊されるためだという、映画のお約束にスカッとする。またエドガルドが磔刑に処されたキリスト像のくさびを抜くシーンも、心が射られた思いがした。
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辰巳
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文筆家
和泉萌香
歯車の部品が転がった、車のはらわたもはみ出る整備工場で、文字通り彼彼女らの体液も飛び散り絡み合い、肌のきめもすべて太陽にあぶり出され、暴力から発せられる汚い言葉が飛び交う。感傷や愛情にからめとられることなく、?き出し(になりすぎるくらい)のエネルギーをみなぎらせたまま、そのエネルギーのままに動き続け、穏やかではないカメラもここは、と揺るぎなくとらえるふたりの顔。血みどろのはて、海や草むらと同様にさらされる、人間の肌が湛える確かな美しさを喚起する。力作。
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フランス文学者
谷昌親
日本映画には珍しいハードなノワール物だ。水辺の街の無機質さが人物たちの非情な生き方に重なり、陰影のある独特の虚構世界が作り上げられている。物語としては、「レオン」の日本版といった感じだが、少女の年齢が高いこともあり、ただ守ってもらうだけの存在でないあたりもおもしろい。自主制作でジャンル物を手がけ、しかもこの完成度になるということに驚かされるが、すぐれたジャンル映画を参考にしつつ、自分の求める世界を妥協せずに追求できたということなのかもしれない。
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映画評論家
吉田広明
やくざの上前をはねた金を巡り、巻き込まれて死んだ姉の仇を撃とうとする妹に、同じやくざの一員で死んだ姉の元彼であった男が協力するという構図。主人公の男は自分が主体的に動くというより、受動的に引きずられるわけだが、その理由はあくまで情動であるという点に本作をノワールとする根拠はあるだろう。姉の断末魔の長い場面の痛ましさ、殺しが快感になるという職業犯罪者に対し、殺す度に吐く妹の姿が、死の重さを感じさせるだけに、主人公の情動は説得的になっている。
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青春 -春-
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映画監督
清原惟
中国の個人経営の縫製工場に勤める人々のドキュメンタリー。住居と職場が同じ集合住宅内にあるということもあって、仕事と生活が渾然一体となっている。皆とても仲がよさそうで、まるで家族のように暮らし仕事をしている。部屋もほとんどが相部屋で、働いている時間以外も一緒に食事をしたり音楽を聴いたりして、仕事の賃上げの交渉も一丸となってやっている様子に、人々のコミュニティのあり方について考えされられたし、自分もその中に暮らしているかのように時間を過ごした。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
ワン・ビンが描く長江のデルタ地域にある小さな町の衣料品工場で働く農村出身の若者たちの初々しい青春群像を見ていると、“変われば変わるほど同じだ”と呟きたくなる。日本の不動産を買い漁る富裕層の対極にある彼らこそが中国経済を深層で下支えしているのだ。さらに中国の都市部との途方もない格差構造がじわりと滲み出す。同じ20代の経営者との賃上げをめぐる攻防。いくつものカップルたちが織りなすたわいない戯れ言や親密な触れ合い、寄る辺なさまでが怜悧な視点で切り取られている。
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映画批評・編集
渡部幻
ワン・ビンは中国経済の一翼を担う長江デルタ地域の出稼ぎ労働者たちの特異な環境を捉え、文字では到底伝わらないだろう生活臭を充満させる。灰色の衣料品工場にミシン。灰色の空、灰色の生活、室内も室外もゴミだらけだ。カメラは若者たちを追う。みんなタバコを吸い、カップ麺を食べる。会話の中心は恋、妊娠、結婚、そして賃上げの交渉。肉体的な距離が密接で、やたらにじゃれ合う。ぼくに身近な20世紀後半の日本を思い出したが、彼らの手にはスマホが握られている。これもまた“21世紀の青春”なのだ。
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陰陽師0
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ライター、編集
岡本敦史
佐藤嗣麻子監督といえば夢枕獏と谷口ジローのコミック版『神々の山嶺』誕生のきっかけを作った功労者として有名だが、ついに念願かなって「陰陽師」を監督! まずはめでたい。若手キャストを起用し、原作にないエピソード0にするという企画も、狙いとしてはアリである。ただ、作品の根幹たる安倍晴明&源博雅コンビ=山﨑賢人&染谷将太のカップリングに意外とケミストリーが感じられないのは残念。脇を固めるベテラン俳優陣の充実にばかり目が奪われるのは、ちょっともったいない。
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映画評論家
北川れい子
