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  • 現代中国映画の「深い理解への入口」へと読者をお誘いしてみたい。そして、いま始まろうとしている20年代の映画体験、20年代の世界を生きることに備えよう。このたび公開される、中国から届いたアートフィルムには驚くべき贅沢さ、大胆な構想、鋭敏な知性が躍っている。まずは素直な驚きに身を委ねてみよう。 中国映画が、とんでもない! 中国映画、2020年代を予想する 2020年は悲惨な幕開けとなった。新型コロナウイルスの影響で、映画館はどこも休館、映画の撮影はすべて中止となった。03年のSARSのときにもあったことではあるが、今回はより長引くことが予想され、影響は計り知れない。とはいえ、感染が収束すれば映画館に観客は戻ってくるので、また映画市場も回復し、20年代のうちにアメリカを抜いて世界最大となることは確実であろう。 中国で国産映画がヒットしている背景には、国による保護政策がある。輸入映画は本数や総上映時間にも制限があり、簡単には中国で公開できない。だが、その制限も徐々に緩和されていくはずで、今後は外国映画と競争できる、更には海外でも通用しうる作品をいかに作っていくかが課題になるだろう。残念ながら今の中国映画は、制作されている本数の割に、海外で公開されている作品が少ない。それは、どの作品も興行成績を追求するあまり、スターの人気に頼ったり、過去のヒット作に類似した内容のものを作りがちで、多様性を欠いていることに原因がある。それには検閲制度や配給システムも関係しているのだが、こうした点を改善していかない限り、世界に通用する中国映画は出にくいと思われる。 中山大樹[中日映画コーディネーター] なかやま・ひろき 1973年生まれ、千葉県出身。金沢大学文学部卒。96年以降、中国の中央財経大学、上海財経大学に留学。08年より中国インディペンデント映画祭を開催。現在は、日中で上映活動や映画制作に携わる。著書に『現代中国独立電影』(講談社)   畢贛 第一章[ビー・ガン] ビー・ガン監督 「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」 色彩のアルケミア——「緑」と「赤」の恋人たち   ワン・チーウェンという謎多きダークレディのおもかげを、彼女と瓜二つのカイチンという女に見出す主人公ルオという筋書上、本作をキム・ノヴァクが一人二役を演じたヒッチコックの「めまい」(58年)と並べる批評が頻出したのは当然だろう。とはいえそうしたテーマ上の一致以上に、両作品に共通する「緑」の象徴的使用が僕には気になる。「めまい」は「ラ・ラ・ランド」(16年)のピアニストの部屋にも影響を与えた、全体的に「緑」を基調とした色彩設計で有名だが、なかでもノヴァクは黒のスーツに優雅な「緑」のスカーフを巻き付けて登場し、「緑」の車で移動をする。そうした映画的記憶をなぞるかのように、ワンは「緑」がかった廃墟の中で象徴的な「緑」のドレスに終始身を包んでいる。おまけに『グリーン・ブック』なる書物さえ出てくる。というわけで「緑色研究」(塚本邦雄)から始めようではないか。   「めまい」を彩るライトグリーンは、「ロングデイズ・ジャーニー」ではダークレディーの召し物にふさわしく、より深みのある濃緑色へと変容している。名著『世界シンボル大事典』の「緑」の項目によれば、「緑色は禍々しい夜の力を、すべての女性シンボルのように所有している」という。春のめざめを告げる緑に、「かびの腐敗の緑色が対立する」とも同事典には記述されているが、そうなるとビー・ガンがタルコフスキーから受け継いだ廃墟モチーフに、緑色のドレスの女を配置した深い意味も見えてこよう。ようは緑は腐敗感覚の色なのである。ビリー・ワイルダーの「深夜の告白」(44年)を監督自身が名指ししているように、本作の前半はフィルム・ノワールの文法に割と忠実で、そうなるとワンはこの映画ジャンル特有の「宿命の女」であることが分かる。この男を狂わせる夜の女王は世紀末デカダン派の発明であるが、「デカダンス」が「ディケイ(腐る)」なる語と語源を共にすることを併せて想起しよう。かび、腐敗、廃墟、宿命の女は、「緑」の円環上で結ばれることになる。 ここで急いで付け加えねばならないのが、ワンと瓜二つのカイチンは「赤」のレザージャケットを着ている点だ。赤と緑は補色関係にある。大沼忠弘は「色の階段――アストラル・ライトの色彩体験」(『is 総特集:色』所収)で、車のテイル・ランプが赤ではなく一瞬緑に見えたり、赤いものを四、五秒眺めたあとに白い壁を見るとその形が緑に投射されるといった残像現象を例に出しているが、そうなると主人公ルオが「赤」のレザージャケットの女に「緑」のドレスの女の残像を見たことは、緑の中に眠る赤――すなわち「赤色残俠伝」(平岡正明)の発見と知れよう。また本作に謎めいた象徴として頻出する赤リンゴであるが、青リンゴを英語で「グリーン・アップル」という符合も緑色研究家(?)の僕には見逃せない。ここからリンゴテーマで即興しよう。うらぶれた映画館でルオが3Dメガネを装着したことで始まる、後半の60分にわたるワンショット・シークエンスは夢ともうつつとも知れぬ幻想都市ダンマイのユートピア的情景で、そこでも馬の背中にのった大量のリンゴが地面を転がるシュルレアリスティックなシーンがあったが、ケルト神話の西方楽園アヴァロンが「アップル・ランド」の意味であると知ったら、これは意味深長だ。 リンゴの切り口を変えてみよう。女傑バーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』によれば、ヨーロッパの秘教的伝統において、リンゴを横から切ると芯には乙女コレを表す五芒星形が隠されているといい、それは地母神デメテルのなかに乙女コレが眠っている神話をなぞるものとされた。すると本作のリンゴは、カイチンのなかに眠るワンを表すのかもしれない(「中国人の映画にヨーロッパ神話を当てはめて何になる」とお思いのお方は、ビー・ガンが本作のリサーチ上ダンテの『神曲』を参照したことを知るべし)。 ところで上述した大沼論攷では補色関係にある二色の輪郭線を眺めていると、「線上に光がほとばしる」瞬間があるとし、それが「アストラル・ライト」だとニュー・エイジ的いかがわしさで書いているが、緑と赤は錬金術の象徴学でも密接な関わりをもつことを思えば、あながち間違いでもあるまい(エメラルドグリーンの聖杯に入った神の赤い血、というイメージ)。赤と緑が、カイチンとワンが、夢と現実が、ある「呪文」を伴ったラストシーンのキスで溶け合い、「対立物の一致」を果たす、そんな素敵な愛の寓話だ。 