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  •   レッド・ツェッペリンの偉大なるギタリスト、ジミー・ペイジに心酔し、彼になりきることをライフワークとする日本人・ジミー桜井。その軌跡を追ったドキュメンタリー「MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男」が、2025年1月10日(金)より新宿シネマカリテほか全国で順次公開される。ポスタービジュアルが到着した。     雪に閉ざされた新潟県十日町市。ティーンエイジャーの桜井昭夫は、レコードで埋まった自室でレッド・ツェッペリンの世界に没入していた。やがて東京に出て、昼は着物のセールスマンとして働き、夜はジミー・ペイジのギター・テクニックと人格を身につけた“Mr. Jimmy”ことジミー桜井となる。そして35年間、東京の小さなクラブでツェッペリンのビンテージ・コンサートを精巧に再現してきたところ、突如としてジミー・ペイジ本人が現れた。そこで昭夫の人生は変わる。ペイジに称えられた彼はサラリーマンを辞め、家族を置いてロサンゼルスに移住し、コピーバンド〈Led Zepagain〉に加入。しかし方向性の違いでメンバーと衝突し、理想と現実が交錯する──。 常軌を逸した執着で、ジミー・ペイジ公認という奇跡を起こしたジミー桜井。そのユニークなサクセスストーリーから目が離せない。   「MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男」 出演:ジミー桜井 製作・監督・編集:ピーター・マイケル・ダウド 撮影:アイヴァン・コヴァック&マシュー・ブルート 音楽録音&ミキシング:ジェフリー・ジュサン 2023年/アメリカ・日本/日本語・英語/16:9ビスタ/114分/5.1ch 英題:Mr. Jimmy 提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム ©One Two Three Films 公式サイト:https://mr-jimmy-movie.com
  •   兄弟の音楽デュオ〈ドニー&ジョー・エマーソン〉の実話をもとに、ケイシー・アフレック主演で描いた家族の物語「ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた」が、2025年1月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国で公開される。ティザービジュアルが到着した。     1979年、ワシントン州の田舎町。兄と音楽デュオを結成した10代のドニーは、父が建てたスタジオでアルバム『Dreamin’ Wild』を完成させる。しかし注目を浴びるに至らず、夢に手が届くことはなかった。それから30年。ドニーはアルバムがコレクターにより発掘され、“埋もれた傑作”として人気を博していることを知る。だが思いがけない成功により、目を背けてきた過去と向き合うことに──。 メガホンを執ったのは、「ブロークバック・マウンテン」「アメリカン・ユートピア」の製作総指揮や「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」の監督を務めたビル・ポーラッド。そしてドニーの妻ナンシーを「(500)日のサマー」のズーイー・デシャネル、青年期のドニーを「クワイエット・プレイス」のノア・ジュプが演じる。映画は第79回ヴェネチア国際映画祭でワールドプレミア上映された。音楽への情熱と家族の絆が、時を経て再び輝く注目作だ。   ティザービジュアルを手掛けたサイトウユウスケのコメント 当時のレコードを誰かに掘り起こされることでそこにパッケージされていた十代の自分と出会うことになる。きっと誰の心にも十代の自分がいて、そいつはきっといつも自分を見ている。「どうだい、そっちはうまくやってるかい?」そんな言葉が聞こえた気がした。     「ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた」 監督・脚本・製作:ビル・ポーラッド 出演:ケイシー・アフレック、ノア・ジュプ、ズーイー・デシャネル ​​2022年/アメリカ/カラー/2.35:1/5.1ch/111 分/G/英語 原題:Dreamin' Wild 配給・宣伝:SUNDAE ©2022 Fruitland, LLC. All rights reserved. 公式サイト:sundae-films.com/dreamin-wild
