「平成ジレンマ」のストーリー
非行や不登校の子供たちを厳しい訓練と合宿生活で再教育する戸塚ヨットスクールは、1980年と82年に訓練生が死亡する事件が起き、戸塚宏校長と全スタッフが逮捕された。最高裁は彼らに実刑を下した。この事件をきっかけに、教育界から体罰が排除されるようになる。2002年3月、戸塚校長は傷害致死罪で6年の刑に服す。出所後、戸塚校長は年間70件に及ぶ講演を行い、子育てに悩む親や教師に体罰の是非を訴えている。三河湾を臨む愛知県美浜町にある、戸塚ヨットスクールの現在の訓練生は10人。以前のような体罰は封印した。戸塚校長は1975年、太平洋単独横断レースで驚異的な記録で優勝し、その翌年、スクールを開校した。たまたま不登校の生徒が学校に通えるようになったことから、情緒障害児が集まるようになった。夏、小学6年生・丘晃君が短期入校生としてやってくる。終了の日、ここにずっといるよう言われたらどうするか尋ねられた彼は、拒否すると答え、スクールを後にした。21歳の訓練生・恵介さんは就職のため、自動車学校に通っている。入校から約1年が過ぎ、就職が見つかればスクールを出る。最年長29歳の哲也さんは、2年前スクールを卒業して就職したが長続きせず、再入校させられた。秋、恵介さんは自動車免許の試験に合格する。哲也さんは、校長が知り合いに頼んで、沖縄の農家に就職する。そして丘晃君が正式に入校してきた。別の日、17歳の一恵さんが両親に連れられてやってきた。彼女は家に引きこもり、リストカットを繰り返していた。自傷癖のある生徒は受け入れていないが、校長が特別に許可したのだ。しかし3日後、彼女は屋上から飛び降り、この世を去る。恵介さんが脱走を繰り返すようになり、名古屋の弁護士から彼を保護したと連絡が入る。弁護士はスクールから逃げた訓練生たちを支援し、訴える準備をしているという。一方、沖縄の哲也さんは、2ヶ月で姿を消していた。春、新しい訓練生として、40歳の引きこもりがやってくる。