地球最後的夜晩 Long Day's Journey Into Night 2018年・中国=フランス・2時間18分 監督・脚本:ビー・ガン 撮影:ヤオ・ハンギ、ドン・ジンソン、ダービッド・シザレ 美術:リウ・チアン 音楽:リン・チャン、ポイント・スー 出演:ホアン・ジュエ、タン・ウェイ、シルビア・チャン、チョン・ヨンゾン、リ・ホンチ 配給:リアリー・ライク・フィルムズ 公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/longdays (C)2018 Dangmai Films Co., LTD - Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD / ReallyLikeFilms LCC. 後藤護[暗黒批評] ごとう・まもる/1988年生まれ山形県出身。『金枝篇』(国書刊行会)の訳文校正を担当中。また「高山宏の恐るべき子供たち」をコンセプトに掲げる「超」批評誌『機関精神史』の編集主幹を務める。黒眼鏡を着用。著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)。 畢贛/ビー・ガン 映画監督・脚本家・詩人   1989年生まれ、中国貴州省凱里市出身。ミャオ族。母は床屋、祖母は雀荘を営む。「凱里ブルース」に主演したチョ・ヨンゾンは叔父。  15〜16歳から詩を書き始める。高校時代、映像に興味を持ち始め、動物のドキュメンタリーを好む。また、劇映画「盲導犬クイールの一生」(03年、崔洋一監督)を好んだ。   2008年、山西伝媒学院に入学。「ストーカー」(アンドレイ・タルコフスキー監督)などに影響を受ける。   2011年、初の長篇映画「老虎(未公開、英題:Tiger)」を監督。13年、短篇「金剛経(未公開、英題:The Poet and Singer)」が香港IFVAフェスティバル、アジアニューフォースカテゴリーで特別賞を受賞。   2015年、恩師らの資金協力を得て劇場公開長篇映画「路辺野餐(凱里ブルース)」を監督。ロカルノ国際映画祭新進監督賞、ナント三大陸映画祭熱気球賞、そして金馬奨最優秀新人監督賞を最年少の26歳で受賞。   2016年、詩集が台湾で出版される。ビー・ガン曰く「映画は直接的な視覚言語であり、詩は抽象的なものです」。   2018年、後半1時間が3D・ひと続きのロングテイクとなる大胆な長篇映画「地球最後的夜晩(ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ)」をカンヌ国際映画祭ある視点部門で初公開。世界中の映画祭で上映される。この年、日本でも東京フィルメックスで初上映され、500席分が即座に完売した。  晩年のピエール・リシェントは、「象は静かに座っている」(18年)のフー・ボー監督とビー・ガンを並べ、“中国映画第8世代”と呼んだ。     ◉フィルモグラフィー 2010年 「南方」17分・監督、脚本 2011年 「老虎」70分・監督、脚本 2012年 「金剛経」22分・監督、脚本、撮影 2015年 「路辺野餐(凱里ブルース)」 110分・監督、脚本、出演 2016年 「秘密金魚」1分23秒・監督 2018年 「地球最後的夜晩(ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ)」138分・監督、脚本   もっと「中国映画が、とんでもない!」を読みたい方はこちらから
  • 成澤昌茂監督・脚本「花札渡世」(67年)は梅宮本人も「代表作」と語る名篇 ©東映 1967 ある夏の日の梅宮さんと坪内さん 梅宮辰夫、坪内祐三 追悼 伊藤彰彦 どうしようもなく厄介で人間臭い先輩――坪内祐三   梅宮辰夫のことを書こうとすると、坪内祐三のことが思い浮かぶ。二人が立て続けに亡くなったからではない。坪内が監督では内藤誠、俳優では梅宮辰夫を敬愛していたこともあるけれど(『新潮45』18年2月号で坪内は梅宮にインタビューした)、わたしがはじめて二人に会ったのが同じ夏の日だったからだ。 2010年7月21日(水)――わたしが企画、脚本を担当した色川武大原作の「明日泣く」(内藤誠監督、斎藤工、汐見ゆかり主演)の撮影初日、内藤の呼びかけに応じ、午前中は坪内が色川武大の父親役として、夜には梅宮が「地下カジノの地回り」の役で特別出演してくれたのだ。   早朝、荻窪駅西口の「マクドナルド」前で待っていると、俳優のきたろうとキムタクを足して二で割ったような男がスタコラ歩いてきた。スタッフの車に乗りこむや、その人、坪内祐三は、「あなたは高校時代に福田(和也=文芸評論家)さんとつるんでやくざ映画を観てたんだって?」と口火を切り、東映映画談議が始まった。「東映の伝統として、田中小実昌さんとか野坂昭如さんとか作家が映画に出るってことはよくあるんだよね」と坪内は蘊蓄(うんちく)を傾け、「今回のボクはいわば客演扱いだから、『人生劇場 飛車角と吉良常』(68年、内田吐夢監督)の島田正吾みたいなもんだな」という。「自信過剰だな、この人」と呆れる間もなく、タクシーはロケ地である井口家に到着する。メイク室になった旧家の台所で坪内は浴衣に着替え、肺病病みの設定なので頬にシャドーを入れた。学ラン姿で朝帰りした斎藤工に坪内が、「毎日、朝までどこほっつき歩いてるんだ? 好きなことをやっていれば自然に月日が過ぎていくと思ってるのか?」と説教する場面なのだが、テストが始まり、坪内の滑舌の悪さに驚く。ワンセンテンスで二回も嚙むのだ。さっきの自信満々な様子とこの演技のギャップは何なんだ。坪内がしきりに目を瞬(しばた)かせ、テストが繰り返される。陽はすでに高く、何度も庭をよぎって坪内のところへやって来る斎藤工の額に汗が滲み、メイク直しとなる。わたしは監督に気取られぬようそっと坪内に近付き、「坪内さん、瞬き、我慢してみてください」と囁いた。「何?」と坪内が肩を聳やかす。「浅草名画座のスクリーンに映る役者は瞬きしないでしょう?」とわたしは坪内に微笑んだ。撮影所育ちの俳優は、重要な台詞の間に瞬きすると観客の注意が目に行くので、カットの間、瞬きを堪えるのだ。「本番行ってみよう!」と内藤誠の声が響く。セリフではなく瞼に意識が行ったこともあり、本番は3テイク目でOKとなり、坪内の出番はつつがなく終わった。   翌月、シネマヴェーラ渋谷の『石井輝男 怒涛の30本勝負!!』特集で会ったとき、坪内は「あれから随分映画を観たけど、あなたが言ったことは正しいね」と言い、食事をご馳走してくれた。彼はやがて、「酒中日記」(15年、内藤誠監督)で瞬きを抑え、自分自身を演じ「明日泣く」の雪辱を果たした。   それ以降、わたしは坪内の新刊や連載を欠かさず読むようになったが、坪内の文章でもっとも襟を正したのが『蓼科日記 抄』(小学館スクウェア 野田高梧の蓼科山荘に置かれていた日記帳の抄録)を巡る次の一文だった。   《午後、『ユリイカ』の十一月臨時増刊号「総特集小津安二郎」を読んでいてきわめて不快になる。青山真治と蓮實重彥の対談で、蓮實重彥は先日刊行された『蓼科日記 抄』(小学館スクウェア)に登場する「デンマークの白熊」(デンマークの映画会社NORDISK FILMSのロゴマーク――伊藤註)に註がなかったことを話題にし、「これは註を担当された田中眞澄さんの限界なんですが、映画史家なら一発でこれを言わなければならない」と述べ、田中眞澄批判を始める。