映画専門家レビュー一覧

  • ドライブ・イン・マンハッタン

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      マンハッタンの自宅に向うタクシー内での美女と初老のしがない運転手の会話だけでこれほど濃密なドラマが構築できることに感嘆する。老害スレスレのおせっかいな助言を買って出る皺が目立つショーン・ペンの果てのない饒舌。スモールタウン出身のダコタ・ジョンソンも時折、届く既婚者の恋人からの卑猥なメールに動揺を隠せず、そのダイアローグは次第に熱を帯びる。都市生活者の断片を切り取り、ささやかな真実をそっと差し出す。リング・ラードナーの上質な短篇にも似た味わいがある。

    • リモートワーカー型物書き

      キシオカタカシ

      「汚れた現世に天から舞い降りた聖人のような“マジカルおぢ”を描く物語だろうか?」という先入観で鑑賞したが、確かにその一面も若干あれど本作のショーン・ペンの言動はウザ絡み一歩手前、過去の奔放なイメージもこだますスケベオヤジ。そんな中高年男性のダメさ加減も高解像度で表現しているように人物描写は遠慮なく率直だが、露骨な露悪性はない……人の優しさを信じる善性がすっと心に染みわたる。心の傷から膿を吐き出していく主人公2人の旅路から、確かなカタルシスをもらえた。

  • 大きな玉ねぎの下で

    • ライター、編集

      岡本敦史

      ふたつの時代を行き来する作劇のアイデアは悪くないが、その先の展開に意外性が感じられず、物足りない。セリフも全体的に面白味がなく、等身大と凡庸さをゴッチャにしている印象。ゆえに、ラブストーリーとしても、ロマコメとしても弱い。社会人になった大人目線で「若さゆえの不器用さ」を懐かしむようなキャラクター性を導入した結果、「がらんどう、かつ嫌な奴」という人物造形になってしまった主人公にも心惹かれず。若い出演陣には才能も魅力もあると思うので、ぜんぶ大人が悪い。

    • 映画評論家

      北川れい子

      40年前にリリースされた“爆風スランプ”のヒット曲の、いまではほほえましいアナログの歌詞を、令和の現代に復活させた2組のラブストーリーだが、それなりに新鮮だ。髙橋泉の脚本は冒頭の居酒屋でのアクシデントから快調に走り出し、同じカフェバーで、昼と夜、すれ違いで働く彼女と彼の話に繋げていく。2人の間には仕事用の業務ノート。ラジオを通して描かれる、まんま歌詞をなぞった文通カップルのエピソードもくすぐったい。俳優たちの演技のバランスに無理がない、素直に楽しめる作品である。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      古典的な〈映画女優〉の雰囲気を持つ桜田ひよりの贔屓筋としては、冒頭の救命措置に勤しむ姿から、看護学生として現場に立ちつつ、カフェでバイトに励む姿へ、彼女にカメラを向ければ映画になることを再確認する。さりげなく手足を動かす姿がなぜか際立つ。「交換ウソ日記」に続いて、今度は連絡ノートにまで振り回されるが、そんな虚構を成立させる稀有な存在である。昭和末期と現代の二部構成の配分が絶妙とは言い難く、武道館のクライマックスが重なり合う作劇の難しさを感じる。

  • ショウタイムセブン

    • ライター、編集

      岡本敦史

      原作映画「テロ,ライブ」の果敢さ、精神性、ラジオ愛などは期待するべからず。テレビ局の信用がとことん失墜した状況での公開は、またとない好機だったかもしれないが、半端に踏み込みの浅い脚色が忖度や限界ばかり感じさせる。原発問題、政治とカネ、メディアの凋落と、こんなにも切り込む対象の多い国でリメイクすれば成功確実だったはず。元首相銃撃という立派なテロがあったというのに、驚くようなセリフもある。韓国映画からの学びが単にエンタメ性でしかないなら、いよいよ絶望的だ。

