映画専門家レビュー一覧

  • ありふれた教室

    • 文筆業

      奈々村久生

      真実は我々が思うより強くない。何らかの情報をめぐって特定の人物や対象がダメージを受ける可能性のある場合、その話が本当かどうかよりも、疑惑が立ち上がった時点で負けなのだ。それは新撰組でも不穏分子の排除に用いられた手法だったし、SNSのゴシップやフェイクニュースでも同じことが言える。そして学校という社会の縮小版においても。日に日に緊張感を増す空気を作り上げた子供たちとの連携と、このゲームに勝者がいるとしたら誰なのかを問うラストカットに目を奪われる。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      ヨーロッパでも学校教員のなり手がいない問題は深刻なのかしら。どこの国でもそうなのだとしたら、それはなぜなのか。同月公開の「胸騒ぎ」では他人は何を考えているかわからずホラーなのかどうかしばらく判断に迷わされたが、こちらは「これはホラー映画ではない、というそのことが恐ろしい」じつに社会的な映画だった。観客にも主人公にも、他の登場人物が何を考えているのか、わかりすぎてしまうのが恐ろしい。結末もホラーの終わりかたではなかった。希望はほんのちょっとだけあった。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      流行の厭な映画の一種だ。教室や職員室で起こる盗難騒ぎ。犯人は職員の可能性も高く、主人公の女性教師カーラはPCの録画モードで犯人の腕だけを捉える。映画は意図的に建設的な方向に議論を進めない。同僚はカーラの行動に対し、他人を疑う行為が不快だと言う。特定の誰かを疑わずに犯人を捜す方法を提案するのではなく、だが問題を放置する気でないのなら、どうしても付随してくることだ。生徒たちも流され、視野狭窄的に人権問題を訴える。ラストの玉座のような演出も意図が不明。

  • PS1 黄金の河

    • 映画監督

      清原惟

      私の知るこの世とは違う論理で動いているような映画。あまりインド映画を観たことがなく、参照もないなかで個人的な視点でしかなく申し訳ないけれど、私が映画に対して苦手だなと思うところが集合していた。アクションは肝心な部分がカット割りで処理されていておもちゃみたいな感じだし、音楽が終始鳴り続けているせいで全体として単調さが否めない。ギャグなのか真剣なのかもわからない。時代背景的に仕方ないのかもしれないけれど、女性がもの扱いされている感じもしんどさがある。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      延々と読み終えることのない大河小説を一気読みさせられているような奇妙に倒錯した感覚にとらわれる。一瞬たりとも退屈させてはならぬという至上命題を遵守する語り口にあっけにとられ、ようやく3時間弱で前篇が終了。改めて作り手たちの膨大なるエネルギーに呆然となる。ふと1940年代に栄華をきわめたアレクサンダー・コルダが量産したエキゾチシズム溢れる華麗な歴史絵巻の伝統は、今や歌&ダンス&肉弾戦を繰り広げるボリウッドの大作群にしっかりと転生したのだなと実感する。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      原作小説は70年間にもわたる国民的ベストセラーなのだという。タミル語による冒険映画で、ベテラン監督の職人芸で3時間近くは瞬く間に過ぎていく。歌と踊りは勿論、インディ・ジョーンズ的なアクションには、どこまでも陽気なヒーローと、非現実めいた美女が登場。運命の恋あり、友情もあるが、王位継承をめぐる各人の思惑が入り乱れる歴史の物語は複雑。しかし小説が全5巻2200ページに及ぶと知れば、映画の地面に足を着けた監督の腕を感じさせる。実は第一部で、続篇に続くとは知らずに見ていた。

  • 鬼平犯科帳 血闘

    • ライター、編集

      岡本敦史

      敵役を演じた北村有起哉の素晴らしさに尽きる。何しろ声がいい。口上ではカリスマ性を迸らせるが実戦ではへっぴり腰というキャラも、主人公より目立つべからずという作劇的配慮かもしれないが、なかなか秀逸な人物造形だ。それ以外は「様式まつり」というか、心機一転の再始動にしては新味のない、型通りの長寿番組の延長に見えた。セリフを喋る俳優の口許も表情も全部映さないと気が済まない平凡な画が続くので、昔の時代劇のほうがもっと面白い撮り方をしていた気がしてならない。

