西部邁 ニシベススム

  • 生年月日:1939年3月15日
  • 没年月日:2018年1月21日

西部邁の関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • ベオグラード1999

    制作年: 2009
    1970年の自衛隊市ヶ谷駐屯地、三島由紀夫・森田必勝割腹自殺事件に衝撃を受けた活動家が集まり、鈴木邦男を代表として発足した右翼民族派団体「一水会」の国内外での活動を記録したドキュメンタリー。1999年。平成天皇の在位十年記念式典が行われ、日の丸と君が代が国旗・国歌として法制化、日本国内のナショナリズムが異様に高揚してきていた時期。金子遊監督は自分の内側にも芽生え始めていた「内なるナショナリズム」の問題を探るためにカメラを持ってフィールドワークを開始。そんな折、バビロン音楽祭に出演する恋人の姿を16ミリフィルムに収めるため、イラク戦争前のバグダッドへ入る。恋人はそれがきっかけで新右翼「一水会」の事務局で働きだし、当時、書記長だった木村三浩に急速に接近していく。木村が行うトークショー、三島・森田を祀る「野分祭」、一水会フォーラムにおける西部邁の講義、新宿駅前における雨宮処凛らの街宣活動、アメリカ大使館前での暴力的なデモ行動に付き添ううちに、監督は徐々に木村の人物に魅了されていく。それまでの右翼のイメージとは違い、木村の論法は、論理的に緻密であるとともに、若者の社会への疑問に答えるだけの「熱」を帯びているように見えた。街頭での演説で木村がNATOによる空爆直後のユーゴスラビアへ渡航することを知り、随行して首都ベオグラードへ入る。そこで待っていたのは、民族浄化の虐殺者として名を知らしめていたV・シェシェリ(セルビア副首相)、ユーゴスラビアの大統領、セルビア民兵の指導者たちだった。そして、帰国後の木村には或る褒賞が待っていた。旅に随行したカメラが可視化したものは、右翼と左翼市民運動家ということ以上に、本質的に木村と監督のあいだを隔てる「ある秘密」であった。それから10年。2005年の一水会相談役の見沢知廉の自殺、2006年一水会事務局で5年間働いた元恋人の突然死に衝撃を受けた監督は、再びカメラを取り上げる……。
  • レフト・アローン 第1部

    制作年: 2004
    「百年の絶唱」の井土紀州監督が、思想家・[糸圭](スガ)秀実と60年代の学生活動家たちと対話を重ね、ニューレフト運動の歴史を振り返るドキュメンタリーの第一部。DVCAM作品。
  • レフト・アローン 第2部

    制作年: 2004
    「百年の絶唱」の井土紀州監督が、思想家・[糸圭](スガ)秀実と60年代の学生活動家たちと対話を重ね、ニューレフト運動の歴史を振り返るドキュメンタリーの第一部。DVCAM作品。

Blu-ray/DVDで観る