モリのいる場所の映画専門家レビュー一覧
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映画評論家
北川れい子
自分が動けば世界も動く。自分が止まれば世界も止まる。誰のことばだったか。つまり、どこに居て何をしていようと自分の居る場所は世界の中心だということ。でも実際は、小さな世界であくせくしているのがせいぜいで、自分の居場所さえ、おぼつかない人も。けれども“モリ”は違う。小さな自然の庭に、無限の広がり、無限の命、無限の自由を感じ取り、草花の前にうずくまりながら、無限の世界と戯れる。美しい映像と自然体のユーモアで老夫婦の日常を切り取った沖田監督に平伏。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
トリクルダウンで低所得層が潤うことの困難を明瞭に予告したのは「マルサの女」の山﨑努演じるラブホテル王が滴る水とグラスの喩えで金の貯め方を語る芝居。あのギラつく俳優山﨑努は近年大御所に位置づけられ置物化していて淋しい。横浜聡子監督作「俳優 亀岡拓次」ではまだ少し動いた。それを大きく超えたのが本作。山﨑努は草木やトカゲや蟻と芝居をする。それは観て心地よい。本作の樹木希林には彼女がナレーションを務めたドキュメンタリー「人生フルーツ」の反映を感じた。
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映画評論家
松崎健夫
熊谷守一の絵画に基づいた画面構成が施されている本作は、“もり”という言葉に幾つもの意味を重ねている。例えば、自宅の庭が“森”であるかのように撮影することで、普段目につかないところにも“営み”があることを示唆しながら、尺取り虫の動きが“時間の流れ”のあり方をも論じさせているように見えるのだ。山﨑努は表情の変化を“殺した”役作りを行い、その仮面(人に見える部分)の下(人に見えない部分)を感じさせつつ、本人のパブリックイメージを踏襲している点が秀逸。
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