はから始まるものでの検索結果

作品情報
条件「はから始まるもの」の作品 5181件)

人物
「はから始まるもの」を人物名に含む検索結果 8280件)

記事
「はから始まるもの」の検索結果 50件)

  •   若手実力派女優を主演に迎え、気鋭のCMディレクターがメガホンを執ったショートストーリーズ「わたしと、私と、ワタシと、」が、9月2日(土)より新宿K‘s cinemaで公開。キービジュアルと予告編が到着した。     見知らぬ場所で目を覚ましたOLの《再生》を描いた「ただの夏の日の話」(深川麻衣主演 × 松岡芳佳監督)、子ども返りする祖父に振り回される美大生の《前進》を描いた「春」(古川琴音主演 × 大森歩監督)、進路を決められない女子高生とその親友の《選択》を描いた「冬子の夏」(豊嶋花&長澤樹主演 × 金川慎一郎監督)の3編で構成。夏と春と夏、それぞれの季節の中で揺れながら成長していくヒロインたちに注目だ。     01.「ただの夏の日の話」 前夜のアルコールが抜け切らない身体をゆっくり起こしたとき、陽月の記憶はなかった。わかったのは、窓から見える景色がたぶん東京ではないこと、部屋に見知らぬ男性が寝ていること、それが “おじさん” であること。彼女はなぜか桐生に来てしまっていた……。 出演:深川麻衣、古舘寛治、高嶋香帆 脚本・監督:松岡芳佳 2021年/25分     02.「春」 大人になっていく美大生のアミと、認知症で子供返りしていくジィちゃん。描きたいものが描けずイライラを募らせるアミは、制作や進路に自信を失っていく。そんなある日、初めて聞くジィちゃんの話に気持ちを動かされ......。 出演:古川琴音、花王おさむ、加藤才紀子 脚本・監督:大森歩 2018年/27分     03.「冬子の夏」 高校最後の夏。進路を決められない冬子と、唯一の理解者である親友ノエル。進学するのかしないのか、街を出るのか出ないのか。騒がしい周囲に抗うように、二人はあえてのらりくらりと過ごす。やがてノエルが将来を見据え、冬子が苛立ちと焦りを募らせる中、彼女らはひまわり畑で岐路を迎える……。 出演:豊嶋花、長澤樹、関太(タイムマシーン3号) 監督:金川慎一郎 企画・脚本:煙山夏美 2023年/20分     ©2023 わたしと、私と、ワタシと、 公式ホームページ:https://www.watashi-films.net
  • 1961年の監督デビュー以降、「男はつらいよ」シリーズ、「幸福の黄色いハンカチ」「息子」「たそがれ清兵衛」など数々の名作、ヒット作を生み出してきた山田洋次監督。その記念すべき90作目となる「こんにちは、母さん」の公開(9月1日より)が控える中、63年の監督キャリアを辿る初のオフィシャルWEBサイト【山田洋次 Official Site】がオープンした。 トップページには、今に続く監督人生の軌跡を辿るように、様々な時代の写真をローテーションで掲載。若かりし頃の姿や、「男はつらいよ」シリーズで主演を務めた渥美清さんとの貴重な2ショット写真なども見ることができる。 また、全90作品を網羅した「FILMS:作品一覧」ページには、各作品に向けた監督自身の「演出のことば」も掲載されており、山田監督のプロフィールや最新情報なども掲載され、今後もコンテンツを追加予定だという。今後の展開に注目していきたい。 ▶【山田洋次 Official Site】はこちら ©松竹株式会社
  •   「浜辺のゲーム」の夏都愛未監督が松井玲奈を主演に迎え、福岡と佐賀を舞台に3人の異母姉妹によるドラマを綴った「緑のざわめき」が、9月1日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかで全国順次公開。予告編ならびにシスターフッドを体現するキャスト陣のコメントが到着した。     大江健三郎や中上健次の文学にインスパイアされた監督が、血脈や性と聖の繋がりをテーマに紡ぎ、第18回大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門に出品された本作。