ピアニストを待ちながらの映画専門家レビュー一覧
ピアニストを待ちながら
村上春樹ライブラリー(早稲田大学国際文学館)の開館記念映画として製作された短編をもとに、村上春樹ライブラリーで全編撮影された劇場公開(ディレクターズカット)版。なぜか真夜中の図書館に閉じ込められた5人の男女。彼らは芝居の稽古を始めるが……。出演は、「バジーノイズ」の井之脇海、「かくしごと」の木竜麻生、ドラマ『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の大友一生。監督は今年デビュー20周年となる、「眠り姫」などの七里圭。
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文筆家
和泉萌香
自動扉は開閉するのに出ていくことはできない虜囚たる我々はもう、不条理文学談議をしている場合でも、神など待っている場合でもない。新しい図書館における、内輪的なぐるぐるとした遊戯は悲しくも「現代的」と言ってしまえるのかもしれない。「去年マリエンバートで」「世界の全ての記憶」といったレネ的不在と記憶の、そして「皆殺しの天使」的囚われの物語だが、暗示的な世界に対してやや雄弁な説明的なセリフが多いせいか、生きているものと死せるもののあわいにある官能性に欠ける。
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フランス文学者
谷昌親
題名が示すように、ベケットの戯曲が下敷きにされており、芝居の上演に向けて稽古をしている人物たちが登場する。物語の展開も不条理劇風で、総じて、きわめて演劇的な作品と言えるだろう。しかしそれでいて、夜の暗闇を身にまとうように佇む建物をとらえた冒頭から、ひとつひとつのショットの力、そしてショットとショットの連なりが生む力が伝わってくる。このふたつの力が交わるなかで作り出される独特の空間や人物の奇妙な存在感は、映画的表現のみごとな達成にほかならない。
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映画評論家
吉田広明
ピアニストは到来すべき芸術=「詩」であり、やがて来る「死」でもあるゆえ、本作は芸術とは、生きるとは何かを問う原理論的作品としての深みを得る。しかし「原理」を言うならば、舞台上の現存に縛られる演劇でこそ「不在」は逆説的に強い存在感を放つが、映画の場合、「在」っても真偽不明のいかがわしい「映像」、その嘘の力こそ映画の面目では、という疑問も浮かばないではいない。とはいえ、与えられた機会を生かして自身の映画に仕上げた力業は、一つの範例たりえよう。
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