鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽の映画専門家レビュー一覧

鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽

1947年に出版された太宰治の小説『斜陽』の映画化。戦後に没落していく貴族の娘でありながら、古い道徳に抗って太陽のように道ならぬ恋につき進んでいく27歳のかず子の生き方を、75年を経た現代に照らし合わせて描く文芸ドラマ。主人公を演じたのは本作にて映画デビューと初主演を飾った宮本茉由。最後の貴婦人の誇りを持ちながら結核で死んでいく母に水野真紀。麻薬と酒に逃げ破滅していく弟の直治に奥野壮。太宰自身を投影した無頼の売れっ子作家・上原を安藤政信が演じる。監督は「うさぎ追いし 山極勝三郎物語」の近藤明男。故・増村保造監督の助監督を務めたことが縁で、増村と脚本家の白坂依志夫が遺した「斜陽」の脚本草稿を元に、自ら本作の脚本を仕上げた。
  • 脚本家、映画監督

    井上淳一

    75年前の原作を48年前の脚本で今映画化する意味があるのだろうか、と恐る恐る観る。脚色で言えば、母との話を薄く、小説家を濃くして、実際に子供を産ませたことはさすがだと思った。しかし、その子が死んだ小説家と弟の生まれ変わりだというラストのナレーションで、戦後すぐ婚外子を産むことが私の革命だという原作の精神が台なしに。聞けば、そこは監督が書き足したという。逆に時代錯誤だし。手堅いだけの演出で映画的躍動はゼロ。白坂&増村のホンのまま、増村演出で観たかった。

  • 日本経済新聞編集委員

    古賀重樹

    華族の没落というほとんど1940年代後半に固有のテーマを今どう描くか。70年代に脚本を書いた増村保造と白坂依志夫の意図はわからないが、近藤明男監督が丁寧に撮ったこの作品を見る限り、さほど奇を衒っているとは思えない。予算の制約のせいか戦後混乱期の風俗がどこか作り物めいている中で、最後の貴族の気品と退廃を表現した水野真紀に存在感がある。一方でシングルマザーとして生きる決意をする主人公の「革命」が霞んで見えるのは、時の流れなのだろうか。

  • 映画評論家

    服部香穂里

    舞台の伊豆と東京でカラーを変えているが、ベートーヴェン《悲愴》の力を借りても淡白気味に映る一夜限りの情事を含む東京の情景よりも、流刑地のごとき伊豆の場面に強度を感じるのは、演出の意図なのか。人間失格であれ、かず子に子を産みたいと切望させる、太宰の分身でもある上原の才能だけは本物であって然るべきと思うが、取り巻き連中の空虚な議論からは、作り手が彼を評価しているように見えないのも難。原作に色濃いデカダンスを一身に背負う、水野真紀の妙演は印象的。

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