これはまったくタメにする批判でしかも事実誤認を含んでいる》   と坪内は『本の雑誌』(13年11月号所載の10月14日の日記)で書き、『蓼科日記抄』の「註記」が人名中心であり、「第一次校訂」を担当した田中が2011年末に急逝し、たため、以降の作業を関係者が引き継ぎ、田中が日記の註記の担当者ではないと、蓮實の事実誤認を指摘し、《蓮實重彥に言われるまでもなく田中氏は当然「デンマークの白熊」を知っていたはずだ》と田中眞澄を擁護した。         「やくざ対Gメン 囮」(73年、工藤栄一監督) 梅宮辰夫と松方弘樹 ©東映 1973               あらためて『蓼科日記 抄』『ユリイカ』(青土社)『本の雑誌』(本の雑誌社)を読み返すと、「映画を注視することによってしか映画を論じることは出来ない」と主張する蓮實重彥が、小津に関する様々な一次資料を発掘し、小津を映画のみならず同時代史や文化史の中に位置付けようとした田中眞澄に苛立ちを覚え、このような発言に及んだと思われる。だが、当時、映画批評の老大家に反論する映画関係者は誰もおらず、坪内のみが故人である田中の名誉を守った。わたしは『本の雑誌』を読み、文筆家としての坪内の毅然たる態度に頭が下がり、坪内がやがて田中のように、「映画と世相」の閾(しきい)を書くことを待ち望んだ。           「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」(75年、山下耕作監督) 小林旭と梅宮辰夫 ©東映 1975         そんなこともあり、わたしは二年かけて書き上げた「北陸代理戦争」(77年 深作欣二監督)のノンフィクションの出版の相談を坪内にした。彼は国書刊行会の樽本周馬を紹介してくれ、『映画の奈落 北陸代理戦争事件』(14年、国書刊行会)が本になった。わたしが文筆家としてデビューできたのは坪内のお蔭なのだ。   しかし、次作の『無冠の男 松方弘樹伝』(17年、講談社)のとき、坪内との間で悶着が起きた。16年末、病床で脳リンパ腫と闘う共著者、松方弘樹に見せようと本書の完成を急いでいたとき、『週刊SPA!』(扶桑社)に連載されていた福田との対談、「文壇アウトローズの世相放談 これでいいのだ!」(16年12月13日号)で坪内はこう言ったのだ。《伊藤さんは今、松方弘樹の本を作ってるらしくて、すごくディープみたいなんだよ。松方もそろそろ亡くなるんじゃないかと思うけど――もしかしたら亡くなったあとに本を出すつもりで待っているのかもね》。何という無神経な発言か。わたしは講談社の担当者を通じて扶桑社に抗議をし、この一文を松方の関係者が読まないことを願った。そうしたなか坪内は、『無冠の男』の完成を見ることなく松方が逝去したとき、《日本映画史的にも非常に貴重な本だ》と『週刊ポスト』(17年3月24日/31日号)で同書を褒めた――。   このように人と人とを結び付け、人を持ち上げたかと思うと落とし、近年は酒場で理由もなく憤った坪内祐三は、とても綺麗事の追悼文など書けない、どうしようもなく厄介で人間臭い先輩だった。           「昭和残俠伝」(65年、佐伯清監督) 梅宮辰夫、高倉健、松方弘樹 ©東映 1965       欲のない俳優――梅宮辰夫   2010年の盛夏に話を戻して、坪内の出番が終わって一万円を「取っ払い(当日現金払い)」で手渡し、われわれは昭和の余香が残る阿佐ヶ谷十番街に移動し、梅宮辰夫の到着を待った。 マネージャーの車から降り立った梅宮には、辺りを払うオーラがあった。   メイク中の梅宮に、内藤が「不良番長」シリーズ(68〜72年)の思い出を話し始めると、梅宮はわたしに向かいこう言った。「野田(幸男)さんより内藤さんの方がいい監督だ。野田さんは粘ってカット数も多いけれど、内藤さんは演出がアッサリしていて、早く終わって飲みに行ける」。しかし、わたしには「アッサリしている」のはむしろ梅宮の方だと思えた。「芝居の上手い役者になって評価されたいとか、賞を獲りたいとか考えたこともない。いい女を抱き、いい酒を飲み、いい車に乗るために役者になった」と公言し、主演に抜擢されても「霧の影」(61年)では丹波哲郎、「続 決着(おとしまえ)」(68年 ともに石井輝男監督)では吉田輝男といった助演俳優にあっさり食われる「欲のない俳優」に思えたからだ。上昇志向のないニューフェイスの活路を開こうと、岡田茂は、東映着流し任俠映画の裏番組として「夜の青春」シリーズ(二字シリーズ 65〜68年)「夜の歌謡曲」シリーズ(67〜74年)「帝王」シリーズ(70〜72年)の主役を梅宮に委ね、「二軍のエースにしろ」とプロデューサーの吉田達に命じ、「不良番長」シリーズを企画する。かくして「男を泣かせる鶴田 女を泣かせる梅宮」の名惹句に象徴される東映硬軟路線が始まった。そうした中、松方弘樹のように「一軍に上がろう」という野心のない梅宮は、《中村錦之助や鶴田浩二や高倉健のようなトップスターにはなれなかったが、その一つ下で来たことにはかなり満足している。なぜならトップへ行くと落ちるしかないから》(『東映映画情報・無頼』第七号)と嘯く。         『レジェンドトークVol.6 梅宮辰夫』 ©東映チャンネル                 出演作をつぶさに見てゆくと、梅宮辰夫が、東映映画史の中で稀有な「殴り込みに行かない役者」であることに気付く。「女を食い物にして生きる」二字シリーズはもとより、「二つの暴力団をぶつけ合わせて『やってる、やってる!』ってビルの上から眺めながら梅宮君が千疋屋のメロンを食ってる映画」として吉田達が発想した「不良番長」シリーズのラストは、任俠映画流の殴り込みを回避した。そして、実録やくざ映画の時代に入っても、最後に殲滅せず、「資金源強奪」や「県警対組織暴力」(ともに75年、深作欣二監督)のようにしぶとく生き延びる役柄を演じたとき、梅宮はもっとも精彩を放った。   そして、批評や賞には目もくれなかった梅宮だが、観客のことはつねに気に懸けた。《俺は自分の主演作が封切りになると、いつも、こっそり映画館に見に行ったもんだよ。誰にも気づかれないように、その日の最終回が始まる直前、映画館側の配慮で用意してもらった席にスッと座るのが常だった。そこで、お客さんの反応を確かめるわけさ》《二階席を見上げれば、通路の階段に新聞紙を敷いて座ってるお客さんがギッシリ。そこで持参したおにぎりを食べながら、映画を観ているわけだよ。いい光景だったなぁ。役者をやってて本当に良かったと思える瞬間だった》(『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』双葉社)   この自伝で梅宮は、74年、彼が36歳のときに睾丸がんになり、それが肺に転移して以降、「残りの人生を家族と過ごそう」と思ったと打ち明ける。わたしは本書を読み終え、梅宮の代表作は「不良番長」シリーズでも「仁義なき戦い」シリーズ(73〜74年)でもなく、梅宮自身と彼の人生そのものだ、と思った。   