8月上旬よりMotionGalleryでのクラウドファンディングも始まる。     【コメント】 〈絵里役:川添野愛〉 登場人物それぞれの、社会と自分との付き合い方や向き合い方が印象的で、私は自分自身についても改めて考えさせられました。 そういう意味では、私の演じた絵里は、側から見るとずっと危なっかしくて(笑) 衝動に抗うことなく進み、傷つき、少しだけ学んで。これをひたすら繰り返して。 それでも前に進み続けることだけはやめない。 どうしょうもないけどなんだか見捨てられない絵里が私は大切で、愛おしかったです。 このお話の中で時折ざわざわと吹く風が、主人公となるこの3姉妹や、3姉妹の周りの人たちの運命を強く優しく不気味に誘います。 抗うことのできない事実と、出会いによって交差していく思いと、それぞれがどう向き合っていくのか。 私もみなさんと共に見届ける日が楽しみです。 〈まゆ役:加藤紗希〉 岡崎さん演じる菜穂子のふとした時に、憂いを帯び、運命を受容していくような表情が目に焼き付いています。くだらないことを話し、ただただ楽しい時間を共有しつつ、気を遣わなくていい関係ゆえに少し不穏な雰囲気になったりする友人関係。脚本を読んでいても演じていても、過去に友人と交わした会話や大切な旅行の記憶が思い起こされ、はっとする瞬間が度々ありました。 佐賀の自然は本当におおらかで美しく、表情豊かな景色たちは三姉妹の様々な感情と混じり合いながら画面を彩っていることでしょう。 わたしも映画館の大きなスクリーンで観るのが楽しみです。 〈彩乃役:渡邉りか子〉 「緑のざわめき」というタイトルそのままに、脚本に書かれた文字からだけでも佐賀の緑豊かな景色が浮かび、人間以外の生命力も宿っているような印象を受けました。一見穏やかに時が進むようで、その美しい景色の中にピンと張り詰めた緊張感があり、その糸を観客も一緒に、繊細に寄り添いながら辿っていく、そんな映画になるんじゃないかと感じました。 私が演じた女子会メンバーの1人・川崎彩乃は、思ったことを正直に口にする気持ちのいい子です。我が女子会の治安の維持、平和に穏便に!そのことを重視して現場に居ました。全員バラバラで愛おしくて、楽しかったです。 夏都監督が生み出したこの作品は、一言では言い表せず、とても複雑です。それが私にとって、ものすごく信じられました。人に届ける上ではこうして何かしら言語化して伝えなければいけない場面がありますが、観て、受け取って頂く皆さんは言語化しなくたって良いです。その気持ちを、いいね、だけでもしてくれるととても嬉しいです。 出来る限り、映画館という場所で体感してください。何か言葉にならないものを感じてくだされば、この作品の一員としてとても光栄です。 〈保奈美役:松林うらら〉 夏都愛未監督が紡ぐ繊細な言葉の在り方に、先ずは共感をし、同じ女性として抱える傷み、運命、独特な世界観が私は好きです。綺麗な姿をしているようで、猛毒が入っていて、カオスで。   江口保奈美という存在は、松井玲奈さん演じる主人公、小山田響子の幼馴染という事で、彼女の傷みを誰よりも広大に受け止めている方なのかとおもいました。目の前にいる響子(玲奈さん)はとにかく透明感に満ち溢れ、真っ直ぐ美しい目でした。2人が過ごした時間、空気を想像し、大切にしました。   豊かな佐賀の自然たちと葉脈で繋がる性と聖。ある意味でアルファ波効果映画になっているのでは。夏が残る秋、安らぎの時間になりますように。       Story 痴漢被害のトラウマを抱えて生きてきた響子(松井玲奈)は、女優を辞め、東京から生まれ故郷のある九州に移住しようと福岡へ。そこで元カレの宗太郎(草川直弥)と再会する。 響子をストーキングする菜穂子(岡崎紗絵)は、実は異母姉妹であることを隠して響子と知り合いに。 施設に預けられていて、8年前から佐賀県嬉野で叔母の芙美子(黒沢あすか)と暮らす高校3年生の杏奈(倉島颯良)は、自分宛の手紙を勝手に読んだ叔母に不信感を募らせていた。そして「まずは話してみませんか?」