    • 映画評論家

      北川れい子

      リアルタイムといえば、米映画「フォーン・ブース」は、街中の公衆電話の受話器を離せば爆死するという密室劇で、生放送中のテレビスタジオが舞台の本作とは仕掛けが異なるが、主人公がその場所を一歩でも出れば即爆破という設定は共通する。“ウスバカゲロウ”と名乗る視聴者からの脅迫電話。生放送というのがミソで、観ているこちらも二転三転する展開にかなり翻弄されるが、ラジオに左遷されたのが不満の主人公のキャラが鼻につき、そうかテレビの方がエライのか。ちなみに当方はラジオ派です。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      フジテレビ騒動の渦中に観たので、白々しく感じたのは仕方なし。「テロ,ライブ」が傑作だけに、そのままリメイクすれば良いものを改悪してしまうところがさすが。全篇を狭いラジオブースのみで犯人とやり取りするのが良かったのに、TVスタジオの豪華なセットへ早々に移るので興醒め。阿部寛は簡易セットでも、その存在感で全篇を引っ張れる逸材なのに、それを信用しないから無駄な装飾物を作ってしまう。クライマックスはオリジナル通りにしておけば、今なら大いに盛り上がったのに。

  • ファーストキス 1ST KISS

    • ライター、編集

      岡本敦史

      軽快かつウイットに富んだセリフを、リズミカルな場面転換で積み重ねていくドライブ感に舌を巻く(それも冒頭からかなり長丁場にわたって)。さすが当代一の人気脚本家&監督の仕事。ハリウッドの女性主導ロマコメを彷彿させ、これは海外でも勝負できるのでは?と本気で思った。女優・松たか子の魅力を誰でも再認識できるスター映画としても秀逸。ただ、近年の風潮に倣って「凝っても仕方ない」部分は潔くすっ飛ばしがちで、タイムスリップ周りの工夫がもう少し心に残ってもよかった。

    • 映画評論家

      北川れい子

      夫と出会う15年前にタイムトラベルする松たか子の、どこか遊び気分の演技がいい感じ。惰性で夫婦生活を続けていた現実の夫は、人助けで命を落としたばかり。15年前の夫は好青年で、彼女はもとの年齢のまま。それにしても事故死とかタイムトラベルなど、ありがちな設定を使って、まるで精緻な細工もののようなラブストーリーに仕上げる坂元裕二の脚本に感心する。塚原あゆ子監督の緑の空間をたっぷり映しこんだ映像演出も心地よい。細部に神宿るという映画作りの鉄則に忠実な佳作だ。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      脚本や監督に期するものがあるとはいえ、この題名と設定で大丈夫かいなと油断していると、ぐいぐい引き込まれてしまう。同年同日同時刻にしか移動できない縛りを巧みに用いて、細田版「時かけ」のタイムリープ連打よろしく、ささいな失敗のリカバリーを繰り返しながら、大きな失敗の挽回を目指す。まるで「四月物語」の頃の雰囲気の松が登場することに驚くが、今を貶めて描くことなく、老いも若きも、生も死も肯定的に描く作劇が見事。巨大な虚構を成立させる細部の充実に目を見張る。

  • 誰よりもつよく抱きしめて

    • 文筆家

      和泉萌香

      原作では主人公月菜が出会う青年は同性愛者とのことだが、本作では「人のことを愛せない青年」となっており、そのセクシャリティについても曖昧で、ただただ彼女にちょっかいをかけるキャラクターのような薄っぺらさ。タイトルのような情動もなく、ティーン向け少女漫画にもないだろうと突っ込みたくなるようなお別れシーンやら、終盤にて三山凌輝演じる彼によるある行為での「ドラマティック」な演出にも閉口するが、主人公の成長と彼女のさっぱりした女友だちが救い。

    • フランス文学者

      谷昌親

      人間関係をしっかり描こうとしていることはそれなりに伝わってくるし、海辺のロケーションも印象的で、溝ができつつある男女関係を壁をはさんで左右にいる人物の構図で見せるといった映画ならではの工夫も悪くはない。だが、原作から引き継いだ絵本(原作では童話だが)と強迫性障害が中途半端に浮き彫りになり、純愛を強調するための道具に見えてしまうのが致命的だ。そもそも、触れることができない辛さをテーマにするなら、触れることの大事さを丁寧に描くべきではないだろうか。

