映画専門家レビュー一覧
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知らないカノジョ
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文筆家
和泉萌香
この世界、一つの現実ではよりによってパートナーと自分、どちらか一人の成功しか存在せず、自分の存在が相手の幸福に作用するというなかなかにシビアな設定ながら、中島健人、miletふたりの好演で爽やかなラブストーリーとなっている。とはいえ、パラレルワールドでの彼の奮闘っぷりもファンタジー内のファンタジー、といったふうでとんとん拍子に出来すぎかつ、最後もあっけなくハッピーエンドで、「もしも」という言葉のしみじみとした奥行きは希薄。
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フランス文学者
谷昌親
ラブストーリーに音楽、そしてファンタジー的要素まで加われば、三木孝浩監督の独壇場となる。実際、それこそさまざまなファクターをそつなくまとめあげる手腕はみごとなものだ。しかし、ファンタジーだとはいえ、「ここで生きるしかない」と作中人物に言わせておきながら、結局はもうひとつの世界への未練を断ち切らせないのであれば、それまでの人物たちの営為はどうなってしまうのか。ハッピーエンドになること自体はかまわないが、そこに至る過程をこそ映画は描くべきではないのか。
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映画評論家
吉田広明
パラレルワールドものだが、どちらの世界にあっても上手くいっている自分を求める主人公の身勝手さが目立って見える。最終的に自分の成功を諦めることで彼女の成功の持続を望むのも、自己犠牲のつもりなのが苛立たしい。彼の書く小説(ラノベの戦闘ものだ)と二人の現実がうまく繋がっているかに見えないし、二つ目の世界におけるステータスの差が大きすぎ、それを繋げるはずの祖母が挿話に留まるなど、構成が無理筋で強引に見える。よって二人とも成功者のエンディングも見ていて白々しい。
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石門
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文筆家
和泉萌香
(文字で書くのも悍ましいが)生殖ビジネスという世界的な問題を中心におきながらも、距離を保って見つめることで浮き上がってくるのはまだ自分自身も定まらない若い女性の個人的な肖像画だ。淡々としたカメラに「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」(75)を想起。職場や街中での視線、家、無責任な恋人、女の体であり、そしてどこまでも客体化されるということ、終わらない「生きづらさ」を長い時間をかけ窮屈に体感させる。
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フランス文学者
谷昌親
思いがけず妊娠してしまった女性の姿を、妊娠期間に相当する10カ月かけて撮影した作品だ。しかも、ヒロイン役のヤオ・ホングイは、前の2作でも同じリンという人物を演じているという。トリュフォーのドワネル・シリーズがそうだったように、ヤオ・ホングイが生きてきた時間そのものの記録ともなっているわけだ。被写体との間に距離を置き、フィックスのワンショットでの撮影をとおして、人物のみならず、人物を取り巻く環境も押し流していく時間が、いやおうなく刻印されていく。
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映画評論家
吉田広明
生まれてくる子を本当に引き取る気があるようにまったく見えない相手を信用していいのか終始疑問が去らないし、淡々と描くことで主人公の状況を体感させようとの意図だろうが、長い割には画に力がないショットのせいもあって、彼らを信じて生むまでの十カ月、宙づりの時間の不安が伝わらない。詮無い比較だが、ダルデンヌ兄弟なら半分の時間でもっと刺さる映画を作っていただろう。中国の子ども事情は知らないが、中国社会を象徴的に示す普遍性にまで達しているようにも思えない。
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TATAMI
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映画監督
清原惟
