香取直孝 カトリナオタカ

  • 出身地:千葉県松戸市中金杉
  • 生年月日:1950年12月7日

略歴 / Brief history

農家に生まれる。県立小金高校在学中は新聞委員会の委員長として活躍、一浪後の69年4月に武蔵工業大学工学部経営工学科に進学して演劇部に入り、別役実の『黄色いパラソル』や寺山修司の『犬神』などに役者として出演。71年11月の玉川区民会館における日赤短大演劇部との合同公演をリハーサルの段階から8ミリで記録したのが、映画との出合いとなった。このドキュメントはのちに16ミリにブローアップされて処女作「心象青春記」(75)に結晶するが、この間72年暮から73年初頭にかけての武蔵工大の学費闘争にストライキ実行委員として参加、カメラを買う余裕のないままに友人の吉崎隆と共に闘争経過をスティル写真で記録しつづけ、闘争敗北後も試験ボイコットを自らに課して一年留年したのちに74年3月に卒業、原宿学校で映画を学ぶかたわらようやく入手したカメラで今は闘争の跡片もない無人の学内風景を撮ったフィルム断片と72~73年のスティル写真とを組み合わせて「餓死風景」(75)に再構成し、作者自身の切々たるナレーションと共に最後の全共闘世代による内省のドキュメンタリーとして注目を浴びた。さらに76年は自ら主宰する映画製作集団無人島を再編しながら長編劇映画「廻廊の中」(76)に挑むも、修士論文を拒否して自殺した主人公の「渇いた幻野を彷徨える内的世界の織り成す眩暈」は余りにも晦渋な時空間処理によって、映像表現としては十全な成功を収めえず、その自閉的傾向が憂慮されるにいたった。ところが三年後にまず8ミリで撮られ16ミリにブローアップされた「市民伝説」(79)では同じく虚構のフォルムをまといつつも、今は平凡なセールスマンとして市井に生きるかつての全共闘世代の日常を淡々と追って自ら「既成の青春同化映画に対するアンチ的劇映画」と揚言した通りの水準を示して、〈オフシアターフィルムフェスティバル79〉で高林陽一審査員から「この作品の文体は、80年代が、映像の個人所有の時代であることを、明確に予感させる、たしかな“個的世界”を形象している」と絶賛されて入選した。さらに80年代に入るや従来のペンネーム“久保内孝”から本名の“香取直孝”に戻ってフィルム工房を設立、水俣での長期取材の成果を「無辜なる海」(83)にまとめて世に問い蓮實重彦によってその年の朝日新聞ベスト5に選ばれたのをはじめ、土本典昭らを受け継ぐドキュメンタリーの新世代としてさらなる変身を重ねる。何よりもまず水俣のヘドロの海へザンブとばかり飛び込んで水中撮影に挑む冒頭シーンからして、水俣病に苦しむ記録対象とあえて共生共苦しようとする記録主体そのものの誠実にして不屈な魂が呈示されて美しく、以降の記録過程もまた三組の家族を通してチッソ公害が今や不知火海の広汎な周辺部へと拡大しつつある状況を浮き彫りにして、作者自身によるインタビューともどもまさに真摯と言うほかはない。以降は有機無農薬の八百屋を経営しながら原発をテーマにしたドキュメンタリーを準備しているが、その全フィルモグラフィを通してこの作者ほど全共闘世代としての出自と市民社会への復員という二重の苦渋にこだわりつづけ、そこからの転生に投企しつづけてきた例も珍らしい。83年4月15日に結婚、一男一女あり。

香取直孝の関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • 無辜なる海 1982・水俣

    制作年: 1983
    発生してから四半世紀がたったにもかかわらず、依然病気に苦しむ水俣病被害者たちの生活を追ったドキュメンタリー。製作・演出香取直孝。撮影樋口司朗。音楽白木芳弘。編集掛須秀一。1983年10月完成。16ミリパートカラー80分。

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