リトル京太の冒険の映画専門家レビュー一覧

リトル京太の冒険

ニューヨークで映画製作を学び、国内外の映画祭で多数の受賞歴を持つ大川五月の劇場用長編監督デビュー作。東日本大震災以来、防災頭巾を手放せない少年・京太の楽しみは、英語教師ティムとの会話。そんな彼の前に、アメリカ人女性モリーが現れるが……。出演はNHK連続テレビ小説『まれ』の土屋楓、「ホテルコパン」の清水美沙。
  • 映画評論家

    北川れい子

    すでに短篇2作の「京太」シリーズがあるとは知らなかった。ずっと同じ子役が演じているという。その短篇でも防災頭巾をかぶっているらしい。でこの長篇第1作、いくら少年目線の映像だといっても、脚本も演出もたどたどしすぎる。あの日(東北大震災?)以来、頭巾をかぶっているという少年の設定も12歳ともなれば奇妙に思ってしまう。そして再び町に戻ってきたアメリカ人の英語教師へのストーカーまがいの行動。むろん理由はあるのだが。救いは屈託のない母親。次作を期待。

  • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

    千浦僚

    微笑ましい少年ものかと思いきや、やがて語られるものの重さに凝然とする。適切な例えではないが、子供はマンドリンで人を殺すくらいに、迷いなく狂ったように、シンプルで論理的なものだ。その子供が何もその述べ方に綾をつけず、不安だ、この国から逃れたい、と言う。大人のようにうまく自分を誤魔化して気をそらし、何も不安がないと思い、そう振舞うようには出来なかった少年が。その救いが西欧人。これもたしかに近代以降の日本の新たな神だ。彼が米国人でないこともよい。

  • 映画評論家

    松崎健夫

    この映画は「ある日を境に誰かが突然いなくなること」を描いている。それゆえ、観客は自ずと事象の数々を震災と結びつける。例えば、主人公・京太の姿が通りの角に消え、誰もいない通りを映し続けることで「いなくなる」ことを印象付けている。また、朽ち果てた山の休憩所の姿は「そこにあったはずものがなくなる」ことをも示している。だからこそ、京太にとって町に帰って来た外国人教員の存在は「いなくなった人間が復活する」という〈奇蹟〉のようなものとして特別なのである。

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