イラン政府から受けた脅しに立ち向かう柔道の選手とコーチの物語。初めは脅しに屈して政府の言いなりだったコーチの葛藤が、「聖なるイチジクの種」の母と重なり印象深い。しかし、この作品にはパレスチナ人に対して深刻な人権侵害・虐殺を行っているイスラエルの資本が入っており、イラン・イスラム政府を徹底して批判的に描くことで(イラン政府の人権侵害はもちろん深刻だが)、直接ではないがイスラエルの行いを正当化するようにも見えてしまい、観ていてしんどいものがあった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
女子柔道世界選手権を舞台に、その裏面でうごめく国家間の熾烈な闘いを炙り出す作劇がユニークである。イスラエル選手との対戦を回避するため、イラン政府は選手と監督に対して棄権を強要するのだが、あらゆる卑劣な手段が講じられ、そのおぞましさには?然となる。試合中に満身創痍となったイラン選手の顔面から滴り落ちる血をとらえたカットが鮮烈だ。畳という聖なる磁場がふいに深い象徴性を帯びるのである。この問題作がイスラエルとイラン出身の共同監督であるのが救いではある。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
祖国が抱える問題を亡命者が告発した、当事者からの必死の叫び――。ちょうど「聖なるイチジクの種」と重なる主題を持つ紛れもない力作であり、“ザール・アミール監督作品”として観ると一本筋が通っている。しかし“ガイ・ナッティヴ監督作品”として観れば、そもそも物語の前提となった問題における自国の責任に一切触れていないため、「相手を断罪する」一方的にも見える姿勢に矛盾を感じてしまう。鑑賞後にナッティヴ監督のスタンスを探るため海外インタビューを漁ることとなった。
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ゆきてかへらぬ
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ライター、編集
岡本敦史
このスタッフ・キャストの顔ぶれで、本誌読者が観ない理由はほぼないと思うので、以下は余談。演出も俳優も容赦なくコテンパンにする田中陽造脚本の難易度の高さがいっそ清々しい。当時の若者のトレンドであるところの近代思想や自意識に染まって久しい大正アウトサイダーズの愛と葛藤を、令和の若者が異国の出来事に触れるように好奇心をもって喰いついたらいいな、と思いながら観た。誰よりも現代作家として在り続けた根岸監督の挑戦に、自分も長らく失った「若さ」を感じた。
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映画評論家
北川れい子
期待が大きかったことは確かだが、まさか観ていてこれほどこそばゆくなるとは思いもしなかった。鈴木清順監督の伝説的な大正ロマン三部作の脚本で知られる田中陽造が、長年温めていたという脚本の映画化。冒頭の雨の京都の狭い路地で、根岸監督が、朱色を効果的に使っていた清順監督よろしく、赤い傘と赤い柿を際立たせていたのはともかく、3人の主役たちの、翻訳ものの舞台劇のような背伸びした演技。ふと“中原よ 地球は冬で寒くて暗い”という草野心平の言葉を思い出したりも。
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映画評論家
吉田伊知郎
根岸が16年ぶりに撮ったのではなく、映画が16年ぶりに現れたのだと言いたくなるほど濃密な空間がそこかしこに出現する。ことに室内セットの仄暗さ、湿気まで漂ってくる空間の素晴らしさ。ロマンポルノが限られた条件下で時代性を再現していたように、撮影所時代を知る監督ならではのセットの活用や、ロケセットの使い方に感心しきり。するのではなく、しないことで三角関係を反射させる泰子は、「ナミビアの砂漠」のヒロインと双璧の存在。ご本人出演の「眠れ蜜」もこの機会に再映希望。
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犬と戦争 ウクライナで私が見たこと
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文筆家
和泉萌香
トルコが野良猫と共生する国というのは知っていたが、ウクライナでの野良犬の環境をはじめ、動物愛護の事情にまず驚いた。冒頭のシェルターや終盤の小児病棟の悲劇、インタビュイーたちそれぞれの悲痛な言葉、人間性の?奪がおこなわれている世界で翻弄されるすべての命の姿と、間違いなく現在進行形で起こっている恐ろしい戦争の記録だが、どこかきりっとした子、おっとりした子、抱えられた小さな子たちと犬、猫たちのシーンが長いのが魅力的で、魅力的がゆえに胸を掻きむしられる。
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フランス文学者
谷昌親
