ラプラスの魔女の映画専門家レビュー一覧
ラプラスの魔女
東野圭吾の同名小説を、「ヤッターマン」以来のタッグとなる三池崇史監督・櫻井翔主演で映画化。自然現象による2つの不審死が連続して発生。警察から調査を依頼された大学教授・青江は事件現場を念入りに検証し、自然科学的見地から事件性を否定するが……。共演は、「ちはやふる」シリーズの広瀬すず、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の福士蒼汰ほか。脚本は、ドラマ『半沢直樹』の八津弘幸。
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映画評論家
北川れい子
慇懃無礼。猫っ被り。オヤオヤ三池監督、いったいどうしちゃったの。作品のあまりのシラジラしさ、よそよそしさについ好奇心が生じ、東野圭吾の原作まで買って読んだりも。で、猫っ被りのワケを3割方、理解したのだが、いくら原作者が描く映画人が素っ頓狂で、その犯罪が異常でも、ここまで口を拭って演出するとは……。特殊な能力を持つ若い2人の過去や現在にしても映画を観ただけでは独り合点もいいところ。味も塩っ気もない事件とキャラクターだけの映画の空しさよ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
試写観て、ほんとにこんな原作?と思いあわてて原作読んだ。ほんとにそういう原作だった。スジやキャラや台詞もだいたいそのまま。理工系作家東野圭吾らしい科学を延長した先の超科学的な理屈のミステリーという渋めの原作の面白さを映画が外してる気がした。映画的でかっこいいなと思ったのは広瀬すずが予測した光の反射を目潰しに使って脱走する場面。もっとああいうことや「マイノリティ・リポート」の予知能力を使う逃亡みたいなことを創出するなりすればよかったのにと思った。
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映画評論家
松崎健夫
本作では、ガラス窓、ガラス戸などガラス越しの映像が散見される。櫻井翔がガラスの向こう側やこちら側にいることで、対人関係のあり方を示唆してみせている。例えば、広瀬すずを匿う部屋が障子に囲まれているという対比は、それを際立たせている。“ラプラスの悪魔”は現状からの未来予測が可能であることを意味するが、この映画の中で向こう側が“見える”あるいは“見えない”こともまた、観客にとっての先行き予測が可能か否かを視覚的に表現してみせているようにも見えるのだ。
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