2010年――「明日泣く」の梅宮は、斎藤工が通う地下カジノのマネージャー役を颯爽と演じ、本作が梅宮の最後の劇映画となった。 それから10年――映画俳優、梅宮辰夫にとってもっとも幸せだったのは、梅宮が自身の代表作と語りながら、永らく上映プリントがなかった「花札渡世」(67年 成澤昌茂監督)が甦ったことだろう。2018年、『キネマ旬報』の連載、「成澤昌茂、生涯を語る 映画と芝居のはなし」に呼応する形で、シネマヴェーラの支配人、内藤由美子が「花札渡世」をニュープリントしたのだ。   坪内祐三に最後に会ったのは、18年12月、その「花札渡世」の上映の折だった。鰐淵晴子のトークの司会を務めるわたしが、登壇の前に映画を観ようと最後列に座ると、並びの席に、珍しくコンタクトではなく眼鏡をかけた坪内が『サンデー毎日』(毎日新聞出版)の担当編集者と座っていた。いつもより白髪が目立つことが気に懸かった。わたしが目礼すると、坪内は肩を聳(そび)やかし「よぉ」と手を挙げた。こんなふうにこれからも不意に、愛すべき「おこりんぼう」の坪内に会えると思っていたのに、誰が一年とふた月後、彼の最愛の女性「文ちゃん」の誕生日の前日に急逝するなんて、それはないだろう(彼もいまだに信じられないと思う)。客電が落ち、モノクロの波飛沫の上に東映マークが現われ、梅宮辰夫が四谷荒木町の賭場に姿を現わす。暗闇で坪内が眼鏡をかけ直し、梅宮の背後に鰐淵晴子がそっと座った――。 東映チャンネル 追悼特別企画 俳優・梅宮辰夫 3月 Vol.1 「不良番長」(68年) 監督:野田幸男 脚本:松本功、山本英明 出演:梅宮辰夫、谷隼人、丹波哲郎、大原麗子 放送 3月11日(水) 21:00-23:00ほか 「仁義なき戦い 4Kリマスター版[R15+]」(73年) 監督:深作欣二 脚本:笠原和夫 出演:菅原文太、梅宮辰夫、松方弘樹、金子信雄 放送 3月10日(火) 20:00-22:00ほか 「わが恐喝の人生」(63年) 監督:佐伯清 脚本:瀬川昌治、大川久男 出演:梅宮辰夫、千葉真一、水上竜子、北原しげみ 放送 3月9日(月) 20:00-21:30ほか 「暴力金脈」(75年) 監督:中島貞夫 脚本:野上龍雄、笠原和夫 出演:松方弘樹、梅宮辰夫、丹波哲郎、若山富三郎 放送 3月1日(日) 19:00-21:00ほか 『レジェンドトークVol.6 梅宮辰夫』 出演:梅宮辰夫、谷隼人 放送 3月11日(水) 20:00-21:00ほか 4月 Vol.2 「花札渡世」「血染の代紋」「昭和残俠伝」 「極道VS不良番長」 5月 Vol.3 「やくざ対Gメン 囮」「渡世人」 「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」「俠客の掟」   梅宮辰夫 うめみや・たつお/俳優 1938年生まれ、満州浜江省ハルビン市出身。水戸を経て、東京に転居。56年、日本大学法学部に入学。在学中、日東紡のモデルを務め、58年、東映第五期ニューフェイスに合格し東映と養成契約。59年、2月「母と娘の瞳」(小林恒夫監督)に助演。同年、専属契約し「少年探偵団 敵は原子力潜航艇」「遊星王子」二部作(ともに若林栄二郎監督)に主演。60年、第二東映が発足。「殺られてたまるか」(若林栄二郎監督)で急死した波多伸二の代役として主演。以後主演スターとなる。「乾杯!ごきげん野郎」(61年、瀬川昌治監督)などに出演するが、61年、ニュー(第二)東映、撤収。以後、「人生劇場 飛車角」(63年、沢島忠監督)をはじめとする任俠映画、「夜の盛り場(二字)」シリーズ(66〜67年)などの風俗映画に出演。67年、耽美的な任俠映画「花札渡世」(成澤昌茂監督)に主演、代表作となる。68年、「不良番長」(野田幸男監督)がヒットし、シリーズ化。72年「骨までしゃぶれ」まで16本作られる。73年「仁義なき戦い」以後、実録やくざ路線にも出演。75年、日本テレビの倉本聰脚本のドラマ『前略おふくろ様』に出演。85年、フジテレビの『くいしん坊!万才!』日本テレビのバラエティ番組『鶴ちゃんのトッピング』に出演。オリジナルビデオ、テレビドラマ、テレビ番組に多数出演。最後の映画は東映東京撮影所時代からの盟友・内藤誠監督の「明日泣く」(11年)。著書に『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』(19年、双葉社)。19年12月12日死去。81歳。 伊藤彰彦 いとう・あきひこ/1960年生まれ、愛知県出身。映画史研究、プロデューサー。著書に『映画の奈落 北陸代理戦争事件』(国書刊行会)『無冠の男 松方弘樹伝』(講談社)。製作作品に「明日泣く」(11年)「スティルライフオブメモリーズ」(18年)。
  • 「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? 連載その5 池田エライザ(女優、映画監督)インタビュー 地域の「食」や「高校生」とコラボした美味しい青春映画製作プロジェクト『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズ第2弾「夏、至るころ」が完成した。監督は池田エライザ。撮影は福岡県田川市で行われた。 本連載では、これまで『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズのプロデューサー、三谷一夫さん、その第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」の安田真奈監督と、舞台となった兵庫県加古川市の制作担当だった松本裕一さん(兵庫県議会議員)、そして「夏、至るころ」が撮影された田川市の有田匡広さん(たがわフィルムコミッション/田川市職員)と、さまざまな立場から地域発の映画作りについて語っていただいた。 最後に池田エライザ監督に演者の目線をもって作品をクリエイトする立場から、地域活性をベースにした映画制作に参加した心情をうかがおう。監督として、どのように感じ、過ごし、映画を完成に導いたのか? そこに、プロジェクトを未来へと推し進めるヒントが隠されているように感じられた。 取材・文=関口裕子 女優も映画監督も志しは同じ クランク・イン会見で、池田エライザ、倉悠貴、石内呂依(右から)   ――これまでは俳優として映画に取り組まれてこられましたが、今回は監督。プロジェクトに最初から最後まで関わる役割です。立ち位置が変化したことで見えたものはありましたか? 池田 私は役者の中でも特異なほうかもしれません(笑)。たとえば、現場でごはんを食べるとき、録音部さんや照明部さんのところに行って、気になっていることを教えていただくことが多かったんです。せっかちというのもあるんですが、ストレートに芝居の質を高めたくて、いろいろなスタッフの方にひっついていたので、今回の現場もそんなに違和感はありませんでした。 ――名優として知られる高峰秀子さんもそういう方だったと聞いています。