という支援センターの広告を見て、電話口の菜穂子に悩みを打ち明け始める。同じ頃、透(林裕太)は思いを寄せる杏奈とうまくいくよう、集落の長老・コガ爺(カトウシンスケ)を訪ねていた。 就職活動が実を結ばず、 地元の嬉野に戻って親友の保奈美(松林うらら)に相談した響子は、ひょんなことから杏奈が異母姉妹だと知ってしまう。菜穂子は、宗太郎に恋焦がれる絵里(川添野愛)らいつもの女子会メンバーでの旅先を嬉野に決め……。   ©Saga Saga Film Partners 配給:S・D・P ▶︎ 松井玲奈主演。新鋭・夏都愛未監督が紡ぐ異母姉妹3人の物語「緑のざわめき」
  • 約1年半が経つも、いまだに続くロシアのウクライナ侵攻。その戦禍の惨状をありのままに伝えるドキュメンタリー「マリウポリ 7 日間の記録」は、2023年4月15日に公開されてから全国各地で上映が続いている。7月29日にはキネマ旬報シアター(千葉・柏)で上映され、上映後には「この世界の片隅に」の片渕須直監督によるトークショーが行われた。 「この世界の片隅に」では、第二次世界大戦中に戦況が悪化し大切なものが奪われていく日本で、前を向き日々の暮らしを愛おしみながら生きていく主人公すずを描いた片渕監督。現在進行形で起こっているウクライナ侵攻を映した本作をどのように捉えたのか? 監督の遺志を引き継ぎ、この映像を何とかして届けたいという思いを感じた ──まずこの映画をご覧になられた率直な感想は? 「この世界の片隅に」では、戦争中の市民生活がいかに損なわれていくかということを中心に描いたんですが、こうやってドキュメンタリーで観ると、壊れてしまったものはもう日常ではないんだなという気持ちが押し寄せてきました。日常というものは彼らの前から消えてしまって、そこで生活はしているんだけど、それが戻るべき家がある日常とは違っていて、安らぐこともできない、宙ぶらりんにされてしまった時間が続いていて、そういう中にいる辛さが湧き上がってきました。 ──スマホで撮影され、ナレーションもなく、家が破壊され教会の中に避難している状況が淡々と描かれているが マンタス・クヴェダラヴィチウス監督は撮影8日目ぐらいに親ロシア分離派勢力に拘束され、撃たれて殺害されました。撃たれてしまった理由は、マンタス監督にあざがあったため、小銃を撃った際の衝撃でできた痕と思われ、狙撃兵と疑われてしまい殺されてしまったと言われています。そして、助監督であったフィアンセらが遺体と撮影素材のスマホをロシア領内を通って運んでいく。スマホは絶対に見つからないように車の内張りの奥に隠して持ち帰ってきたようです。 そのスマホにあった映像をスタッフが編集している。僕の目からみると、音っていうのはカットとカットの間がブツっと切れちゃうのですが、それが切れて聞こえないように、物凄く巧みに音の配置をやり直してあって、それが一つの時間の流れ、一つの場所っていうのを表す作品として出来上がっているのだなと思いました。 編集というところでも、観客の小さな視点から誘導していって、だんだん大きなものに視点を拡げていく、教会の全体像やここがマリウポリということも、途中で教会の正面が写って初めてマリウポリというのがわかる。そういった構成が映画としても実に巧みに組み立てられていたなと。この映画の素材に取り組んだスタッフたちが、監督の遺志をきっと物凄く大事にして、この映像を何とかして届けたいという気持ちを持ってやったんだなというのが、映画を観ながら感じました。 音楽が入っていないんですが、砲撃の音がずっと聞こえている。さっき言ったように、ここは本当に日常が破壊されてしまって、日常が残っていない土地なんだということをずっと音が訴え続けていたように思います。 身近な視点を描くことで生まれる、戦争に対して訴える力 ──侵攻後に変わってしまったウクライナの街 ウクライナへの侵攻がはじまる直前ぐらいからツイッターなどでも注視していて、Googleマップで経路を入れると渋滞がわかる機能があるのですが、友人がおかしな渋滞があると言って、ロシア軍が国境の手前にいるように見えるというようなことを話したりしていました。