映画専門家レビュー一覧
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アイアンクロー
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
70~80年代に活躍したプロレスラーで必殺技“鉄の爪=アイアンクロー”を持つフリッツ・フォン・エリックと彼の四人の息子レスラーたちのプロレス家族の実話映画化。圧倒的な強く正しい父の下で、息子たちはプロレス道を邁進するも、心も体も蝕まれていく。映画は長男ケヴィンを軸に描かれ、彼のエディプス・コンプレックスが物語の通奏低音になっており、フィルム撮影による拡張高いルックも相まって、プロレス版「ゴッドファーザー」といった趣。しかし善悪の彼岸を垣間見せるほどの哲学的深みはない。
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ブルックリンでオペラを
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俳優
小川あん
頑張りすぎると人間は時折疲れる、当たり前のことだ。知らない間に大丈夫になっている、それも然り。スランプに苦しむオペラ作曲家が数奇な巡り合わせから、終盤には元気を取り戻していくハートフルな仕上がりとなっている。今の自分にちょうど良い (素晴らしい意味で) 映画だった。鑑賞後はスッと肩の力が抜けて、さっきまでの悩みがどっかにいってしまう。本作のような肩肘張らない、絶妙なニュアンスの作品が量産されることを願う。そして、疲れたときの散歩はやっぱりいい。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
軽快なロマコメが急な深刻展開で足を取られたり、そもそも複数のストーリーラインがいっこうにからんでいかなかったりでフラストレーションがたまるのだが、サム・レヴィの撮影の美しさと、クライマックスの大作戦でまあまあアガるのと、オペラ曲とスプリングスティーンの主題歌がいいのとで「まあいいか」という気持ちに。主演として宣伝されているハサウェイがなぜか肝心な局面の前にフェイドアウトしてしまうけど、実質的主役であるP・ディンクレイジと、M・トメイがチャーミング。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
アン・ハサウェイ主演のNYブルックリンを舞台にしたコメディ。精神科医の妻と現代オペラ作曲家の夫の夫婦が主役で、夫は極度のスランプ状態。精神療法の一環で散歩中に出会った女性船長に惹かれ、夫は創作のインスピレーションを得る。長身ハサウェイと小柄なディンクレイジの凸凹カップルのユーモラスなやりとりやNY的多様なキャラでNY讃歌を描こうとしているが、物語のグリップ力が弱い。大都市を舞台にしたスター女優のほんわかコメディという形式がとても色褪せて見える。
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リトル・エッラ
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文筆業
奈々村久生
好きなものにだけ囲まれていたい、そうじゃないものとは関わらなければいい。そんなシンプルな世界に生きていたはずのズラタン(エッラ)が、大好きな人の恋人という存在に向き合うのは、自分と違う「他者」を尊重し受け入れる体験に他ならない。子どもらしい発想を駆使したユーモラスな演出でラッピングされているとはいえ、彼女がその現実を知らなければならないことを思うと切なくなる。これをしっとりといい話ふうにせず、ズラタンの感情や衝動のパワーに寄り添った見せ方が心地よい。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
友だちがいないから恋愛ばかりしてる人も、好きになってはいけないことになってる人を好きになる人も、不潔でグロテスクってことになってる小動物が親友な人も、誰がしたのかわからぬ大便と対話する幼女(エッラや、Dr.スランプのアラレちゃん)も存在する。みんな反道徳的かもしれないが非倫理的ではない。嫉妬は嫉妬する人自身を苦しめるから、幼い人が嫉妬してたら大人はその幼い人を愛さなくてはいけない。心が幼い人に対しては欲望は向けず、愛することだけをしなければならない。
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映画評論家
真魚八重子
確かに子どもにとって、休暇を唯一好きな親戚のおじさんと楽しめないのは残念なことだ。だが子どもが嫉妬から行う悪戯によって、大人たちが恋愛関係に終止符を打ったりするのは、真に受けすぎている。その子が後々大人になって自分のやったことを思い返したら、生きた心地がしないんじゃないだろうか。外国人で言葉が通じないとか、美術館の安っぽいアートなど、古典的ギャグがキツかった。一番魅力的なキャラクターは転校生のオットーだ。彼の暗いが一途な佇まいは存在感がある。