一緒ですね。 池田 シンプルに女優さんと話すのは緊張する、というのもあるんですけどね(笑)。 ――ご自身も女優じゃないですか(笑)。 池田 自覚がないんでしょうね(笑)。もともと小学生の頃は小説家になりたかったんです。あれやこれやで表舞台に立つ機会をいただきましたが、華やかな瞬間に触れると萎縮してしまって(笑)。でも技術部にいると自然と仕事の話で盛り上がれるんですよね。 ――技術的な知識は、演技にもプラスになることが多いんじゃないですか? 池田 そうですね。監督と俳優の距離感って、なかなか微妙じゃないですか。でも当然、作品にずっと関わっている分、監督は脚本を深く理解している。なるべくそれを察したいという気持ちがあって、ウザがられない程度にひっついていました。ありがたいことに同じ監督にまた呼んでいただくことも多く、そういう監督と作品について、こそこそしゃべるのは本当に楽しいんですよね(笑)。 撮影前の時間を大切にした 「夏、至るころ」は10代のひと夏の物語 ――今回は、監督の立場。映画を作るためのベースを、脚本の下田悠子さんとどう構築されたのか? クランク・イン前、田川市という舞台をご自身のなかにどんなふうに位置づけられたのか、お聞かせください。 池田 はじめに私がA4で2枚くらいのプロットを書きました。でも私が最初に感じた田川市と、田川市の人たちが見たい田川の間にギャップがあったので、そこを下田さんに直していただきました。もちろん自分が撮りたいだけの作品ではないわけですが、“仕事”感が強くなってもいけないと思うんですよ。なるべく角のないものを撮らなければと考えることには、少し葛藤があったかもしれません。そういう部分は下田さんと話しながら、田川市からいただいた助言の素敵なところを汲み取りつつ、より人間らしい顔が撮れる瞬間を選んでいきました。 ――作家として描きたいものと、田川市からの要請がある作品作り。どこまで寄り添い、どこまで描きたいものを描くか、すごく難しかったのではないでしょうか? 池田 そうですね。起伏の激しい物語ではありませんが、17、18歳ってすごく純真なときなので、揺れていくさまや、言葉、行間にはこだわりました。キツい言葉は使わない代わりに、そういう“感じ”がお芝居に滲み出てくるように。基本的には、言いたくない台詞や、違和感のあるところは演じる俳優たちに聞いてみて、話し合って作っていきました。とは言いつつも、彼らの一番いい顔を撮れたら、この仕事は全うできるかもとも思っていました。みんなの負けず嫌いな部分をくすぐって、その関係性から滲み出る顔。日常では人を煽ることなんてありませんが(笑)、人によっては煽らないとお芝居が出てこないこともある。今回は、煽ることで獣みたいな目つきになる瞬間を撮ることができました。   芝居の演出に集中できる環境 俳優と一緒に台本を読み合わせ 池田 俳優と二人きりで脚本(ホン)読みや芝居合わせをして、引っかかっているものを全て丁寧に洗い出すやり方も試みました。それをやることで、私自身も「まだまだ私ができることはある」という発見もありました。これまでは人に甘えることがうまくできなくて怒られることもありましたが、今回はプロの技術者にお願いしているので、芝居の演出に集中して、それ以外は委ねて、演出できたような気がします。 ――現場に入ってみるまでどうなるか分からない部分もありましたか? 池田 リハーサルもやりましたが、現場に行かないと分からないことはやっぱりあって、だからそこでいろいろやれたことの喜びはすごく大きかったです。たとえば、主人公の家の美術。美術の方の粋な計らいで、夏っぽいものや、演出で使いたいと思うものがたくさんあった。おかげで現場だからこそ生み出せるリアリティを切り取ることができました。役者のお芝居以外で立ち止まることが一切なかったのは、そんなスタッフの方々の力量あってこそだと思っています。 ――現場では、ずっと芝居に寄り添ったわけですね。 池田 今でも泣きそうになるくらい、すごい瞬間にも立ち会えました。一回、ある俳優がどうしても泣けないことがあったんです。本当に全然ダメで、一回止めてもらって、二人になって何がそんなに引っかかっているのかを聞いたら、自分と役の境目で迷子になっていた。そこから、役者ではなく、役柄に対して語りかけていくうちに、子どもみたいに泣きじゃくり始めて……。これまで生きてきたのがなかったことになるくらい情けない顔で泣いて、私もカメラ横でそれを見ながらズビズビと泣いて(笑)。役者はカットがかかったあとも、帰りのバスでも泣き止めなかったそうです。 私もかつて監督を睨みつけながら泣いたことがあります。「もう一回だ、顔上げろ」「泣けー!!」など、いろいろな言葉を使って気持ちを引きずり出してもらって、自分のなかの知らない獣に出会ったことがある。もう、あんな野蛮な監督とは絶対やらないと思いましたが(笑)、今、自分が同じことをやっているなと思いました(笑)。 ――監督は孤独ですよね。 池田 みんなで作りたいと思っているので、監督としてわがままを通さなきゃいけないのは、本当につらかったですね。私が言ったことを実現するために、たくさんの方が動いてくださる。だからこそ、なぜそれが観たいのか、どういう思いがあってそうしたいのかなど、共有することを心掛けました。でも言わなくても分かってくれていることも多くて、感動的でした。全員がどうしようもなくクリエイターで、心でつながっている感覚がありました。 ――監督になって初めて分かることもあった、と。 池田 いろいろな監督とやってきたからこそ、役者の立場に立って演出できたのかもしれません。でもベテランの俳優さんたちは、みなさん、居心地良さそうにされていました。それは田川の空気もあると思います。許してくれる空気。みんな畳の上であぐらをくんで、「あちーな」とか言いながら夏を謳歌してくれていたのが嬉しかったです。 田川市出身の井上陽水さん、IKKOさん、バカリズムさんたちはこの空気のなかで育った。「いいよ」「好きにしな」「おいしいごはん出してあげるから縁側でぼーっとしてなよ」と言ってくれる。クリエイターを刺激し続けてくれるその空気が、池田組独特の香りになったかもしれません。 ――素晴らしい現場でしたね。 池田 作品の中の“家族”を見た瞬間がたくさんありましたよ。   豊かな風が吹き、田川は優しい 田川市の中央公園で撮影された一コマ ――田川でのオーディションもあったんですか? 池田 オーディションは田川市を知る上でとても大事な機会でした。私は、お隣の福岡市の出身ですが、あまり田川市に来たことがありませんでした。だから、佐賀や長崎、福岡市、山口とも違い、どちらかというと熊本に近いのかなって思っていたんです。世話焼きが多くて安心するような場所。私の故郷のフィリピンもそうですが、「ごはん食べようか」と言ったら絶対大盛りで出てくるみたいな(笑)。田川市のご飯屋さんもメイン、メイン、副菜みたいな感じでたくさん出てくるし、お皿も大きい。当たり前のようにクセの強い人もいる。