    • 映画評論家

      北川れい子

      中断はあるものの、昭和、平成と長きにわたって継続されてきたテレビ時代劇の『鬼平』シリーズ。その令和版シリーズの劇場版で、鬼平役は十代目松本幸四郎。まあね、こういうシリーズものは「あぶ刑事」にしてもそうだが、演技、展開、見せ場などにいくつもの“お約束ごと”があり、その約束ごとがあるからファンも安心して楽しめるのだが、この「鬼平」令和版、ダイイング・メッセージなどを盛り込んでいるが、テレビ時代劇の様式を律儀に守りすぎてか演技、演出も型通りなのが残念。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      前回の劇場版以来29年ぶりに「鬼平」を観たので新鮮だったが、誰が演じるというより、〈声〉によって鬼平は決まるのではないか。声が印象深い中村吉右衛門や丹波哲郎と比較しても、流石、当代幸四郎。強弱自在に発せられる声が聴き応えあり。加えて北村有起哉、柄本明の声も個性を発揮する。手堅い演出で飽きさせず見せるが、先行して放送されたTV版と同様の出来栄えで、映画館で流す意義がどこにあったか。もっともそれを言い出せば、先代の劇場版でも同じことを感じたが。

  • 不死身ラヴァーズ

    • 文筆家

      和泉萌香

      両思いになってはその彼が消え、同じ彼が現れ、「運命の相手」と信じ込んで向日葵のような笑顔で告白しまくる主人公……という、リアリティの全てを無視した超特急の前半部分に「運命」にはピンとこなくなった自分、動悸が止まらない。その異様っぷりの正体は無事に明かされていくが、本作がスゴいのは、10代の突飛な少女のものであろう(漫画から飛び出してきたような)着色料たっぷりのキャンディのように色付けされた世界が最後まで増強され続けることである。なんだこれ!

    • フランス文学者

      谷昌親

      松居大悟監督の10年越しの企画ということで、熱量が感じられる作品ではある。しかし、原作の漫画とは設定を変えているものの、ファンタジー的要素のある物語を実写映画にするのはやはり力技で、その力の入りようが軋みを生じさせる。軋みを表現に昇華させる作品もないではないが、この映画は愛情讃歌を正面から描こうとしているだけに軋みは軋みのままだ。新興住宅地らしき家が並ぶ斜面が立ちふさがったり、高台のむこうに町の景色がひろがったりするロケーションは印象的だ。

    • 映画評論家

      吉田広明

      未読だが、原作漫画は強引な展開ながら、荒削りで勢いのある画でねじ伏せてゆくのが魅力ということらしかった。一方本作は、画が粗削りというわけでもなく、また逆に洗練されることで新たな魅力が引き出されるわけでもない。画自体に強い印象がなく、そのため話自体に関心は集中するのだが、そうすると不自然な設定と強引な展開だけが悪目立ちしてくる。本作の場合、漫画の画としての表現をいかにパラフレーズするかによほど留意しなければ。原作ありきはそう簡単ではないという教訓。

  • ジョン・レノン 失われた週末

    • 俳優

      小川あん

      世界的スーパースターにはさまざまな事情がある。マスメディアはそれを暴くことを試みるが、切り取ることのできない一面が存在する。恋愛事情を追いかけようとするも、愛の具体的なかたちや中身は知ることはできないのだ。メイとジョンの間に確かな愛があったことを明らかにし、失われた時間はやはり存在したことを再確認するために、一つ一つの記憶から手繰り寄せて制作したように見えた。それにしては(あえてかもしれないが)、観客と共有できる具合にポップに再構築されている。