また、Googleマップのストリートビューでみると、戦争が起こる前のウクライナの人々の生活がそこに封印されるように残っていて、普通に自転車でスーパーマーケットに買い物に行っている様子が写っている。キーウ郊外のブチャっていう街なんですけど、そこでは自転車に乗ったままロシア軍に撃たれて亡くなった人や集団墓地ができたり、そういった場所だったんです。最近までそこにあった以前の人々の姿を見ると、戦争が何を壊していったのかが本当によくわかります。 ──マンタス監督は「戦争を撮りたいわけじゃない、人を撮りたいんだ」と言われていましたが、片渕監督と通ずるものは? 僕が第二次大戦中の映画を作ったのは、我々の中から戦争に対しての気持ちとか記憶とかが消えていくことに対して、もう少し繋ぎ留めたいという気持ちがあったのですが、彼の場合はその中に入っていくわけですよね。クリミア危機の時にもマリウポリを撮影していたりして、そういう中に入っていくことには、意志としてのすごく大きなものが必要だなと思って、そこで自分も同じですとはなかなか言えないです。とはいえ、誰の上に爆弾が落ちてきて、誰の上に砲弾が落ちてくるのか、そこにいるのがこの映画で出てきた猫を抱っこして離さなかった子供だったりするかもしれない。そういう事を思うと、突然そういうものが愛おしくなる。それが戦争に対しての自分の気持ちを作っていくようなところがある気がします。 ちょっと前にロシアの軍事戦略を研究している東京大学 先端科学技術研究センターの小泉悠さんと対談させて頂いたのですが、小泉さんがたまたま「この世界の片隅に」を観たときに、それまではロシア軍の核兵器がこれぐらいの量があって、どういう戦力で使われるのかと思っていたのだけど、市民の側から描いた映画を観てふと思ったのが、そういうものが落ちてくるのが “自分の妻や娘の上何だな” ということを痛感したというようなお話をされていて、上から見ると街は地図のように広がっていて誰が住んでいるか一人一人見えないんですけど、人のいる地上から見える人々の姿っていうのは、戦争というものに対して大きく訴える力を本来なら持っているはずだなと思うんですね。ただ、それを人を人とも思わないっていうことが実際の戦争を動かしているわけなので、ある意味それでも変えられない痛さみたいなのを感じざるを得ないです。 一番最後に出てくる家を破壊されて、30年以上働いてきて「俺の生活はどうなるんだ」とおしゃっていた方が、大事に飼っていたセキセイインコの死骸を拾うんですが、ポイって放り投げるシーンがあります。あれはそれまでの鳥を飼っていた気持ちが本当に損なわれて、めちゃめちゃにされちゃったんだなという逆の表れのような気がして、あの場面こそ、心がこういう中で荒んでいく、あるいは感情を抱かないようにしないと生きていけないっていうか、そういうものを表していたような気がします。 最後に片渕監督は、「こんな風に映画を撮った映画監督がいて、彼が撮った作品ももちろんですが、マンタス・クヴェダラヴィチウス自身のことも皆さんの心に刻んでください」と締めくくった。 「マリウポリ 7 日間の記録」は、キネマ旬報シアター(千葉・柏)で8/4(金)まで上映されるほか、その後も長野、名古屋、埼玉、鹿児島などでも上映が予定されている。 制作=キネマ旬報社   https://youtu.be/t7ytHCmSCx4 作品概要 2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻によって、廃墟と化した東部ドンバス地方のマリウポリ。その戦禍の惨状で生きる人々の7日間を、私情や感傷を交えずに記録し、リアルに追体験させるドキュメンタリー。監督はリトアニア出身で、人類学者からドキュメンタリー監督に転身したマンタス・クヴェダラヴィチウス。2016年にマリウポリの人々の日々の営みを記録した「Mariupolis」(日本未公開)を発表した監督は3月に現地入りし、破壊を免れた教会に避難していた数十人の市民と生活を共にしながら撮影を開始した。