あだ名をつけたくなるような人が多くて、この方々が出てくれることで、田川の空気は表現できるだろう、と思っていました。 ――田川市を舞台にするにあたって、ほかにされたことはありますか? 池田 座談会をやってもらいました。最初のシナハンのとき、中学生、高校生、20代、お父さんお母さん世代の4つのグループに分けて座談会を行ったんです。そのとき、少年たちのグループが少し寂しくなるくらい品がよかった。もっと話したくて、別の日に中学校の校長室で、二人の中学生から話を聞きました。将来、何になりたいのかと聞いたら、一人が、「公務員になりたい」と即答したんです。理由は「お父さんとお母さんが喜んでくれそうだから」と。でも本音を聞くと、もっと別な夢を持っていた。そこにヒューマニズムを感じて、その子を今回の主役・呂依くんのモデルにしているんです。 ――「夏、至るころ」は、幼なじみの少年二人と不思議な少女のひと夏を描いています。 主人公の翔をドラマ『his~恋するつもりなんてなかった~』の倉悠貴、泰我を本作でデビューする新人の石内呂依、都を「映画 としまえん」のさいとうなりが演じています。 池田 3人は役名で呼び合ったりして、ほどよい距離感を保って仲良くしていました。これ以上近づくと役じゃなくなっちゃうという危機感を感じながら。私もかつてそんな付き合い方をしたことがあったので、懐かしさを感じました。 田川市の方は、みんないい人だけど、いい人だけじゃ終わらない。いろいろ積み上げてきた上で優しくなった人で溢れている町。その葛藤がないとあんなに人に優しくできない。東京でせかせか生きているとどんどん余裕がなくなって、人に寄り添う前に、他人の気持ちに気づけなくなってしまう。 ――そうですね。 池田 田川市には自分自身に向き合う時間が本当にたくさんあります。川べりで、ぼーっと座っていることが許される。そこはすごく夕日がきれいで、一人でエモーショナルに浸ってもいい環境。私の地元もそうでしたが、田川市はそれができる環境だったからこそ、人に優しいし、豊かなのかもと思いました。 ――田川の方たちもそのことに気づいていましたか? 池田 気づいていないかもしれませんね、日常なので。だから私たちは、ありあまる豊かさをいただいたような気がします。 夏の三井寺は風鈴がいっぱい ――地域にコミットして作品を作ったからこそのプラスですね。 池田 田川市に行って、より脚本が良くなったような気もします。ロケハンもしましたが、東京で練り上げたものが、現場に行って、私が思う以上に台詞に意味があることがわかったり。倉くんと呂依くんは太鼓の合宿で、1週間くらい現地の子たちと生活してくれたんですが、脚本(ホン)読みのときよりも台詞の意味を汲めるようになっていて、すごく感謝しています。倉くんは、親友の蜷川実花監督作にも出ているんですが、合宿帰りの二人の顔つきがあまりに変わっていて、それを見た実花ちゃんが驚いたくらい。すごく豊かになって……感謝ですね。 ――撮影期間は? 池田 ほぼ田川市内で2週間くらいでした。 ――この映画は「地域」「食」「高校生」というお題がありますが、「食」に関してはどんなふうに取り入れたんでしょうか? 池田 そこが課題でした。『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズ第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」の世界は、私には少し眩しくて美しかったんです。だから「夏、至るころ」の食は、もっと日常をこっそり支えてくれているものにしたかった。たとえば、喧嘩して帰宅した翔に、お母さんが差し出し、おじいちゃんが「食えよ」と言って、泣きながらかき込むかき揚げ丼。味わう余裕はないけれど、きっと一生忘れられない味。うちの母もどちらかというと不器用なタイプなので、悔しいことがあって私が泣きながら帰ってくると、ごはんと、お箸を置いてくれる。私が左利きなのでお箸は左側に。そのときは「悔しい」としか考えていないのに、あとから思うと左に置いてくれたお箸のことや、丼を置いてくれた優しさがよみがえってきたんですよね。キラキラし過ぎない、ちょっと泥臭いくらいの家庭料理が、田川市の温かさにフィットするのかな。 ――田川市から推奨された食材もありましたか? 池田 ロケハンのときに、めっちゃ推してもらいました(笑)。パプリカもそうです。郷土料理をもっと入れてほしいというようなリクエストもありましたが、そこはじっくり話し合いました。なぜなら取ってつけたように登場させても意味がないと思うので。むしろ優しさを感じる部分でさりげなく登場させたほうが印象深い。普段の日常の食卓はすごく賑やかなんだけど、ふとした優しいごはんもある。そういうときに、そっと丼が出てくるのがいいなと(笑)。 ――なにをどんなふうに出すかは、お互い納得のいくものがすぐにできたのでしょうか? 池田 これから頑張っていきたい田川市は、実際より盛って見せたいところもあったと思います。パプリカの生産を頑張るとか、その加工品を出すとか、そういうところはもちろん買いますが、いま田川市にあるものも十分、素晴らしい。本当に美しくておいしい町だから誇張しなくてもいいと思うことも。そこは私がずっと戦っていた部分でした。でも田川市の方々にとっては、ごはんがたくさん出るのも、味付けがしっかりしているのも、節目に鍋を囲むのも当たりまえ。すごく素敵なことなのに、日常なので新しさを感じられないようで、もっと自信を持ってほしいなと思うことはありました。そのあたりはパンフレットに書かせていただこうと思うので、ぜひ読んでいただきたいです。頑張って作ります(笑)。 ――このプロジェクトは、地域活性をベースに始まったシリーズですが、池田監督は、映画は地域活性に貢献できると思いますか? 池田 時が経って、時代が移ろいでいけばいくほど、需要が生まれると思います。今を表現してアピールする手段でもあるとは思いますが、私は田川市を自慢したいというより、田川市の方々に「ごちそうさまでした」と伝えたくて絵本を綴る気持ちだったんです。もちろん映画なので、たくさんの方に観ていただかないと命が動き始めない。私がやらせてもらうという意味を理解した上でやるので、そこは応えられたらいいなと思っています。 技術が進み、どんどん便利になっていく分、人との心のつながりが薄くなっていると感じる方に観てほしい。人とのつながりが、人が人を思いやることが、どう美しいのかということを思い出してほしい。私は撮りながら、すごくそう感じていました。SNSでしか得られない喜びには寂しさが伴い、それはSNSでは埋められない。だから、そこに依存しないでほしいと。この作品ではあまり携帯電話を登場させていません。そこでしかつながれない人にはなってほしくないという願いを込めて。 世の中の思う“池田エライザ”のイメージとはかけ離れているかもしれませんが、その池田が、「こういうの作るの!?」という部分を、照れくさいですが観ていただければと思っています。映画に刺激を求めるという方もいるし、それもいいけれど、「たまには一息つきませんか」と。   