僕に、会いたかったの映画専門家レビュー一覧
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映画評論家
北川れい子
常に人々の仕事や地域の文化・習慣をしっかり盛り込んで身の丈のドラマを語っていく錦織作品に、日本映画の良き伝統を感じているのだが、今回はチト戸惑う。隠岐の伝統相撲を題材にした「渾身KON-SHIN」と同じ隠岐島を舞台に、タイムリーな話題の“島留学”と“島親”の話を絡ませて、記憶喪失のままの漁師の日々が描かれていくのだが、えーっ記憶喪失!? 思うにTAKAHIROの演技をアピールするための設定なのだろうが、風景も人情も自然で美しいだけに違和感が残る。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
映画が始まってある登場人物が出てきたとき、まずその人物の内面や来歴はわからないものだが、観ていてだんだん彼が記憶喪失であるとわかってきたとき、観客もいわばその映画の世界や人物たちに対して記憶や情報を有しない者として居たわけだから、客席とスクリーンのなかの覚束ない者同士が同族のように感じられる、ふと目を合わせるようなことも起こりうる。TAKAHIROにはそうも思わせるようなナイーブな佇まいがあった。そして私は「たたら侍」のことを忘れられた。
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映画評論家
松崎健夫
都会と地方における家族のあり方を対比すべく、ここでは島側の視点に寄り添うことで問題点を炙り出そうと試ている。海岸線沿いをランニングする主人公の“不安”を暗示するように、道は右に曲がりくねり、先が見えない。人生の先にあることは判らないといわんばかりだ。また〈記憶〉の正体を観客が悟る直前、そこで“困難”が待ち受けていることを暗示するように、松坂慶子が急な坂道を登ってゆく。本作は様々な暗喩を用い、観客の固定観念をも利用しながら予想外の終盤を提示する。
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