あの子の夢を水に流しての映画専門家レビュー一覧

あの子の夢を水に流して

令和2年7月に起きた熊本の豪雨災害を受け、同県出身の遠山昇司が監督・脚本を手掛けて作り上げた作品。生後間もない息子を亡くした瑞波は失意の中、10年ぶりに故郷・熊本の八代に帰省。幼なじみの恵介、良太と豪雨災害の傷跡が残る球磨川を巡り始める。出演は「決戦は日曜日」の内田慈、「教誨師」の玉置玲央。
  • 映画・音楽ジャーナリスト

    宇野維正

    球磨川の景観とその土地で生活を営む人々。役者の自然な所作。丁寧で的確な編集。映画としての美点も少なくない作品なのだが、主人公の境遇の重さが、完全なフィクションであるとしたら自分にはトゥマッチな設定に思え、作家のパーソナルなものであるとしたらそれこそフィクションとして浄化されていることに戸惑う。登場人物が突然饒舌になって、名言風の台詞を喋り出す展開が繰り返されるのにも違和感が。それと、このタイトルでどれだけ観客の関心を引くことができるのか疑問だ。

  • 映画評論家

    北川れい子

    寡黙なシーンをつなげて章立てしたような映像が、ここでは妙に思わせぶりに感じられ、それが歯痒い。喪失感を抱えて故郷の熊本に帰省した女性の数日間。生まれてすぐの赤子を亡くしたという設定で、こう言ってはなんだが、悲しい出来事には違いないが、どちらかというと題材的には描きやすい。当然、彼女は自分に沈んでいるが、幼馴染みの男二人と豪雨の爪痕の残る球磨川巡りをするうちに、いつしか足元が軽くなり。郷愁と感傷で微妙に変化する川の表情は面白いが全体に気取り過ぎ。

  • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

    千浦僚

    ひとつ不自然かもと思ったのは子の名前について。自分にも子がいていきおい他のお母さんらと交流を持つこともあるが、もう皆それぞれの子を名前で呼んで話す。誰それ? というのをおかまいなく、呼ぶことで存在させる。本作は重要な場面で一回だけ名を呟くことの逆算が過ぎて? 内田慈演じる母親がずっと息子、あの子と言う。そこは解せぬ。だが内田慈はすばらしい名演。玉置玲央が最後に出くわしたこどもと遊ぶところはトリュフォー「恋のエチュード」の末尾の感慨にも近い。

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