ちいさな独裁者の映画専門家レビュー一覧

ちいさな独裁者

「RED レッド」のロベルト・シュヴェンケがドイツ敗戦直前の混乱期に起こった実話を映画化。偶然ナチス将校の軍服を手に入れた脱走兵ヘロルトは、言葉巧みに道中で出会った兵士たちを服従させていく。やがて、その傲慢な振る舞いはエスカレートして……。出演は、「まともな男」のマックス・フーバッヒャー、「僕とカミンスキーの旅」のミラン・ペシェル、「陽だまりハウスでマラソンを」のフレデリック・ラウ、「顔のないヒトラーたち」のアレクサンダー・フェーリング。2017年サンセバスチャン国際映画祭撮影賞受賞。
  • 批評家、映像作家

    金子遊

    終戦直前、ひとりの脱走兵が軍服を手に入れたことから、ナチスの将校になりすます。この作品を見ながら、映画の登場人物に対する観客の共感能力について考えていた。主人公が画面の中心におかれ、彼の物語が展開するなかで、脱走兵を取り締まる憲兵に出くわしたり、彼の素性がバレそうになったりする度に、あろうことか、わたしは唾棄すべき主人公にその場の窮地をのがれてほしいと祈っていたのである。このことは、権威を笠に着て虐殺にまで走る主人公以上に危険なことではないか。

  • 映画評論家

    きさらぎ尚

    権力と無縁の人間が権力の味を知ったらどうなるか。脱走兵ヘロルトを見れば一目瞭然。彼の[なりすまし]は救い難い反面、映画を面白くもする。この男の正体に気づかず、疑いもしない警備隊長、処刑に反対するも残虐行為を阻止できない収容所長。いずれも権力の前に無力。挙句、権力の快楽の行き着く先を遊興としていることで、猛毒入りの人間喜劇にも見える。1945年のドイツの実話が現代に重なり、監督の言葉「彼らは私たちだ。私たちは彼らだ」が痛い。いつの時代も人間というものは……。

  • 映画系文筆業

    奈々村久生

    第二次大戦末期、秩序の失われた世界で増長していく負の連鎖。たった一人のニセ者将校の誕生は「まぼろしの市街戦」や「小人の饗宴」を思わせるような倒錯した狂乱をエスカレートさせていく。彼もまた戦争の被害者だ、というのはあまりにも安直で、被害者と加害者は常に表裏一体だ。モノクロの陰影の効いた映像が写し出す深夜の集団射殺シーンは恐怖と虚無の極み。「フライトプラン」「RED/レッド」などでアクションとサスペンスの実績を持つロベルト・シュヴェンケ監督の真骨頂。

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