ロシアがウクライナに侵攻してから、三度にわたりウクライナに入国して撮影を繰り返した行動力と執念が作品に結実している。たしかに、この企画を断ったテレビ局のように、まずは人命救助のテーマを求めるのはいたしかたない面もあるが、山田あかね監督がこの映画をとおして突きつけた、命に優劣はつけられないというテーゼを受けつけなくなるのが戦争というものでもあるだろう。戦時下で見捨てられる犬の命と、その犬の存在に救われる人間の心をとおして、戦争に新たな光が当てられる。
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映画評論家
吉田広明
戦争、震災の緊急事態にあっては人命優先というのは確かに危機のリアルではあるのだろうし、本作で取り上げられているロシア占領下でむざむざ犬たちを見殺しにせざるを得なかった保護施設などを見るとそれも理解できないではない。しかしそれでも人命優先で犬猫は喫緊の話題ではないと本企画を却下したTV局の姿勢はその危機のリアリズムそのもので、これは、戦時では犠牲にしても仕方がない命があるというそんなマッチョな姿勢に対する、小さな命からのささやかだが確かな抵抗だ。
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ブルータリスト
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俳優
小川あん
215分という長尺は観客にプレッシャーを与える。しかし、ひとりの人生の歴史を語るには相応の時間が必要だということを、本作は完璧に立証している。驚くべきは、これが実話ベースじゃないこと。苦難を生き抜いた人物という記号ではなく、ラースロー・トートを真の存在にさせた。手紙を読み上げる声と、交響曲の響き、ダイナミックな映像のシンフォニーが、主人公が生き抜く姿を見事に体現し、各所の技術面での仕事が完璧に調和している。大胆でありながら繊細な創作の力に息を呑む。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
建築ファン(わしじゃ)は全員感涙必至。ていうか、クールなオープニングクレジットまでの数分間だけでもう泣いてしまった。だがその先はそんな華やかな演出はあまりない。明らかに強制収容所を思わせ、いずれ誰かの墓廟めいたものになるのではと予感させる建築物の、施工過程に次々降りかかるトラブルは、誇大妄想的な大プロジェクトが頓挫するあれやこれやの作品を想起させるが、映画の着地点はそのどれでもなく、第二次世界大戦後の(現在も?)米国社会を覆っていた、ある精神を浮き彫りにする。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
ホロコーストを生き延びて米国へ渡ったユダヤ人建築家の苦難の日々を描いたドラマ。バウハウスで教育を受け欧州で実績を残した建築家がアメリカでどん底からの再起を図るが、傍若無人な資産家の依頼に翻弄される。ユダヤ人の苦難、3時間25分という長尺、役者陣の熱演という批評家受けする要素を持ちながらも、第二部タイトル「美の核心」とは裏腹に、映画はホロコーストの核心にもブルータリズム建築の核心にも触れていない。物語の核がないのに、批評家攻略マニュアル的なあざとさが鼻につく。
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SKINAMARINK/スキナマリンク
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文筆業
奈々村久生
一言で言うなら究極の「匂わせ」映画。何らかの現象の一部だけが断片的に、それも焦らすように小分けに公開され、疑惑と憶測を延々と想起させる。発信する側だけが全貌を把握していて受け取る側を弄ぶような、意味があるようなないような仄めかしの連続が悪趣味。実験映画として観るにしても、そもそも写っているものがつまらないから、怖くないし面白くない。映画の中でまで匂わせとマウントに煩わされたくない。自分が鑑賞に費やした時間をどうにか肯定する理由を探そうとしたが無理だった。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
日本で流行ってる短篇ホラー動画と同じく、恐怖の中心の「びっくりする死」と「痛みの地獄」を直接は見せないよう迂回して、不安の象徴だけをひたすらつきつけてくる。ちがうのはテーマが日常やテレビ番組や狂人やインターネットではなく「幼児の寂しさと悲しさ」であること。だから因果や因習や怨念の恐ろしさはいっさい描かれない。「人間がいちばん怖い」とはよく言われるが、その人間すらほぼ出てこない。怖かったけど、アート作品として美術館で鑑賞してたらもっと怖かったかもしれない。
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