    • 映画評論家

      吉田広明

      難病ですれ違い、引き裂かれる恋人たちなんて一昔前にはTVメロドラマで散々あったような気がするが、さまざまな障害、マイノリティに関する映画が製作される昨今、本作の主人公が悩む強迫性の接触障害に関する理解も深く、繊細にアップデートされているのかと思いきや、その扱いは(恋人に触れえないという)恋愛の障壁としての役割に過ぎない。つまり障害は単なる「ためにする」設定であり、これは障害の搾取と言われても仕方があるまい。昨年の収穫より一歩も二歩も後退した映画。

  • BLUE FIGHT ~蒼き若者たちのブレイキングダウン~

    • 文筆家

      和泉萌香

      「ごくせん」や「ROOKIES」もろもろ、私が小学生、中学生頃の「不良ドラマブーム」はすごかったと記憶しているが、いつの間にかすっかり見なくなり、「ツッパリ」どころか「不良」も死語に近づいているのだろうか(最近の不良はそういった格好をしていないと記事で読んだことがある)。物語はいたって紋切型の青春エンターテイメントで、全篇「ネット界と映画界のコラボ」の印象にとどまるが、今回が初主演の木下暖日、吉澤要人の溌剌とした姿は眩しくこれからが楽しみ。

    • フランス文学者

      谷昌親

      「クローズZERO」のスタッフやキャストが参加しているという触れ込みのせいで、最初から最後まで殴り合いをしている映画なのかと思いきや、少年院での出会いから始まるドラマとして描かれていて、不良少年ものであるとはいえ、直球すぎるほどの青春ドラマとなっている。三池崇史監督の瞬発力は随所に感じられはするが、ブレイキングダウンそのものも含めて、青春ドラマ的な親和力のなかにすべて包み込まれてしまった。「DEAD OR ALIVE」シリーズのような圧倒的爆発力が懐かしくなる。

    • 映画評論家

      吉田広明

      格闘技の試合に出場しようとしてどん底から立ち上がる少年二人と、彼らに敵対する者たちとの人間模様。最近多い不良少年抗争ものに関心のない当方でも興味深く見られたが、それにはこれが類型的物語であることも寄与してはいて、「拳で語る」という言い回し通り、殴り合いの中で互いを理解してゆき、最終的に悪人はいなくなる予定調和の展開。新人である主演の二人はじめ少年たちが見知らぬ顔なのが生々しい感触でよいだけに、カメオ出演の多さは正直鬱陶しいし醒める。

  • ザ・ルーム・ネクスト・ドア

    • 俳優

      小川あん

      大女優二人が戦争記者、小説家という役柄を通じて、それぞれの経験に裏打ちされた人生観・死生観を語り合う。死 (または生) への強い欲望を描くことを、エモーショナルにせず、ほぼ語りのような会話と束の間の沈黙で表現する。そして顕わになる、若かりし頃の二人の仕事への気概、誇りが説得力を与える。描写まで浮かぶ。わたしも歳を重ねて、この境地までいきたいと俳優人生と向き合わなければいけない。アルモドバルが70代にして初の英語劇ということで、想像を超えた静かな傑作だった。

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      アルモドバルの色彩豊かな画面で語られる、死についての思索。ジョイス/ヒューストンの「ザ・デッド」への美しい言及があり、死を間近に見据えた人間の運命が、死を目前にしているかもしれない地球の運命と、不意に連結される瞬間もあり。とはいえ最大の見どころは、舞台劇のように会話が続く作品世界を隙なく支える、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの安定感と凄み。娘ミシェルとの関係が良好であったならマーサの選択は変わっていたのかもしれないと思うと、何とも言えない気持ちに。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      アルモドバル監督初の英語作でT・スウィントンとJ・ムーアという名女優の共演。病に侵され安楽死を望む女性とその親友で最後を見届けようとする女性の数日間を描く。名作になりそうな材料が揃いながらも、アルモドバル流の色彩美学が強調され、インテリア雑誌のファッション・シュートのような場面が連続する表層性。彼女らの元恋人で悲観主義のインテリ男(ジョン・タトゥーロ)が今の世界への気障な嘆きを語るが、映画全体が上流階級の優雅で軽薄な悲観主義に終わっており、その価値観を肯定し難い。

221 - 240件表示/全11455件