能楽師の野村萬斎が安倍晴明を演じた「陰陽師」シリーズとは一線を画す、青春映画仕立てにしているのが親しみやすい。若き晴明は、平安朝の慣習や陰陽師なる役職から距離をおき、染まらず流されず合理的に行動、人の心の闇がもたらす不可解な現象や事件に冷静に対処する。という晴明のキャラクターを明確にした上で、佐藤監督は幻視や夢の映像を鮮烈に演出、目が覚めるような華麗な場面も。人物それぞれの立場の野心や思惑も痛快だ。美術や衣裳も見応えがある。
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映画評論家
吉田伊知郎
以前のシリーズには全く乗れなかったが、さすがに原作への愛着とミステリとVFXに通じる佐藤監督だけあって魅せる。「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎」よろしく、若き日の安倍晴明が陰陽師になるための学校に通い、ワトソン役の源博雅と出会って事件に挑むという設定からして愉しい。山﨑、染谷の好演は予想通りだが、帝役の板垣李光人が浮世離れした存在感で目を引く。終盤はVFX頼りになってしまい、そのスケールに予算が追いついていない感が溢れるのが惜しまれる。
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あまろっく
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文筆家
和泉萌香
還暦すぎの男性に自分からプロポーズ(!!)して結婚した美女(つっこみが追いつかないが)……。不器用な独身女と、いまどき「良妻でありたいわ」なんていう若い既婚の女ふたりのキャラクター像に最初うんざりしたが、彼女が「どうしても家族が欲しい」という意思を終始、曇りない笑みで突き通してしまう姿には、思わず頭が下がります。だがありえない設定に盛り込んだ幾つかのエピソードの生々しさが、家族三人白鳥ボートに乗るような、微笑ましいギャグを薄めてしまっている。
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フランス文学者
谷昌親
尼崎という土地にこだわり、コメディの風味をたっぷり盛り込んだ人情ドラマ、とでも言えばいいだろうか。しかし、ロケーションを活かすというのは、その土地らしい場所で撮影するということではないはずだ。シチュエーションコメディ的な側面のある映画だけに、やや無理のある設定をどう観客に受け入れてもらうかもだいじになってくるわけで、だからこそヒロインの人生を少女時代から描くのだろうが、そのわりには現在と過去のつながりが有機的に感じられないままなのも残念だ。
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映画評論家
吉田広明
いきなりリストラされたエリート女子と、家族団欒を知らずそれに憧れていた女子が、多幸的老年を鎹として「赤の他人」から本当の家族になるまで。詰まらないわけではないし、血ではなく心情でつながる「家族」という主題の重要性も分かる。しかし、事態の転換点となる場面でのスローの使用はいかにも格好悪いし、いくらやりやすくなったからと言って意味のないドローン撮影も、時間経過、あるいは人物が内向する場面の緩さを音楽でごまかすのも勘弁してほしい(この点、本作に限らず)。
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異人たち
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文筆業
奈々村久生
主人公の内面世界と現実世界が渾然とした世界観。限られた登場人物と視点がその描写を可能にする。他者との関わりの少なさは自己の肥大を許し、それを妄想と呼ぶのは簡単だが、敢えてネタバレ前提で言うと(以下閲覧注意)「シックス・センス」のシステムをあくまでもドラマとして描いたのが大林宣彦版ともシャマランとも異なるところで、原作のエッセンスに近いかもしれない。愛の儚さと不確かさ、それにともなう孤独はヘイ監督のテーマでもあり、この世ならざる存在とは相性がよかったといえる。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
最初ずいぶんスティーヴン・キングみがあるなと思ってたら劇中で言及されてた。〈甘える〉という魂に必要なことを人は大人になったらどこですればいいのさ。さみしさを癒そうとセックスすればするほどさみしくなるし、親と(その親が死んでても生きてても)コミュニケーションなんかしようものなら、ますますさみしくなる。自分は生きてると思ってる我々の営みはすべて、すでに死せる人たちが見ている夢なのだからさみしくてあたりまえだ。大林宣彦版に出た俳優さんたちはもうご覧になったかな。
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映画評論家
真魚八重子
夕暮れのタワーマンションから見える、ロンドンの星々のような灯りの輝き。美しいと死にたくなる。大林の「異人たちとの夏」は、亡くなった両親が生きている息子の精気を吸い取るような奇妙な話だったが、本作は整頓されている。マンションに二人しか住人がおらず、クィアで美形なため惹かれあうのもわかるが、本作は薬物と強い酒が悲しく付きまとう。孤立したマンションで、訪ねるのも迎え入れるのも遅すぎた。クライマックスのトランス状態で時間が経過するのが上手い処理。
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