池田エライザ いけだ・えらいざ ○プロフィール 1996年4月16日生まれ。福岡県出身。2011年に映画「高校デビュー」でデビュー後、主演作「一礼して、キス」「ルームロンダリング」「貞子」、話題作「SUNNY 強い気持ち・強い愛」「億男」など映画に精力的に出演。今年はNetflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』が配信され、映画「一度死んでみた」「騙し絵の牙」が公開。本作が初監督作品となる。 「夏、至るころ」 2020年公開予定! 出演:倉悠貴 石内呂依 さいとうなり  安部賢一 杉野希妃 大塚まさじ 高良健吾 リリー・フランキー 原日出子 原案:監督:池田エライザ 脚本:下田悠子 監督補:金田敬 撮影:今井孝博 照明:長沼修二 録音:菰田慎之介 美術:松本慎太朗 衣裳:木谷真唯 ヘアメイク:釜瀬宏美 助監督:佐藤吏 制作:酒井識人 音楽:西山宏幸 プロデューサー:三谷一夫 企画・田川市シティプロモーション映画製作実行委員会・映画24区 製作:映画24区 企画協力:ABCライツビジネス 協力:田川市・たがわフィルムコミッション   ☆連載 「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? プレ連載 https://wp.kinejun.com/2019/10/03/post-945/ 第1回 三谷一夫(映画24区代表)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/10/18/post-982/ 第2回 安田真奈(映画監督・脚本家)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/11/07/post-1078/ 第3回 松本裕一(兵庫県議会議員)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/12/13/post-1572/ 第4回 有田匡広(たがわフィルムコミッション/田川市職員)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/12/20/post-1623/ ●ぼくらのレシピ図鑑シリーズ http://bokureci.eiga24ku.jp/ ●映画『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』で学ぶ講座、第2期生募集中 【地域プロデューサー術クラス】 http://eiga24ku-training.jp/menu/output_01.html 【地域脚本術クラス】 http://eiga24ku-training.jp/menu/output_02.html ●お問合せ 株式会社映画24区 TEL:03-3497-8824 http://eiga24ku-training.jp/contact/    
  • 映画を見て、楽しく学ぶ――。<映画感想文コンクール2020・春>特別開催! 全国映画感想文コンクールが小学生の「おうち学習」を応援! (C)2020 Disney 2019年の夏に全国の小学生、中学生から10,000篇以上の応募があった「映画感想文コンクール」が初めて春に開催される。しかも、すでに応募は始まっているとのこと。今回の開催に至った経緯や気になる入賞者への賞品などについて全国映画感想文コンクール実施委員会の三浦理高さんに伺いました。 ーまずは、「映画感想文コンクール」のご紹介を簡単にお願いします。 映画感想文コンクールは、文字通り、映画を観て感想文を書いてもらうというコンクールで、毎年夏に開催しています。2014年から全国規模で開催していますが、昨年は過去最多の10,000篇を超える応募がありました。これは(必須課題ではない)数あるコンクールの中でも異例の数字だそうです。齋藤孝教授や文化庁の方からも推奨頂いていますが、映画を観て、それを感想文に書くことが「学習につながる」という考えが教育の現場に広がっていることが実感できて、とても嬉しく思っています。 ーそこまで応募数が拡大した要因はどこにあるのでしょう やはり「楽しい」が先にくることではないでしょうか。まず映画を楽しむこと、それからその映画に込められたメッセージを読み解いたり、登場人物に感情移入したり、一緒に観た人と感想を言い合ったり、その先に感想文を書くという行為があるので、児童にとっては取り組みやすいのではないかと思います。実はこれまでに受賞された児童や保護者の方とお話しすると、作文や感想文が苦手だったという子がとても多いんです。そういった方たちから、映画が、映画感想文コンクールがそれを克服してくれたという言葉を聞くと、本当に嬉しいですね。 表彰式の様子(撮影=椿孝 写真左:三浦理高氏、写真右:2019年低学年の部グランプリを受賞した渡邊このみさん)   ーそして、今年は初めて春にも開催されるということですが 映画が「楽しく学べる」きっかけになるのであれば、私たちもなるべく広げていきたいという気持ちがあります。そんな中、ウォルト・ディズニー・ジャパンさんから春の開催にご協力頂けるというお話を頂き、今回、実現することができました。実はこれまでのコンクールの応募作品の中で、児童が最もその題材に選んでいるのがディズニーさんの映画なんですが、その応募数もさることながら、ディズニーの映画を楽しむだけでなく、学習という観点でも親しんでくれているということをディズニーさんも非常に大切に思って頂けて、今回のご協力に繋がりました。 ーこれまでのコンクールと違う点は 今回はディズニーさんのご協力の下、開催が実現しましたので、まずは対象作品がディズニーの映画になること、また応募資格が小学生のみとなることが挙げられますが、詳しくは公式HPなどをご確認頂けますと幸いです。作品につきましては、ディズニーさんの公式動画配信サービス「ディズニーデラックス」で配信されている作品をオススメさせて頂いておりますが、もちろん、ブルーレイやDVD、TVなどで観て頂いてもOKです。 ー「ディズニーデラックス」をオススメされるポイントは 現在、春の開催を企画したときには考えもしなかったことが起こっています。特に小学生の児童や保護者の方におかれましては、ご家庭で過ごす時間が長くなってしまう状況が予想されます。そういった環境下では、配信サービスである「ディズニーデラックス」は、ご自宅にいたままで楽しめる点、配信作品のすべてが年齢制限のない作品なので、児童がどの作品を観ても安心できる点、また、映画感想文コンクールで数多くの題材に選ばれた『アナと雪の女王』『トイ・ストーリー』『スター・ウォーズ』『アベンジャーズ』など、物語性やメッセージ性が非常に豊かで、男の子も女の子も楽しめる作品が多い点などが挙げられます。また、はじめての登録の方は初月無料という点も大きなポイントだと思います。お休みの期間に試してみるのには良いのではないかと思っています。 