  •   鑑識課警察犬係のハンドラー・青葉一平には、なぜか相棒の警察犬オリバーが、酒と煙草と女が好きな犬の着ぐるみのおじさんに見えてしまう──。オダギリジョーが脚本・演出・編集・出演(オリバー役)を担い、NHKで2021年より2シーズンにわたって放送されたドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』が映画化。ドラマ版と同じ役どころをオダギリが務め、「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」のタイトルで2025年秋より公開される。 第1弾キャストとして、引き続き池松壮亮、麻生久美子、本田翼、岡山天音、黒木華、鈴木慶一が出演することが発表された。     池松壮亮は青葉一平役、麻生久美子は一平の上司で隙あらばトイレで前髪を切っているムードメーカーの漆原冴子役、本田翼は一平の同僚で警察犬ラッキーのハンドラーである柿崎ユキナ役、岡山天音は一平の後輩でオリバーに「現代っ子」と呼ばれる三浦役、黒木華は京都弁を喋りオリバーに苦手がられる刑事ゆかり役、鈴木慶一は警察犬のベテラン飼育員で渋沢栄一に間違われる志村役をドラマ版で演じていた。映画で彼らはオリバーとどのように絡むのか、詳細は続報を待ちたい。   「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」 脚本・監督・編集・出演:オダギリジョー 制作プロダクション:メディアミックス・ジャパン 配給:エイベックス・フィルムレーベルズ © 2025「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」製作委員会 公式サイト:https://oliver-movie.jp/
  • [caption id="attachment_42841" align="aligncenter" width="1024"] 右から斉藤直樹、成河、松田慎也 / 撮影:宮川舞子[/caption] 2作連続で米アカデミー賞作品賞候補になった「スリー・ビルボード」「イニシェリン島の精霊」の脚本・監督で知られ、今や英語圏を代表する映画作家として君臨するロンドン出身のアイルランド系イギリス人マーティン・マクドナー。彼がキャリア初期に発表した戯曲『ピローマン』が、東京・初台の新国立劇場で上演中である。演出は小川絵梨子。同劇場の芸術監督でもある彼女が、おそるべき猟奇性、情熱、狂気、死生観が乱反射するこの衝撃作を、今回どのように仕上げているか興味は尽きない。キネマ旬報ベスト・テンで「スリー・ビルボード」はみごと2018年の1位、「イニシェリン島の精霊」も2023年の6位に輝いている。マーティン・マクドナーのもうひとつの顔である劇作家としての代表作を、映画評論家・荻野洋一が詳細にレビューする。 今をときめく映画作家の原点=演劇 [caption id="attachment_42842" align="aligncenter" width="1024"] 右から那須佐代子、成河、大滝寛 / 撮影:宮川舞子[/caption] マーティン・マクドナー脚本・監督の映画「イニシェリン島の精霊」(2022)は「精巧に作られた“嫌な気分にさせる”傑作」と賞賛され、米レビュー収集サイト「Rotten Tomatoes」で高評価率97%を叩き出した。しかしマクドナーにとって、これが過去に執筆した戯曲の焼き直しであることは、意外と知られていない。しかも元になった戯曲「イニシア島のバンシーズ」は執筆当時のマクドナー本人とって不本意な出来だったらしく、破棄されたまま一度も舞台上演されていない。そんな「失敗作」が映画作品として発展的に甦り、ゴールデングローブ賞で作品賞、主演男優賞、脚本賞の3冠を獲得してしまったのだから、作品の運命とはなんとも皮肉な辿り方をするものだ。 マーティン・マクドナーは若い頃から演劇よりも映画製作に憧れており、2010年代以降の映画界における彼の活躍を見ると、「少年時代からの夢をついに実現したのですね」と祝いたい想いに駆られる。しかし今日の彼があるのはやはり、ツワモノひしめくイギリス演劇界において長きにわたり大絶賛のシャワーを浴びてきた演劇作品の数々のおかげである。特に今回上演されている『ピローマン』は2003年にロンドンで初演されてセンセーションを起こし、ローレンス・オリヴィエ賞の新作演劇作品賞を受賞した代表作のひとつだ。 『ピローマン』は日本の演劇人たちも惹きつけ、長塚圭史演出によるPARCO劇場での公演をはじめとして、くりかえし上演されてきた。新国立劇場の芸術監督でもある演出家・小川絵梨子は今回、どのような息吹を同作に吹き込んだのか? 期待感にあふれて場内に足を踏み入れた私たち観客は、センターステージを目撃する。そこには警察の取調室らしき空間に机、椅子、書類棚などが無造作に置かれ、カーテンで仕切られた半円形の怪しげな寝室、そして廊下への出口がしつらえられている。舞台の前後両側に観客席が設けられ、バルコニー席が上段4面を囲んでいる。まるでテニスの選手権会場のようだ。