「ジャームス 狂気の秘密」のストーリー

1975年。ポール・ビームことダービー・クラッシュ(シェーン・ウェスト)が、ジョージ・ルーセンバーグことパット・スミア(リック・ゴンザレス)に声を掛けたところから“ジャームス”は始まった。二人が高校生の頃である。その翌年、ダービー(vo)、パット(g)、ローナ・ドゥーム(b)(ビジョウ・フィリップス)、ドッティ・デンジャー(ds)の4人で“ジャームス”を結成。ドッティはまもなく去るが、彼女は後にGO-GO’Sやソロ活動で脚光を浴びるベリンダ・カーライルであった。1977年。“ジャームス”ステージ・デビュー。しかし、ほとんど練習もせずぶっつけ本番だったため、演奏はボロボロ。ダービーはピーナッツ・バターをあちこちに塗りたくってステージから引きずりおろされてしまう。それでも彼らは地元を中心にコンスタントにライヴ活動を続け、多くの熱狂的な“ジャームス”信望者を獲得していった。流動的だったドラマーもドン・ボールズ(ノア・セガン)に固まっていた。1979年。“ジャームス”はアルバムのレコーディングに入る。旧友のジョーン・ジェット(元RUNNAWAYS)にプロデュースを依頼、9月にアルバム「(GI)」をリリースするが、その頃、彼らにはライヴを行なう場所がなくなっていた。メンバーによる破壊もさることながら、観客も暴れて“ジャームス”を出入り禁止にする会場が相次いだのだ。それに伴いダービーのドラッグとアルコールの消費量は増す一方であった。1980年。“ジャームス”は「ザ・デクライン」「クルージング」という2本の映画に参加、そして同年12月7日、ダービーがドラッグのオーヴァードーズにより死亡する。その翌日、ジョン・レノン射殺のニュースが全世界を駆け巡るが、アメリカ西海岸のパンク・ロック・シーンにおいては、ダービーの死はそれ以上の衝撃であった……。