毎年、映画感想文のテーマに多く選ばれている映画「トイ・ストーリー」(C)2020 Disney/Pixar   ―ところで、受賞者の皆さんはどのような賞品があるのでしょう? 三浦:たくさん用意しています(笑)。グランプリの方には夏大会と同じく、副賞に加え、来年2月に開催致します「キネマ旬報ベスト・テン表彰式」にご家族でご招待させて頂き、壇上で児童の表彰を行わせて頂きます。そして、準グランプリ、特別賞の方には豪華なディズニーグッズを、さらご応募頂いた全ての児童に参加賞もご用意させて頂いておりますので、ぜひ、ご参加頂ければと思います。 豪華な賞品の数々(詳しくは公式ページにて)   ―最後に皆さんにメッセージがございましたら 三浦:本コンクールは「春休み」での開催を予定して進めておりました。私たちも開催時期の見直しなど検討いたしましたが、小学生の皆さんがご家庭で過ごす時間が多くなることが予想される中、映画を楽しみながら学ぶことを趣旨としている「映画感想文コンクール」を実施することで、少しでもご家庭での「楽しみ」と「学び」をサポートできたらと思い開催を決定いたしました。ただいまの情勢を鑑みて「応募期間」「応募資格」を一部配布済みの案内冊子から変更させていただきました。またこれからも期間の拡大や各賞の充実などを随時図ってまいりたいと思います。最新情報は本コンクールの公式サイトからご確認ください。全国映画感想文コンクール実施委員会は、映画を通じて皆さんの「おうち学習」を応援いたします。   【映画感想文コンクール2020 公式サイト】 https://wp.kinejun.com/eigakansoubun/ <映画感想文コンクール2020・春>の実施要項 【応募資格と文字数】 小学生の皆さん 低学年の部 1~2年生:400字以内 中学年の部 3~4年生:800字以内 高学年の部 5~6年生:800字以内 ※令和2年3月2日時点の在校生と4月から1年生の児童 【対象の映画】 ディズニー公式動画配信サービス「ディズニーデラックス」で配信されている作品を含むディズニーの映画。 【鑑賞方法】 おうちですぐに見られる「ディズニーデラックス」はもちろん、お持ちのDVDやブルーレイ、TVなどで見てもいただいてもOKです。鑑賞方法は問いません。 【応募期間】 令和2年3月2日(月)~5月15日(金) 5月15日(金)必着にて 下記の宛先まで郵送してください。 【宛先】 〒104-0061 東京都中央区銀座5-14-8 銀座ワカホビル5F (株)キネマ旬報社「映画感想文コンクール」事務局 ※令和2年3月2日時点で6年生の皆さんは個人応募で直接こちらにご提出ください。 ディズニー公式動画配信サービス「ディズニーデラックス」の加入方法はこちらからご覧ください。 主催:全国映画感想文コンクール実施委員会 協賛:ウォルト・ディズニー・ジャパン 後援:日本教育新聞社(ほか申請中) お問い合わせ先: 全国映画感想文コンクール実施委員会 Mail:eigakansoubun@kinejun.com   制作:キネマ旬報社
  • 誰も見たことのない香取慎吾を撮る 香取慎吾のアップが多い。しかも画面いっぱいに広がるほどの。 白石和彌監督作品「凪待ち」をDVDで見直してみて、改めて強く感じたことである。 「誰も見たことのない香取慎吾を撮る」。そんな意気込みでつくられたという本作がまず香取に与えたのは、彼がこれまでほとんど見せることのなかった〝陰〟の顔を持つキャラクター。ギャンブルにハマりそこから抜け出せず、その過程で周囲の人間に迷惑をかけながら、差し伸べてくれる手からも自分からも逃げる男、郁男、というのがそれだ。 郁男が根は善良で人の心がわかる人物だということは、冒頭で語られる川崎の印刷工場の同僚との交流や、その後に移り住む恋人の実家・石巻での生活の端々でさりげなく描かれはする。だが、もはやギャンブル依存症である郁男の表情のみならず全身から発せられるのは、自身を蔑む強烈な自己否定感。さらに、郁男のせいともいいきれないさまざまな困難を非情なまでに与え続けていくことによって、この物語はますます郁男の顔を、陰鬱な色合いで彩っていくこととなる。確かにこれまで一度として拝んだことがない顔。カメラがどんどん寄らずにはいられないほどの。しかしそれは〝誰も見たことのない香取慎吾の顔だから〟では、たぶんない。彼があの愛すべき慎吾ちゃんであることを完全に忘れさせる、郁男としてのときどきの真情がどの顔にも痛切に刻まれていたからだろう。 オーディオコメンタリーも充実。〝やさぐれた男が持つある種の色気〟 今回リリースされるDVDには、白石監督と香取慎吾、共演者のリリー・フランキーの三者によるオーディオコメンタリーが収録されているのだが、彼らが各重要シーンにおける香取の〝顔〟について感嘆するくだりは特に興味深い。さらにはリリー・フランキーが繰り返す、顔ばかりかその大きな体その他も含めて香取が放つ色気、つまり〝やさぐれた男が持つある種の色気〟に関するコメントは出色。本作における香取の仕事のみならず役者としての今後の可能性をも示すものとして、ぜひ耳を傾けていただきたい。 他に映像特典としていくつかの舞台挨拶の映像も収録。そこで、たわいのないQ&A等で見せるいつもの〝陽〟な姿も堪能できるが、香取の発言として聞き逃してほしくないのは、やはりコメンタリーの中の最後の言葉。そこには、国民的スターであり俳優であり、また一人の人間としての香取慎吾が、〝喪失と再生〟を描いたこの作品にどう向き合ったのかという真摯な言葉が、しっかり記録されているからだ。 文=塚田泉/制作:キネマ旬報社(キネマ旬報3月上旬号より転載) 『凪待ち』 ●3月3日(火)発売 豪華版Blu-ray 6,800円+税、豪華版DVD 5,800円+税 通常版Blu-ray 4,800円+税、通常版DVD 3,900円+税 ●2018年・日本・カラー・字幕 バリアフリー用日本語・本篇124分 ●【Blu-ray】16:9[1080p High-Def]スコープサイズ・2層・Dolby TrueHD 5.1chサラウンド(オリジナル)/Dolby TrueHD 2.0chステレオ(オーディオ・コメンタリー) 【DVD】16:9LBスコープサイズ・片面2層(一部片面1層)・ドルビーデジタル5.1chサラウンド(オリジナル)/ドルビーデジタル2.0chステレオ(オーディオ・コメンタリー) ●監督/白石和彌 脚本/加藤正人 ●出演/香取慎吾、恒松祐里、西田尚美、吉澤健、音尾琢真、リリー・フランキー ●特典映像/[特典ディスク]メイキング映像、完成披露試写会、初日舞台挨拶、全国中継舞台挨拶(※豪華版のみ)[本篇ディスク]劇場版予告篇 音声特典/オーディオ・コメンタリー(香取慎吾×リリー・フランキー・白石和彌監督) 封入特典/特製ブックレット(24P)、クリアケース仕様(※豪華版のみ) ●発売/キノフィルムズ/木下グループ 販売協力/ハピネット・メディアマーケティング ©2018「凪待ち」フィルムパートナーズ