わたくしどもは。の映画専門家レビュー一覧

わたくしどもは。

小松菜奈と松田龍平がダブル主演を務める“彷徨える魂”の物語。佐渡島の清掃員キイが施設内で倒れている女を発見し、家へ連れて帰る。記憶を失っていた女はミドリと名付けられ、そこで働き始める。ミドリはアオという男と出会うが、彼もまた過去の記憶を無くしていた。共演は「後妻業の女」の大竹しのぶ、「メンドウな人々」の片岡千之助。佐渡島に眠る“無宿人”の墓からインスピレーションを得た、「ブルー・ウインド・ブローズ」の富名哲也が監督・脚本・編集を務めた。
  • 文筆家

    和泉萌香

    ヒロインの「わたくし」は現実感を抑制するためにあえて用いたとのことだが、彼女のいでたちからしても、他の言葉づかいからしてもその一人称には疑問が残り、<不自然さ>が逆効果に。佐渡島のロケーションはずっと眺めていたくなるほどに圧巻。だが、その島でカップルが心中した、ということ以外に背景が描かれず、形而上的な言葉の応酬ばかりで肝心の「生まれ変わったら一緒になろうね」も響かない。あの世でもこの世でもない場所における<ある種の現実>には精密さが必要だ。

  • フランス文学者

    谷昌親

    なんだか能のようだと思いながら観ていたら、途中で実際に能役者が出てきて、なるほどと思わされた。要するに、歌舞伎や浄瑠璃によくある男女の道行を現代風の能として描いた映画だと言えるだろうか。作中人物たちがいるのは死後の世界であり、それでいて、佐渡島という現実の土地で物語が展開するため、幻想的でありながら、存在感の伝わる作品になっている。前半はフィックスの画面中心で、後半になるとオートバイが登場してカメラも動き、一種の高揚感が生じてくるのも魅力的だ。

  • 映画評論家

    吉田広明

    今は博物館になっている金鉱跡に、ふと出現する記憶を欠いた人々。色の名を自身の名とする彼らがその地で過ごす時間を淡々と描くのだが、SF的な設定なのかと思いきや、彼らがそこにいられるのは四十九日という設定で底が割れる。佐渡島での風景、建築は見事であり、出演者も贅沢なのだが、しかしそれは土台となる説話の「部分」に過ぎまい。部分の豪華さに気を取られ、全体のデザインが疎かになっている。「私たちは誰だったのでしょうね」と主人公は最後に言うが、それはこっちの台詞である。

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