そう、ここは殺人事件をめぐる言葉の応酬をラリーとして凝視するための劇空間であると同時に、過去と現在のラリー、現実と空想のラリー、愛と暴力のラリーにも変化していくのである。 イギリス演劇とアイルランド文学のミックスによる苛烈さ [caption id="attachment_42843" align="aligncenter" width="1024"] 右から那須佐代子、成河、大滝寛 / 撮影:宮川舞子[/caption] 食肉工場で働きながら、作家として生きる青年カトゥリアン(成河)が、理由もわからずに警察に連行され、この殺風景な空間で尋問を受けはじめる。カトゥリアンは自分が無害な一市民であり、事件にかかわるような人間ではないと弁解し、この逮捕が不当なものだと主張するが、警察側の2人、トゥポルスキ(斉藤直樹)とアリエル(松田慎也)は容疑の姿勢をまったく解こうとしない。カトゥリアンの弁解をよそに、ショッキングな新事実が次々にあらわとなっていき、平和だった現実はガラガラと音を立てて崩壊していく。 『ピローマン』が果敢にも取り扱うのは、毒親による子どもへの虐待、そしてシリアルキラーによる児童殺人であり、こうしたテーマは昔のホラー映画ではごく普通に扱われてきた題材だが、今日においては児童福祉の観点から充分な注意と配慮を要する題材である。マクドナーはそんなリスキーな題材を臆することなく選び、さらにそこにブラックなユーモアさえもまぶしていく。私たち観客はハードな物語展開に震撼しながらも、時おり差し込まれる滑稽なセリフとふるまいに、場内からクククと笑いが漏れるが、その直後に「いま自分は笑ってしまったが、これは不適切な反応だったのではないか」という心配で客席の血の気が引いていく。誰もが非人道的な観客であるとは思われたくはないからである。 思い返せば、イギリス演劇はシェイクスピアの時代から血なまぐさい残酷演劇でもあったのだから、マクドナーの芝居はまさにそうした呵責なきイギリス演劇の伝統の末端にあるのかもしれない。また、アイルランドの血が流れる彼のペンを握る手の平は、オスカー・ワイルドの退廃が、バーナード・ショーの革新性が、ジェイムズ・ジョイスの韜晦が、サミュエル・ベケットの不条理が、そして何よりブラム・ストーカー(「吸血鬼ドラキュラ」作者)の怪奇幻想が、とめどなく脈打っているのだろう。 暴力の連鎖、悲劇の応酬をテニスの試合のように目撃 [caption id="attachment_42844" align="aligncenter" width="1024"] 左から成河、木村了/ 撮影:宮川舞子[/caption] イギリス演劇とアイルランド文学の折衷、そして作者の映画好きがミックスして創造された劇構造。今回公演のセンターステージ(小倉奈穂の美術による)は前述のとおり、テニスコートのように客席に囲まれ、公開処刑の会場となる。警察権力による取調べも拷問も、カトゥリアンが暗誦してみせる残酷的な物語の再現も、過去に起きた殺人も、児童への虐待も、すべてのことがこのセンターコートで数珠つながりに起こっていく。取調室の片隅の、ほんの数センチの段差で下がっただけの空間で虐待が再現され、薄いカーテンの陰からは少年の悲鳴と金属音が聞こえてくる。そんな生々しい光景を私たち観客はシームレスに受け取らなければならない。  小川絵梨子の今回の意図はそうしたシームレス性にあったのではないか。ロンドン初演を見た長塚圭史の証言によれば、ロンドンでは昇降式の美術セットが採用されていたそうだ。「せりが上がるとスーパーリアルな子ども部屋が現れる。取調室とカトゥリアンの物語世界が往還するようなつくりでした。」(当公演の公式パンフレットより) 今回の小川演出は、ロンドン公演における「往還」とは完全に異なり、シームレスに現在と過去が、取調室と事件現場が、陳述と暴力が、地続きのものとして、すぐ私たちの隣で発生する状況を創造している。ロシアとウクライナの果てしない戦闘が、そしてイスラエルによるパレスチナへの非道な虐殺行為が、決して私たちの日々の生活と無縁ではない地続きのできごとであることとパラレルであるがごとく、すべてのまがまがしい現実/記憶/空想/物語/朗読がこのセンターコートで絵巻としてつながっている。だから、このおそるべき『ピローマン』という演劇作品を見ることは、そこで起こる事件の現場に立ち会うことに等しいのである。 取調室での警察権力とカトゥリアンの応酬を通して、またはカトゥリアンとその兄ミハエル(木村了)とのやり取りを経て、最終的に残るのは物語である。カトゥリアンが少年時代と青春時代のすべてを賭して書いてきた分厚い原稿の束を、彼はすべてを投げ打ってでも残そうとする。これこそ彼の情熱の最後の砦なのだから。どのような苦悩、どのような災禍に見舞われたとしても、自分の書いた物語は残る。カトゥリアンが拘泥してやまぬこの情熱は、マーティン・マクドナーの心からの願望でもあるのかもしれない。そして物語に対する情熱は、演出者・小川絵梨子の耳目によって確かに繋がっていく。