第三夫人と髪飾りの映画専門家レビュー一覧
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
スパイク・リーが脚本を絶賛し、トラン・アン・ユンが美術監修を務めた新人優等生は、驚愕な作品を提示。先祖の記憶をポテンシャルに自身の創作の正統性を貫く。しかし、真の感動はその外部の物語にあるのではなく、作品の内部に存した。秀逸な脚本さえ色褪せてしまうほどの、その景色や光陰、湿度、そして集落や人々の慣習や仕草などが、映像内部に自由に生きている。失われた家族や民族の歴史そのものが発酵し、芳香を放つ。監督個人の底に流れる集団的無意識を見た。
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フリーライター
藤木TDC
いつか見たデイヴィッド・ハミルトン映画の耽美な感触。蝿も蚊も百足も蛇も蝙蝠もいない、カビも苔も生えない乾いて清潔な19世紀東南アジア。白い歯、サラサラヘア、今風ナチュラルメイクの痩身美女たちが紗のかかった世界で愛と性に惑う。驚くべし多妻制の妻どうしの修羅場や家長の横暴もない。イリュージョンの近世ヴェトナム女性史は長大なペットボトル緑茶のCMのよう。淡いエロスに萌える前戯映画として不倫デートに使える? ウーン、大人の観賞にはも少し刺激がないと。
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映画評論家
真魚八重子
一夫多妻制を扱った映画としてチャン・イーモウの「紅夢」を連想する。女同士が足を引っ張り合う「紅夢」に対し、本作は女同士の間では時に妬む瞬間はあっても、基本的に連帯がある。でもどちらが真実かというのは無駄な考えで、現れ方は異なっても横たわる不条理への違和感や身を焦がす苦悩は同じだ。女同士のクィアへの機微を見分けた目線や、男性優位の歴史の中で女が状況を受け入れるたゆたい方。作り手の性別に囚われたくないが、やはり女性監督らしい率直さと怒りの表現を感じた。
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