解説
1965年に凶弾に倒れた、伝説的黒人解放運動指導者マルコムXの一生を描く伝記ドラマ。「ルーツ」の作者として有名なアレックス・ヘイリーがまとめた『マルコムX自伝』の映画化権を67年に入手した製作のマーヴィン・ワースが、25年に渡り映画化を画策し、シドニー・ルメット、ノーマン・ジェイソンらが次々と試みたが実現に至らなかった幻の企画。91年に「ジャングル・フィーバー」の監督スパイク・リーが、ピューリッツァー賞作家ジェームズ・ボールドウィンの手を経て、アーノルド・パールが書き上げた脚本のリライト作業に着手し、製作が実現した。製作者としてもスタッフに加わったリーは、自らのギャラも製作費に投入し、神話化され、その真実の姿と思想を正しく理解されていない偉人の、生涯のドラマを完成させた。撮影は「ドゥ・ザ・ライト・シング」のアーネスト・ディッカーソン、音楽はテレンス・ブランチャードが担当。主演は「ミシシッピー・マサラ」のデンゼル・ワンシントン。FBIの記録を読むなど、マルコムに対する綿密なリサーチを行い、役作りをしたという。
「マルコムX」のストーリー
1943年、ボストンのスラム街に住む黒人少年マルコム・リトル(デンゼル・ワシントン)は厚生施設に送られ、そこでまじめに勉強し、弁護士を志望するが、学校の先生に、黒人には無理だと言われ、憤りを感じながら列車の売り子として働き始める。ハーレムのバーで、黒人ギャングのリーダー、アーチ(デルロイ・リンド)に出会い、ギャンブルのポン引きになり、21才の時に強盗犯で逮捕され、8~10年の懲役を受ける。刑務所に服役中にイスラム教に改宗し、教養を身につけたマルコムは、マルコムXに名を変え、1952年に出所後は、ブラック・モスリムの指導者エライジャ・モハメッド(アル・フリーマンジュニア)の右腕として活躍する。全国のイスラム寺院で演説を始めたマルコムは注目を集め、その後も黒人に対して武装を呼びかけた。60年代に入り、人種差別への抵抗の動きが全国的な展開を見せ、ケネディ大統領の暗殺を機に、各地で暴動が勃発。そんな時、複数の女性に認知訴訟を起こされたエライジャに失望したマルコムは、イスラム教を離脱した。1963年、サウジアラビアのメッカを巡礼したマルコムは、あらゆる人種のイスラム教徒が友愛に結ばれている姿に感動、帰国後は白人の排斥を止め、新たな道を探り始める。しかし、1965年、マルコムはハーレムで演説中、ブラック・モスリムの組織の暗殺団によって、39才の若さで射殺されるのだった。
「マルコムX」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「マルコムX」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 伝記 |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1992 |
公開年月日 | 1993年2月20日 |
製作会社 | 40エーカーズ&ミュールフィルムワークスプロ=マーヴィンウォースプロ作品 |
配給 | UIP |
レイティング | |
アスペクト比 | アメリカンビスタ(1:1.85) |
カラー/サイズ | カラー/ビスタ |
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