解説
一九四一年から四五年にかけての戦史に名だかいレニングラード攻防戦九〇〇日を描く全2部作。監督はミハイル・エルショフ、脚本はアレクサンドル・チャコフスキーとアルノルド・ビートル、撮影はアナトリー・ナザーロフ、音楽はヴェニアミン・バスネルが各々担当。出演はユーリー・サローミン、エフゲニー・レベチェフ、ウラジスラフ・ストルジェリチク、アレクサンドル・アファナーシェフ、イオザス・ブドライチスなど。日本語版監修は岡枝慎二。カラー、70ミリ。
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「レニングラード攻防戦」のストーリー
【第一部】全世界を戦争の暗雲が覆い始めた一九四〇年--狂気の総統ヒットラーが率いるドイツ・ファシズムの嵐はヨーロッパからアジア、アフリカへと波及し、遂にその攻撃目標の照準をソ連に向け始めた。一方、モスクワではすでにファシズムとの戦争は避けられないという覚悟が、スターリンはじめ多くの人々の間に生まれていた。軍部会議の席上、歴戦の勇士ズビャギンツェフ少佐(Y・サローミン)は目前に迫った戦争危機に対して、赤軍の近代化をはかり、現代戦に備えることを主張した。しかしながらこのズビャギンツェフも上官カラリョフ大佐も、その実弟の労働者イワン・カラリョフ(E・レベチェフ)とその美しい娘べーラ(I・アクーロウ)も、また彼女の許婚者アナトリー(A・ラージン)も、この戦争がいかに困難な試練になるか的確に予測することは出来なかった。それからしばらくして、ヒットラーの命令を受けたダンビッツ少佐の軍隊がソビエトの国境に雪崩込んだとき、スターリンの幹部はあまりの急な事態に内心大きな衝撃を受けた。かくて平和協定を一方的に破ったドイツ軍に対し、ソビエト国民は祖国の防衛に立ち上がり、動員命令が下らぬうちから何千万人かが義勇志願してレルガ戦線など各地の抗戦陣地へと向かった。一九四一年六月、ベーラとアナトリーは田舎に行っていたが、その帰途の汽車が爆撃を受け、同乗していた勇敢なチェキストとクラフツォフと共にファシストの捕虜になった。べーナはドイツ兵に輪姦され、アナトリーはクラフツォフの秘密命令を携えて逃走、ようやくレニングラードに辿り着いた。戦闘はいよいよ激しくなり、イワン・カラリョフはキーロフ工場の従楽員で組織した師団のコミッサールに任命され、年老いて兵役義務のなくなっていた老建築家ワリッキー(U・ストルジェリチク)もカラリョフの力添えで念願の戦線に赴いた。【第二部】祖国防衛戦は日ごとに激化し、戦士たちはネバ河で最後の血の一滴まで闘いつづけた。その激戦のさなか、ズビャギンツェフ少佐はドイツ降下部隊の地雷によって負傷したが、パルチザン部隊で看護婦として働くべーラと再会、彼女は許婚者が生きていると聞いて驚きの声を上げた。ドイツ軍のレニングラード包囲網はジリジリと迫った緊張状態のさなか、スターリンの命令を受けたジューコフ将軍がレニングラード防衛司令官としてモスクワから飛来した。ジューコフは反撃作戦を練る一方、ドイツ軍フォン・レエブ元帥の進撃計画をさぐり、眼に見えぬ戦略的一騎打ちの火花を散らせた。それは中央プルコブからの電撃的侵攻への切り替えであった。ジューコフはとっておきの戦闘部隊をここに集中、壮烈な肉弾戦が展開していった。--果たしてレニングラードはおちなかった。そしてこのことはヒットラーを筆頭とするファシスト将軍らの狂気に満ちた夢を粉砕してしまった。目的を達せられなかったヒットラーは、今度はその目標をモスクワに変更、西部戦線強化を企てたが、その頃ジューコフ将軍は再びスターリンの命令を受け、モスクワに飛んだ。
「レニングラード攻防戦」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「レニングラード攻防戦」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 戦争 |
製作国 | ソ連 |
製作年 | 1974 |
公開年月日 | 1975年6月7日 |
製作会社 | レン・フィルム |
配給 | 東映洋画 |
レイティング | |
カラー/サイズ | カラー |
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