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インフィニティ・プール
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映画監督
清原惟
追い詰められた人間の内的世界を覘くような恐さのある作品だった。金持ちが途上国のリゾート地に行って罪を犯しても、お金を積めば自らのクローンに罪を負わせ放免されるという設定は、今の社会を考えると妙なリアリティがあるように思えた。ほとんど語らない主人公の魂が抜け落ちてる感じや、後半のあまりにもグロテスクになっていく展開のやりすぎ感は少々気になったが、クローズアップの際立つ撮影やカット割りによって、土地に流れる時間や、心理描写などが印象深く見えた。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
ちょっと意地の悪い評言だが、ブランドン・クローネンバーグの映画は異形なる巨人として屹立するフィルムメイカーの父親をいかにアモラルな地平で超克するかという“あがき”のようにも映ずる。異郷のリゾートを舞台に悪無限的に反復される殺戮のセレモニーは、これぞ果敢なるモラルへの侵犯行為と言わんばかりの露骨さだが、島民のF・ベーコン風に歪められた顔貌のイメージと相まって既視感が付き纏う。とはいえ「裸のジャングル」を転倒させたようなモチーフが奇妙な後味を残すのは確かだ。
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映画批評・編集
渡部幻
ブランドン・クローネンバーグの新作は、アレクサンダー・スカルスガルド(『メディア王』)とミア・ゴス(「Pearl/パール」)を起用して映画的なバネの強さが増している。一見魅惑的な表皮の下に歪で不健全な魂を隠し持つこの2人が体現するのはたがが外れた本能と欲望の極北。不快だが、あまりにも常軌を逸していくので、ひきつった笑いが沸き起こってくる。これは冷血で獰猛な現代の階級風刺。ブランドンに父デイヴィッドの透徹したロマンティシズムは感じないが、独自の生命を宿らせていると思う。
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ゴッドランド GODLAND(2022)
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映画監督
清原惟
ふしぎな夢を見ているような感覚だった。寒い土地の話だけれども、画面の隅々までいつも光があたっているような、独特の色彩がうつくしい。厳密に計算して撮影されたフレーミング、芝居だと思うが、にもかかわらず人々の生活はまるで目の前で本当に繰り広げられているような説得力がある。傍観するようなカメラも、けっして突き放すわけでもなく寄り添うわけでもなく、この土地の匂いや湿度、そして時間そのものを捉えようとしているように感じ圧倒された。犬がとにかくかわいかった!
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
デンマーク人の若い牧師ルーカスがかつての植民地アイスランドの辺境の村へ教会を建てる命を受け、旅立つ前半は過酷な自然に脅かされる受難篇。後半は村の教会が完成するまでの牧歌的かつ不穏な日々が描かれる。ダゲレオタイプに想を得た村人たちの肖像写真が印象深いが、腐蝕する事物たちの定点観測は実験映画的だ。とりわけ二人の姉妹が室内で佇むシーンはその陰影の深さにおいてカール・ドライヤーに影響を与えた画家ヴィルヘルム・ハマスホイの人物画を想起させるすばらしさである。
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映画批評・編集
渡部幻
19世紀末、デンマーク統治下のアイスランドに派遣された若い牧師。教会を建て、布教するためだが、彼の理想と支配者側の傲慢さは厳しい自然に囲まれた現実の生活に押し潰されていく。旅を描いた前半部の目の眩むロケーション撮影と流れるような映像の絵画は、ヘルツォークを彷彿とさせるほど壮大で、同時にライカートやフォードの西部開拓劇、「ミッション」「沈黙」を思い出したが、神々を知覚させる自然環境の描写は、アイスランドの山々が人の営みを見下ろす「LAMB/ラム」をむしろ連想してもいた。
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美と殺戮のすべて
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文筆業
奈々村久生