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      ジョンとヨーコが別居していた期間は「失われた週末」と呼ばれているそうだが、いったい誰にとって「失われ」ていたというのか。この時期を彼と過ごした女性がみずから口を開き、さまざまな誤解を解く。ジョンの先妻も現妻もからむ複雑怪奇な関係もさることながら、ビートルズの元メンバーからM・ジャガー、D・ボウイまで登場する活気ある日々はまぶしいばかり。ジョンの人物像と愛の物語が、豊富な映像資料でテンポよく語られる。でも、悪役にされてしまったヨーコにも言い分はあるよね。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      ジョン・レノンがオノ・ヨーコと別居していた18カ月間の時期にレノンと同居していた中国系アメリカ人メイ・パンの証言で描く新たなレノン像のドキュメンタリー。彼女の赤裸々な証言で語られるレノン、マッカートニーから多くのアーティストの私生活が新鮮で、ロック史が少し塗り替えられるインパクト。貴重な証言映像、プライベート写真に加え、アニメを効果的に使った映像編集も見事。ただし、あくまでパンの視点であり彼女に都合よくまとまりすぎではと。オノ・ヨーコがこれを見たら怒り狂う予感が。

  • 胸騒ぎ

    • 文筆業

      奈々村久生

      友達の家で出された手作りのおにぎりを食べられない。あるいは親戚一同で集まったとき、他の一家のルールに触れて驚いたり拒絶反応を示す。そんな経験は誰しも心当たりがあるのではないか。これは家族という最小単位のコミュニティ間で起こる摩擦であり、自分の家が正しくて相手の家が間違っているわけでもないが、それに近い感覚を覚えてしまう。この言語化しづらくどうしようもない違和感を可視化する本作の過激な試みに、その手があったかと思う。他人の家という異文化の空間はかくも恐しい。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      外国や田舎で地獄のような目にあうホラー映画はたくさんあるが、これは前半というか3分の2までずっと具体的な恐ろしいことはおきず、ただただ嫌な胸騒ぎと自己嫌悪(しかも主人公の自己嫌悪が観客に伝染する)が延々と続いて、すばらしい。本当に気分が悪く、ラスト近くでやっとホラーになってくれてむしろ安心した。終わりかたがまた絶望的なのだが、この絶望ってきっと聖書についての知識があると、もっと絶望的で、もっと呆然とできるんだろうな。いつか牧師さんの知り合いに訊いてみよう。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      こういった生理的な不快感を呼び起こすスリラーも、随分流行が続いている。本作は早くもリメイクが制作中で、かなりどす黒い好奇心を刺激するのだろう。“断り切れない気の弱さ”は、誰しも経験があるだろうし、脚本もその流れをうまく作っている。話が気になって、技術面の注視は忘れるほどだった。ただ、この悪意ある人々の労の取り方は、厭な映画を作ることが目的過ぎて、現実味が乏しく不自然だ。そして動体視力の良い人なら視認できる残酷な幼児虐待カットもあり、嫌悪感を覚える。

  • クイーン・オブ・ダイヤモンド

    • 映画監督

      清原惟

      淡々とした時間の流れに身を任せているうちに、他人の人生に乗り込んでいるような感覚になった。カジノのシーンでのお金を入れていく身振りや、部屋でだらだら話している女たち、ヤシの木が燃えているところをずっと見ている時間、印象的な場面がいくつも残る。一つひとつのカットがとても長いけれど、必然を感じられるし、現実の退屈な時間ってこんな感じかも。物語の網目が張り巡らされていなくても、引きのカットばかりでも、静かに破滅的な彼女の日々の実感がここにはあると思えた。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      ニナ・メンケスの新作「ブレインウォッシュ」を見ると“映画における男性の眼差し”を俎上に載せる痛烈なるフェミニストという印象を抱く。だが、ラスベガスで孤高に生きる女性ディーラーの淀んだ日常をとらえた本作は、一見ぶっきらぼうでまったくとりとめがない。極端な長回しやズームによって浮かび上がるのはヒロインの内面ですらない。たとえて言えばゲイリー・ウィノグランドが傑作写真集『女は美しい』で抽出してみせた、荒涼たるアメリカの時代精神が鮮やかに透し彫りされているのだ。

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