解説
テネシー・ウィリアムズによる特異な題材の戯曲の映画化。「静かなるアメリカ人」のジョセフ・L・L・マンキウーィッツが、監督し、原作者自身とゴア・ヴィダルが共同で脚色し、「戦場にかける橋」のジャック・ヒルドヤードが撮影した。音楽も同じく「戦場にかける橋」のマルコム・アーノルドが、ボクストン・オウと共に担当。出演は「愛情の花咲く樹」以来の顔合せ、エリザベス・テイラーとモンゴメリー・クリフトに、「雨を降らす男」のキャサリン・ヘップバーンのほか、マーセデス・マッケンブリッジ、アルバート・デッカー、ゲイリー・レイモンド、パトリシア・マーモントら。製作はサム・スピーゲル。
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「去年の夏突然に」のストーリー
アメリカ南部ニューオルリンズ。ライオン・ビュー州立病院の若い外科医クックロウィッツ博士(モンゴメリー・クリフト)は、画期的な脳手術に成功した。市の金持ちの未亡人ビネブル夫人(キャサリン・ヘップバーン)の風変りな邸に招かれ手術を依頼された。病院を寄贈するのが条件だった。被手術者は聖メリー病院に入院中の姪キャザリン(エリザベル・テイラー)だ。夫人は去年の夏、突然に息子のセバスチャンがスペインで死んだことを息子の庭とされる創生期を模した庭園で話した。その時、キャザリンは、彼と一緒に旅行していたのだ。夫人の話ではセバスチャンは天成の詩人だった。毎年、夏、夫人と旅行し、1年1作の”夏の詩”を書く。ある年、ガラパゴス群島に旅し、”肉食鳥”を見た。砂浜1面を海へ向う海亀の子を、舞い下りた無数の海鳥がむさぼり食う光景である。それを彼は”神”と感じたという。――博士はキャザリンの病名のアイマイさを怪しみ、彼女に会ってみた。そして、自分の病院に移した。手術を要するほどとは思えなかった。セバスチャンは心臓マヒで墜落死したとされていたが、キャザリンは彼の死の前後について、あらぬことを口走っていた。彼女が旅行に同行したのは、舞踏会の夜、貞操を奪われ、男に捨てられたのを、彼になぐさめられたからだ。夫人はキャザリンの強欲な母や弟を買収し、手術承諾書にサインさせ、無理に手術させようとした。キャザリンは女患者の部屋へ飛びおりて、自殺しようとした。彼女は狂ってはいない。彼女には暖かいいたわりが必要なのだ。博士は彼女を元気づけた。手術が不要な証明として、ビネブル邸の庭に皆を集め、その前で彼女に忘れ去った記憶をよみがえらせることに成功した。――セバスチャンは、連れの目立つ女で、男たちを自分のまわりに集めていたのだった。母が年老い、代わりに若いキャザリンを選んだのだ。スペインのベッツア・デ・ロボの海水浴場で、彼女に挑発的な水着を着せ、男たちを集めた。最後の日、2人が食事していると、少年たちが、口々に“パン、パン”と叫びながら物乞いした。その声は大きくなり、空カンで作った楽器の響きも伴った。そこを出た時、彼は無数の少年たちに囲まれ、丘の上まで走らせられた。そして、彼女は目撃したのだ、彼が彼らに襲いかかられ、肉を食いはがれた死体となったのを。いつかの海亀のように。――ショックでビネブル夫人は狂った。博士をセバスチャンとして、そこがガラパゴス群島であるかのように話しかけた……。庭のキャザリンの腕を、博士が優しくにぎった。
「去年の夏突然に」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「去年の夏突然に」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1959 |
公開年月日 | 1960年3月15日 |
製作会社 | コロムビア映画 |
配給 | コロムビア |
レイティング | |
アスペクト比 | スタンダード(1:1.37) |
カラー/サイズ | モノクロ/スタンダード |
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