解説
「ワーロック(1959)」のロバート・アーサーが、ロバート・ディリーのノンフィクション『残酷なスポーツ』その他、オートレースの記録にもとずいてストーリーを書き、劇作家ウィリアム・ハンリーが脚色、「大列車作戦」のジョン・フランケンハイマーが監督にあたった。撮影は「影なき狙撃者」のライオネル・リンドンで、レース・シーンには20数台のカメラが動員された。音楽はモーリス・ジャール、レース顧問にはジョー・ボニアー、レース技術監督はジム・ラッセルが担当した。出演は「砦の29人」のジェームズ・ガーナー、「7人目に賭ける男」のイヴ・モンタン、三船敏郎、「いそしぎ」のエヴァ・マリー・セイント、「スェーデンの城」のフランソワーズ・アルディ、ブライアン・ベドフォードほか。またレース・シーンにはブルース・マクラレン、ボブ・ボンデュラント、フィル・ヒル、グラハム・ヒルなど世界的レーシング・ドライバーが出演する。製作担当はエドワード・ルイス。
「グラン・プリ」のストーリー
国際オートレースのトップをきって行われたモンテ・カルロのグラン・プリ・レースで惨事が突発した。アメリカ人ピート(ジェームズ・ガーナー)は地中海に投げ出され、幸に軽傷ですんだが、イギリス人スコット(ブライアン・ベドフォード)は壁に激突して重傷を負った。優勝はサルティ(イヴ・モンタン)だった。ピートとスコットのスポンサー、ジョーダンは2人を激しく非難したが、弁護してくれたのはサルティだった。ところで、レーシング・ドライバーの生活は女性の憧れの的だが、彼らの家庭生活は必ずしも平穏ではなかった。スコットの妻パットは離婚を決意し、サルティはフェラリ創立者の娘モニークと結婚していたが、生活は暗礁にのりあげ、パーティで知り合った雑誌記者のルイーズ(エヴァ・M・セイント)を愛し始めていた。そしてピートの妻も彼のもとを去っていった。傷心の彼に救いの手をさしのべたのは、ホンダの矢村(三船敏郎)だった。彼はピートのファイトを買い、日本チームへの参加を勧めた。矢村のおかげでピートはよみがえり、つぎつぎとレースに優勝していった。傷いえたスコットも第一線に復帰し、モンテ・カルロで2位に入賞したニーノ、それにピートとサルティを加えた4人が各地のレースでしのぎを削りあった。そしてフォーミュラー・ワンの最後のレースであるモンツアのイタリア・グラン・プリを迎えることになった。レースは白熱化し、異常な興奮をまき起こした。特にサルティの運転ぶりに大歓声が起こり、その歓声にホテルにこもっていたルイーズも思わず飛び出した。だがその時、サルティの車はコントロールを失い、壁にあたって爆発してしまった。これを見てニーノは車を降りた。レースはピートとスコットの争いとなり、少しの差でゴールを奪ったのはピートの白いホンダだった。新しいチャンピオンの誕生に観衆は熱狂した。しかし名選手サルティを失って動揺したピートは、心の真の平和を、尊敬する矢村の国から見い出したいと日本行きを決意した。そして、もしそれが見つかったら、再びレースに戻ることはあるまいと思っていた。
「グラン・プリ」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「グラン・プリ」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1966 |
公開年月日 | 1967年2月1日 |
上映時間 | 176分 |
製作会社 | ジョン・フランケンハイマー=ダグラス&ルイス・プロ共同 |
配給 | MGM |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | 70mmワイド(1.2.20) |
カラー/サイズ | カラー |
音量 | 6chステレオ |
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