解説
アルベール・カミュの小説を「山猫」ほかヴィスコンティのほとんどの作品の脚本を書いているスーゾ・チェッキ・ダミーコと、カミュの親友エマニュエル・ロブレー、カミュの門弟ジョルジュ・コンションの三人が脚色、ルキノ・ヴィスコンティが監督した文芸異色作。撮影は「山猫」「ボッカチオ'70」のジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽はピエロ・ピッチオーニが担当した。出演は「甘い生活」「昨日・今日・明日」「あゝ結婚」などイタリアの第一線スター、マルチェロ・マストロヤンニ、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナ、「明日に生きる」のベルナール・ブリエ、「恋人たちの世界」のジョルジュ・ウィルソンほか。製作はイタリアの世界的プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティス。
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
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89bubble93
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ミャーノフ大佐
原作がカミュ、監督がヴィスコンティと来れば、彼らの意図以上に深読みしてしまう。のかもしれない。「異邦人」が不条理を描いている、と言われているがその不条理とは何か。私は主人公の内面の(あるいは人が持っている)不条理だと思っていたら、例えば主人公の神を信じないことに対する検察の厳しさなのか、裁判の証言者達の不条理なのか、兎に角、自己保身の為に彼に対する厳しさを不条理としているのか。この映画、過去に観ていないが殺人の動機を「太陽がまぶしかったから」という台詞は憶えている。しかし、映画を観ると実際にナイフの反射で太陽が目に入って思わず拳銃で撃ってしまった。実際に太陽がまぶしかったじゃないか。これでは不条理でない。過剰正当防衛だ。主人公が浴びる太陽がまぶしすぎて、暑すぎて殺してしまった、なら不条理なんだけど。あるいは植民地のアルジェで生まれ育った主人公のアルジェにもフランスにも居場所がない、不安定な心理状況が不条理に繋がるとか。なんかこの映画の描き方では、不条理が矮小化されたような気がする。
映画は最初の検察の取り調べ以外はほぼ時系列で描かれていて、取り立てて言うことはないが、ラスト、死刑判決を受けて独房でのシーン。ここはカメラが良かった。暗い独房の中で、高窓から日の光が入り込んで顔だけが浮かび上がるところ、ここは主人公が心の中で一縷の救いを求めているようにも見える。神父との面談も救いを求めていたのか。
で、一つ気になっているのは、ウェキおじさんは刑を絞首刑といっているが、斬首って判決ではなかったっけ。(イタリア語はわからないので、字幕を読んでだけの話だけど。)実際、ギロチンはフランスでは1981年まで行われていたようだから。
「異邦人」のストーリー
第二次大戦前のアルジェ。平凡な一市民であり、サラリーマンであるムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)の母が養老院で死んだ。養老院は、アルジェから六十キロほど離れたマレンゴという町にある。暑い夜だった。ムルソーは、母の遺骸のかたわらで通夜をしたが、時間をもてあまし、タバコを喫ったり、コーヒーを飲んだりした。養老院の老人たちが、悔みの言葉を述べにきたが、ムルソーには、わずらわしかった。養老院の主事が最後の対面のために棺を開けようといったがムルソーは断った。その日、葬式をすませ、彼はアルジェに帰って来た。翌日は、かつて同じ会社にいたタイピストのマリー(アンナ・カリーナ)と会いフェルナンデルの喜劇映画をみて一緒に帰宅した。毎日、単調な生活をくり返しているムルソーにとって、唯一の変っていることといえば、レイモン・サンテとのつきあいだ。彼は売春の仲介をやっているという噂もある評判のよくない男だが、だからといってムルソーには、この男とのつきあいをやめる理由はない。ある日、レイモンが自室でアラビア娘をなぐる、という事件が起きた。警官が来て、ムルソーはレイモンに言われた通り質問に答えた。一方、マリーは、ムルソーと逢びきを続けていたがある日、結婚してほしいと言った。ムルソーは、どちらでもいい、と答えるのだった。ある日曜日、ムルソーとマリーは、レイモンと一緒に彼の友人が別荘を持っている海岸に出かけた。三人が海岸を散歩している時、三人のアラビア人に会った。そのうちの一人は、かつてレイモンに殴られた娘の兄だ。けんかが始まりレイモンは刺された。ムルソーは、彼を病院に運び再び海岸にもどった。暑さが激しく、太陽がまぶしかった。そこへ再び、さっきのアラビア人がきた。ムルソーは、あずかり持っていたピストルに手をかけ、二発、三発……。太陽が、ことさらに強い、夏の日のことだった。ムルソーは捕えられた。予審判事の尋問に、ムルソーは母の死んだ日のことからすべてを正直に話した。法廷でも、葬式の翌日、喜劇映画を見たことや、マリーと遊んだことを話した。検事も陪審員も、母親の死直後の彼の行動を不謹慎と感じたのだろう。絞首刑の宣告をした。獄舎にもどったムルソーは、神父の話を聞くことを拒んだ。神の言葉が一体なんなのだろう。母の死が、アラビア人の死が一体なんなのだろう。誰れもがいつかは死ぬ--彼はそう叫んだ。ムルソーは、こうして死を受け入れることによって、自由な存在の人間になったのである。
「異邦人」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「異邦人」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 文芸 |
製作国 | イタリア フランス アルジェリア |
製作年 | 1968 |
公開年月日 | 1968年9月21日 |
上映時間 | 104分 |
製作会社 | ディノ・デ・ラウレンティス・シネマトグラフィカ=マリアンヌ・プロ=カスバ・フィルム |
配給 | パラマウント |
アスペクト比 | ヨーロピアン・ビスタ(1:1.66) |
カラー/サイズ | カラー/ビスタ |
コピーライト | (C)Films Sans Frontieres |
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