港町の映画専門家レビュー一覧
港町
独自のルールに基づく“観察映画”で、国内外から高い評価を受ける想田和弘が、ある港町で繰り広げられる人々の営みを見つめたドキュメンタリー。穏やかな内海にある小さな海辺の町。孤独と優しさが漂うこの町に暮らす人々は、静かに言葉を紡いでゆく……。ベルリン国際映画祭2018に正式招待された観察映画の新境地。
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評論家
上野昻志
網にあげられた魚は市場に卸され、魚屋に行く。魚屋のおかみさんは、それを車に積んで、町の人に売りあるく。昔は、よく見かけた光景だ。猫が魚の臓物を喰うのも、昔は眼をとめるほどのことではなかったが、最近はついぞ見ない。それが、この港町では当たり前のこととしてある。突堤近くには、よく喋り歩き回る老婆がいて、対照的に寡黙な漁師がいる。そして、ここでも空き家が増えているという。それを淡々と写すカメラ。では何故、この場所なのかという問いは、禁じられている。
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映画評論家
上島春彦
この港町が選ばれた理由については資料を読めば分かるが、映画自体はそういう件を語らない。その結果、金にはならない漁を淡々と続ける老人と、地域から色々と疎外されている老女、二人の姿がくっきりと浮かび上がる構成。女は明らかに少しばかり精神的にヘンなのだが、最初どう対処するか迷っていた撮影者(とその奥さん)も腹を据えて彼女につきあい(そう解釈されるよう編集している)、田舎町の奇妙な闇のようなものに触れてしまうことに。町というか彼女の心の闇なのだろうな。
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映画評論家
吉田伊知郎
舞台となる牛窓は「カンゾー先生」のロケ地だが、映画的磁場が強いようだ。本作に出てくる人々も現実の中に居るとは思えない。路地から路地へとカメラが動くに連れて、人から人へと心地よく視点が移っていく。あれを撮ってやろうという意識を捨て、港町に暮らす人々の時間、ゆったりした歩みに寄り添って初めて映るものばかりだ。饒舌に語る老婆の不確かな内容にじっと耳を傾けていると、現実では随分長い間、こうした老人の繰り言に付き合う気力を失くしていたことに気づかされる。
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