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    60年代の実験映画、個人映画が“アンダーグラウンド・シネマ”と呼ばれていた頃から、ジョナス・メカスの映画に触発されて映画製作を始め、それ以後自己のモチーフを真摯に追求する作品を発表し続ける一方で、69年に“アンダーグラウンド・センター”を創設して実験映画、個人映画製作を運動として展開し、夫人の富山加津江と組んで77年に“イメージ・フォーラム”と改称して常設の上映会場と付属映像研究所を開くなど、オルガナイザーとして中心的な活動をしている。その作品は初期の段階で既に“記憶”という自らのモチーフを掴み、73年の「PLAY BACK」はリュミエールの「列車の到着」を素材に再撮影によって映画体験を再現させている。以後の「写真銃」(74)、「透過装置」(75)、「SWITCH BACK」(76)によって映画史を自己に重ねる一群の作品を作る。79年から83年まで萩原朔美と共作になる「映像書簡1、2」はフィルムを手紙のやりとりのように往復して展開する作品で、ここで作者は自分の記憶を映像の上に呼び戻して来るということを試み、83年の「B」、84年の「Bふたたび」「B」では、記憶の概念を一転して、自分の記憶から映像の上の記憶というもの、つまり古い写真などがその表面に堆積させている時間とか、長時間露光によってフィルム上に堆積する時間とかを映像化する試みへと進展している。87年の「私小説」、88年の「私小説II」となると、日常生活のなかで絶えずメモ的に撮影した8ミリフィルムの映像を素材にして、記憶そのものを創り出すというところまで進んで行く。その映像は観客の記憶の気分を誘い出す深い抒情を湛えたものとなっている。またビデオ作品でも『プレイバック』(73~75)、『絵葉書』(80)など記憶をモチーフにしている。著書『映画・日常の実験』(75)は映画に対する姿勢と“アングラ映画”時代の日本の実験映画について述べられたものとして資料的に貴重なものである。また、84年には西ドイツで、85年には合衆国及びオーストラリアで、日本の実験映画の代表作の巡回上映を行い、海外に広く認めさせることになった。東京造形大学助教授、イメージ・フォーラム付属映像研究所専任講師、月刊『イメージフォーラム』創刊時編集長、全日本ビデオコンテスト等各種コンテスト審査員。

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