私がやりましたの映画専門家レビュー一覧

私がやりました

「苦い涙」のフランソワ・オゾン監督によるミステリー。プロデューサー殺害容疑をかけられた新人女優マドレーヌは、親友の弁護士の指示で正当防衛を訴え聴衆の心を掴み、無罪に。一躍時の人となるが、往年の大女優オデットが真犯人は自分だと言い出し……。ジョルジュ・ベルとルイ・ヴェルヌイユによる1934年の戯曲『Mon crime』を翻案。売れない女優マドレーヌを「フォーエヴァー・ヤング」で2022年第48回セザール賞有望若手女優賞を獲得したナディア・テレスキウィッツが、マドレーヌと正反対の性格の駆け出し弁護士ポーリーヌを「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」のレベッカ・マルデールが、二人の前に立ちはだかるオデットをオゾン監督作「8人の女たち」にも出演したイザベル・ユペールが演じる。
  • 映画監督

    清原惟

    友人同士である女優と女性弁護士が共に無実を証明するまでの物語と思って見ていたが、早々に勝利を手にしてしまい、第二の展開が待っていた。そこで突然現れた、イザベル・ユペール演じるかつての大女優オデットが、二人の勝利をかき乱す。オデットのキャラクターはかなり滑稽で痛々しいのだけど、そんな彼女が単なる悪役としてのみ機能する話ではなかったところに救われる。女性の参政権もなかった時代を舞台に、今にもつながる問題意識を軽やかに喜劇として描いているのがよかった。

  • 編集者、映画批評家

    高崎俊夫

    F・オゾンは現在のフランス映画界で大衆性と自己流の美意識を統一させた手練れの演出で一頭地を抜いている。本作は「イヴの総て」を反転させた小粋な笑劇だが、B・ワイルダーの処女作「悪い種子」の引用からもわかるようにワイルダーへのオマージュだ。I・ユペールの怪演は「サンセット大通り」のG・スワンソンを彷彿させるし、アモラルなファースの趣向は「人間廃業」を書いていたウーファ時代が想起される。しかし、そこには〈ファースへのノスタルジア〉(花田清輝)だけがあるのだ。

  • 映画批評・編集

    渡部幻

    「8人の女たち」「しあわせの雨傘」と共に三部作を形成する新作は“アモラル”な偽装犯罪コメディ。ぼくが一番好きな「しあわせの雨傘」のみ犯罪ものではないが、「さて、それで女性たちはどうする?」のスリルは同じ。50年代、70年代と続いて今度は30年代が舞台。各作品、各時代のハリウッド映画の気取らないリズム感を踏襲しながらフランス風に料理した。オゾンはここでも女優への感謝を込めて、男性優位の社会に居直る女性たちの“犯罪”的な反撃にこそ“モラル”を見出だして気持ちがいい。

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