小川は稽古中のインタビューで次のように述べている。 「物語というものがどうして我々には必要なのか。もしくはその物語というものが、どう我々の人生に、人間性に影響していくんだろうか。作り手もそうですし、物語を読む我々との関係が明らかになっていく。生きることとか、人生とか人間というものを肯定していくものなんだというのを、私たちに語ってくれるのかなと思っています」(新国立劇場公式YouTubeより) カトゥリアンも、ミハエルも、さらには警察側の2人にとってさえ、自分たちと物語の関係が重要であることが、芝居を見ていくうちにわかってくる。なぜこれほどまでに物語への執着が作者マクドナーを、そして演出者・小川を衝き動かすのか? ――それは、物語がそれを語る者が確かに生きたというあかしそのものだからである。人間は、このあかしの尊さを知ったら最後、あらゆる困難を経てもなお、どこまでもそれを守ろうとするだろう。『ピローマン』とは、そのことを身を挺して叫び続ける演劇作品として屹立しているのではないだろうか。 文=荻野洋一 制作=キネマ旬報社  『ピローマン』 【公演期間】2024年10 月 8 日(火)~ 27(日) 【会場】新国立劇場 小劇場 【作】マーティン ・マクドナー 【翻訳・演出】小川絵梨子 【美術】 小倉奈穂 【照明】 松本大介 【音響】 加藤 温 【衣裳】 前田文子 【ヘアメイク】 高村マドカ 【演出助手】 渡邊千穂 【舞台監督】 下柳田龍太郎 【出演】成河、木村 了、斉藤直樹、松田慎也、石井 輝、大滝 寛、那須佐代子 【公式HP】https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-pillowman/
  •   「ツバル TUVALU」「ブラ!ブラ!ブラ! 胸いっぱいの愛を」といった“セリフなし映画”で知られるファイト・ヘルマー監督が、ジョージアの村でゴンドラの乗務員として働く女性二人を主人公に、小さな恋とユーモラスな復讐の物語を描写。東京国際映画祭コンペティション部門をはじめ世界中の映画祭で上映された「ゴンドラ」が、11月1日(金)より新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国で順次公開される。予告編と著名人・劇場スタッフのコメントが到着した。   https://youtu.be/krVkkCkJimI   〈コメント〉 美しいジョージアの景色も、村人たちの表情も、アテンダントふたりの行動も、そしてゴンドラ自身も、なにもかもが饒舌。 私たちは、言葉以外でこんなにも心を伝えあっている。 ──ジェーン・スー(コラムニスト/ラジオパーソナリティー) 惹かれあい愛し合っていくニノとイヴァの姿を通じて『自由とは何か?』『規則とは何の為に存在するのか?』を気づけば自問していました。 何を感じて、何が沁みたのかを観た人に聞きたくなる作品です。 ──吉田恵里香(アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』、連続テレビ小説『虎に翼』脚本家・小説家) セリフがないのはセリフを必要としないから。 音も音楽も、そして伝えるべき想いもキチンと映像に刻まれた、言葉に限定されない心のやり取りは、観ていて自然と楽しくなっちゃいます。 ──が~まるちょば(マイムアーティスト) ファイト・ヘルマーが甘美な映像言語で紡ぐ、言葉いらずのクィア・ロマンス。 行き交うゴンドラで奏でられる「どうやってあの人を笑わせよう」と思いを巡らす恋の歓びに、何度笑顔が溢れたか。 ──ISO(ライター) セリフはないけれど、会話のキャッチボールの様に行き来するゴンドラが心地良い。 ゴンドラの駆動音、村人の生活音、牛の鳴き声がジョージアの山間へと私たちを誘うヘルマーマジック! ──櫻井知友樹(シネマカリテ/営業係) 85分という時間の中に美しい映像と音楽を乗せて、ぬくもり、いじわる、たくらみ、いたずら、ちいさな恋まで映画的滋味がたっぷり。 引っ込み思案で高い所と狭い場所がちょっぴり苦手な方にぴったり ──瀧川佳典(テアトル梅田/営業係) 小さなゴンドラが想像の翼を広げる、キュートで愛おしい物語。 セリフがなくても豊かな世界にチャップリンやジャック・タチ以来の映画の素晴らしさを感じました。 ──渡邉隆介(キネマ旬報シアター/番組編成担当)     「ゴンドラ」 監督:ファイト・ヘルマー 撮影:ゴガ・デヴダリアニ 美術:バチョ・マハラゼ 出演:ニニ・ソセリア、マチルド・イルマン ドイツ、ジョージア/2023年/85分/1:1.85/5.1ch 原題:GONDOLA 配給:ムヴィオラ ©VEIT HELMER-FILMPRODUKTION,BERLIN AND NATURA FILM,TBILISI 公式サイト:https://moviola.jp/gondola