アウトサイダーカルチャーのシーンと製薬会社の過失を記録した志の高さは認めるが、映像によって語る行為において、自分が映画という表現に求めるものとは異なると言わざるを得ない。メインの被写体であるナン・ゴールディンの写真がスライドショー形式で上映されるのを彷彿とさせるような画づくりは、テーマありきで構成され、ビジュアルや言葉はそれを裏づける資料として機能する。ゴールディンの実像もその筋書き以上には見えてこない。題材と手法が必ずしも比例しないのは悩ましい。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
世界から痛めつけられている。生きているだけで痛い。〈普通〉じゃない私だけの痛み。痛みがあるから芸術を創作し、痛みがあるから恋愛する。鑑賞者の痛みを刺激して感動される。痛い恋愛してるから殴られて眼底骨折する。痛いから戦える。痛いから何らかの依存症になる。痛みなんかないほうがいい。痛みを消してくれる危険な薬物を大量生産して人を殺して儲ける〈普通〉の人非人。ナンは言う。「売春していたことは初めて話した。売春は恥ずかしい仕事ではない。けれど、楽な仕事でもない」
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映画評論家
真魚八重子
ナン・ゴールディンが仲間と、サックラー家が販売製造し中毒者を多く出している「オピオイド系鎮痛剤」に反対運動をしている。映画はナンの過去を振り返り、むしろ80年代にはLGBTQの人々が集まる店で働き、ドラッグサブカルチャーの写真を撮っていたことを語る。被写体の多くをエイズで失ってしまったことも。自己判断で麻薬をやることと、医師の処方箋によってオピオイドの中毒になるのはあまりに違う。それは謎の病気だったエイズが自己判断の死でなかったことと一緒なのだ。
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RHEINGOLD ラインゴールド
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映画監督
清原惟
実在するラッパーの自伝を基にした映画。ヨーロッパの移民のコミュニティ意識についての描写は興味深かったが、ともかく主人公の人生が嘘みたいな展開をしていくので、現実にこういうことが起きていたとはなかなか思えない。強盗をして入れられた刑務所で、ふいに子どもの頃を思い出し、机にピアノを描いて弾くシーンでは、彼の本当の姿がようやく見えたような気がした。このシーンがよかったからか、最後いろいろな描写をすっとばし、成功者になっている展開には、やや違和感も感じた。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
これが実話の映画化とは驚く。ファティ・アキンは「女は二度決断する」の冷徹な復讐鬼と化したヒロインが記憶に残るが、この映画ではクルド系のエリート音楽家の家に生まれたカターが街の不良に半殺しの目に遭い、ボクシングを学んで一矢を報いるエピソードにデジャ・ヴ感あり。ドラッグの売人に身を落とすも刑務所内で作った曲が大ヒットという古典的なジェットコースター風の貴種流離譚でもある。ラップのリズムがいつしか映画の鼓動そのものへと同調する辺りが実にスリリングだ。
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映画批評・編集
渡部幻
イラン系クルド人の両親をもつクルド系ドイツ人ラッパー“Xatar”の半生に基づく青春・犯罪・音楽ドラマ。1979年に始まり第一次湾岸戦争を通過してドイツを経由し、アムステルダムに辿り着く多言語の物語。主人公の背景も複雑だが、トルコ系ドイツ人監督のアキンは「グッドフェローズ」風の年代記スタイルで手際よく捌く。マイノリティとギャングはアメリカ映画の十八番だったが、ここでは欧州でのクルド系に応用されており、それもハッピーエンド。中身は新鮮。だが容れ物はそうでもないのだ。
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オッペンハイマー
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俳優
小川あん
クリストファー・ノーランがこれまで描いてきた宇宙物理学が歴史上の重要人物に点火した。真正面からオッペンハイマーと向き合ったノーランの映像作家としての極意が明らかになったように思える。まさに、素粒子のように思考を凌駕するほどの情報が飛び交い、人間の心理に爆発的なエネルギーが集まる。そして人物像が形成されていく! この手法に“65mmカメラ用モノクロフィルム”という最新技術が加わるのだから……。これほどの映画体験を味わうと、もう後戻りできない。
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