カメラに収められたのは、死と隣り合わせの悲惨な状況下でも、普通におしゃべりを交わし、助け合い、祈り、料理をし、タバコを吹かし、また次の朝を待つ住民たちの姿だった。だが3月30日、監督は同地の親ロシア分離派に拘束され、殺害されてしまう。助監督だった監督のフィアンセによって撮影済みの素材は遺体とともに帰国し、製作チームが本作を完成させた。2022年5月、第75回カンヌ国際映画祭で特別上映され、ドキュメンタリー審査員特別賞受賞。 今後の上映予定 ■千葉  キネマ旬報シアター  7/22(土)~ 8/4(金) ■長野  長野相生座・ロキシー 7/28(金)~ 8/3(木) ■名古屋 大須シネマ      8/5(土)~ 8/6(日)+ 8/16(水)~ 8/18(金) ■埼玉  深谷シネマ        8/6(日)~ 8/12(土) ■鹿児島 ガーデンズシネマ     8/7(月)+ 8/9(水) ■埼玉  川越スカラ座       8/12(土)~ 8/18(金) 監督:マンタス・クヴェダラヴィチウス リトアニア北部ビルジャイ出身。ヴィリニュス大学歴史学部を卒業。専攻は考古学。2001年から2003年にかけてはニューヨーク市立大学大学院センターの文化人類学博士課程に入学し、2007年にはオックスフォード大学を卒業して社会文化人類学の修士号を取得。2013年にはケンブリッジ大学から社会人類学の博士号を取得した。マルチリンガルであり、母国語のリトアニア語の他、英語、ロシア語、スペイン語、ギリシャ語を話す。人類学者から映画監督に転身したクヴェダラヴィチウスは、類まれなヒューマニズムと映像センスで紛争地帯の空気を伝えてきた。フィンランドとリトアニアの合作で、アキ・カウリスマキがプロデューサーを務めた『Barzakh』(2011年)でドキュメンタリー監督デビューを果たし、ベルリン映画祭ほか各賞を受賞した。2022年3月30日、ウクライナ、マウリポリで死去。 ©2022 EXTIMACY FILMS, STUDIO ULJANA KIM, EASY RIDERS FILMS, TWENTY TWENTY VISION 後援:リトアニア共和国大使館 配給:オデッサ・エンタテインメントTOMORROW Films. 配給協力:アーク・フィルムズ
  •   フランスで養子縁組されて育った25歳のフレディは、初めて母国の韓国に戻り、友人の力を借りて実の両親を探し始める──。2022年カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、2023年にはアカデミー賞国際長編映画賞カンボジア代表に選出、ボストン映画批評家協会賞作品賞に輝くなど高い評価を得た「ソウルに帰る」が、8月11日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほかで全国順次公開される。このたびダヴィ・シュー監督および主演した韓国系フランス人アーティスト、パク・ジミンの来日が決定(8/10の特別先行上映でトークイベント、8/11に2度の舞台挨拶を実施)。さらに国内外著名人のコメントが到着した。   [caption id="attachment_27873" align="aligncenter" width="850"] パク・ジミンとダヴィ・シュー監督[/caption]   〈コメント〉(順不同・敬称略) パク・ジミンはカメラに抵抗していた。映画や人物や事件に身を捧げず、絶えず抜け出そうとする俳優を見た。 ──クレール・ドゥニ(『ハイ・ライフ』監督) この映画のことが頭から離れない。時代を超えた作品。パク・ジミンの素晴らしさには度肝を抜かれた。 ──ルル・ワン(『フェアウェル』監督) 『ソウルに帰る』は今までどこにもなかったような、見たことのなかったような映画だったと深く爪痕を残してくる。それは映画の語りのみならず、フレディの人物造形がどこまでもユニークだったからだろう。「帰る場所」と思える場所がどこであったとしても、その場での、誰かとの一瞬の触れ合いの残響で人生は続く。 ──児玉美月(映画文筆家) 夜の街を突き進んでいく感覚がある。思いつきの旅をヒロインと共に歩んでいく特別な感覚がある。すべてを知りたいけど、なにも知りたくない。変わりたいけど、変わりたくない。優しくしたいのに、冷たくしてしまう。自分の中にある小さな、しかし譲れないプライドが矛盾を生む。陽気さの中に怒りを。傲慢さの中に抵抗を。ヒロインの矛盾する「旅」に感情の歩調が重なるとき、この映画は特別なものとなる。新たな時代の傑作! ──宮代大嗣(映画批評) 主人公のフレディが初見で楽譜を見て演奏することのスリリングさについて語る場面がある。そのことが、人を求めてはみては突き放してみたりを繰り返す彼女と重なって、頭から離れない。 ──西森路代(ライター) 韓国とフランス、どっちが「本当の自分」なのか。「本当の愛」は、どこにあるのか。「強さ」を鎧のように纏い、韓国の歴史、欧米での養子システムを辿る。自分のルーツを知るまでは本心を見抜かれないよう、誰にも自分の人生を決めさせない。音楽の意味の持たされ方、カラーリングの変化、全てが人生という旅を彩る。 ──竹田ダニエル(ライター) 異邦人であるフレディと現地の人々の会話から土地の風土を描きつつ、その地に骨を埋めるであろう人が言外に“匂わさない”ことで、空気の生ぬるさを感じさせる ──年森瑛(小説家) ファートスシーンから惹き込まれ、フレディの旅についていこうと決めた。「わたし」はどこからやってきたのか。生まれた国を異邦人として旅する彼女の、力強さとチャーミングさ、そしてその弱さに、気がつくとわたしの目はずっと釘づけにされていた。 ──清原惟(映画監督) 「あんたなんか一瞬で消える 私の人生から一瞬で消せる」鋭利なまなざしとこの強烈な一言が、全てのルーツを脅かし、その言葉の意味すらも覆い被せる。フレディとユニ。2つの名を持つ彼女は、「雑踏」「地位」「自然」「静寂」を巡りながら自身を開拓し、いつの日か居心地の良い場所に根を張るのだ。 ──小川あん(俳優) 韓国を去り、母語の韓国語を手放して、外国語であるフランス語で書くことを選んだ『砂漠が街に入りこんだ日』の小説家グカ・ハンが、俳優として演技する姿を目にする日が来ようとは。韓国で生まれたにもかかわらず、国際養子に出されフランスで生まれ育ったために、韓国語を一切解さない主人公を手助けする通訳として、彼女はその心もとなげな、今にも消え入りそうな声で、独特の存在感を発揮している。通訳や翻訳が本質的に優しさや思いやりに基づいていること、だからこそ時に小さな嘘も辞さない、不誠実な行為になりえることをほのめかす前半部分は、通訳・翻訳論としても秀逸。言葉や文化、さらにはそれらに縛られざるをえない人間について鋭い洞察が散見されるだけに、後半、物語が思ってもみなかった方向に転がり出してあっけにとられた。見ているものの安易な予想を軽々と飛び越えていく快作。 ──原正人(フランス語翻訳)     Story 韓国に生まれ、フランスで養子縁組されて育った25歳のフレディは、ふとしたきっかけで、初めて韓国に戻ってくる。しかし自由奔放なフレディは、韓国の言葉や文化に馴染めず、誰とも深い関係を築けない。そんな中、フランス語が堪能で親切な韓国人テナの手助けを得て、実の両親について調べ始めるが……。   「ソウルに帰る」 監督・脚本:ダヴィ・シュー 撮影:トーマス・ファヴェル 編集:ドゥニア・シチョフ 出演:パク・ジミン、オ・グァンロク、キム・ソニョン、グカ・ハン、ヨアン・ジマー、ルイ=ド・ドゥ・ランクザン 2022年/フランス、ドイツ、ベルギー、カンボジア、カタール/119分/1:1.85/カラー 字幕翻訳:橋本裕充 後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本 配給:イーニッド・フィルム ©AURORA FILMS/VANDERTASTIC/FRAKAS PRODUCTIONS/2022 公式サイト:enidfilms.jp/returntoseoul