映画専門家レビュー一覧
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スレイブメン
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映画評論家
上島春彦
ネタばれ厳禁で多くは書けないが、こういうスーパーヒーロー物の自己言及というコンセプトは昔の学生映研作品に時々あった。インテリ好みの難解なテーマで、話が入れ子的に解体再構築される趣向が今でも十分面白い。それと一時期話題になった『ドラえもん』幻の最終回に似たテイストもある。しかし物足りない。エピソードは多いものの基本アイデア一発だから途中で飽きる。実は主人公が二人なので、そこを利用してもっとややこしい謎解きのような構成にしてくれたら良かったのに。
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映画評論家
モルモット吉田
しまだゆきやすという主人公の名は自主映画団体を主催し、井口らのプロデューサーでもあった故人に因んでいる。監督自身の願望を映画の中でなら実現できるという井口映画の欲望開放空間の中で彼が生を取り戻したことを感慨深く眺める。御都合主義が活用されることで説明のための無駄な段取りを省き、描くべきものだけを抽出して次々に重ねていくアッパー感は、乗り損ねると形骸化して見えるかも知れないが、「東京〓争戦後秘話」をヒーローもののスタイルでリメイクした感もあり。
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ボヤージュ・オブ・タイム
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
「ツリー・オブ・ライフ」以降のテレンス・マリック作品は、ある意味どれも同じで、前作「聖杯たちの騎士」の時も書いたが、アレを深淵と捉えるかワケわからんと思うかは観客次第。そして私は「ワケはわかるが深淵では全然ない」派である。少なくともこの作品で語られているようなことは、思想とか哲学とか呼べるようなものでは全くない。ほとんどいかがわしい宗教にも近い浅薄極まりない世界観だと思う。劇映画の口実を外すとこうなるわけか。これを有り難がってはダメですよ。
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映画系文筆業
奈々村久生
もはや完全な環境映像だ。そう言い切っても許されるだろう。近年のテレンス・マリック作品においていよいよ顕著になってきた、ゆえにその要素を映画としていかに咀嚼すべきか悩まされてきた「映像は美しい。だが」もしくは「だが映像は美しい」問題は、本作においてようやくシンプルかつ明快な解にたどり着いた。サイエンスに振り切ってテーマと映像がシンクロした分、ポエティックな内省ドラマが映像のBGMのようだった「聖杯たちの騎士」よりよっぽどキレキレで攻めている。
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TVプロデューサー
山口剛
巨大ビジネスと化したハリウッド映画とは対極の映画作りをしているテレンス・マリック。前作「聖杯たちの騎士」はストーリーの全くない映像詩だったが、今回はビッグ・バンから始まる十億年以上にわたる地球の歴史だ。何しろ誰も見たことのない世界が再現されるから息を呑む。原始人以外俳優は一人も出てこない。地球の歴史は人類の歴史となり未来へ繋がる。世界各地の映像が短いカットバックで挿入され、彼の哲学、歴史観がうかがわれる。次回作は何処へ向かうか気になる。
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モアナと伝説の海
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
どうしたって邦題とテーマソングが「アナと雪の女王」を思い出させるわけだが(監督も作曲家も別ですが)、よりシンプルでストレートな設定によってわかりやすさが増している。ワガママでお調子者、でも心根は優しい半神半人のマウイの声を演じるドウェイン・ジョンソン(元ザ・ロック)がなかなか良い。しかし全体の構えとしては典型的なPC(ポリティカリー・コレクトネス)アニメであり、極めて表層的な人道的配慮の擬装を疑わざるを得ない部分も。これに限ったことではないが。
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映画系文筆業
奈々村久生
バービー人形的な質感のキャラクターを人間として写しても違和感のないレベルにまでアニメの技術は進化している。それらは人工的なものの表現をより進化させスケールを広げてくれる。だが海とか大自然を相手にした世界観の場合、そのフォーマットのリアルさが逆にロケーションの作りもの感を際立たせ、何をどう楽しむべきか混乱してしまう。さらにドラマの骨子としてはモアナとマウイの二人芝居に近く、シンプルな話のはずなのに何を観ているのかよくわからなかった。
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TVプロデューサー
山口剛
族長の娘モアナはプリンセスだが、ロマンティックな夢見る乙女ではなく、冒険心に溢れた行動派と言うところが現代的。陽気なジャンヌ・ダルクだ。容貌魁偉な半神半人の巨漢マウイは愛嬌たっぷりでシェイクスピアのフォルスタッフを思わせる。二人の褐色の肌とポリネシアン的な愛すべき風貌が、世界は民族の壁を越えてひとつだと訴えているように思えてくる。映像は美しく、ミランダの曲は後世スタンダードとして残るような楽しいナンバー揃いでディズニーの楽しさを満喫した。
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しゃぼん玉
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映画評論家
北川れい子
以前、某作家が、小説家になりたい人へのアドバイスとして、〈通俗を恐れるな〉と語っていた。「しゃぼん玉」の、どのキャラクターも、どの風景も以前に観たことがあるような既視感があるのは、段取り通りにことが運び、予想を裏切らないからだろう。演出もソツがない。結果として、わざわざ映画にするまでもないような、ちょっといい話に終わってしまい、通俗的以上のコクも深みもいまいち。近年、さまざまな役を演じている林遣都だが、今回も線の細さが歯痒い。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
この「しゃぼん玉」は原作があるが本欄では地方振興企画映画を多数扱うため、地方よいとこ一度はおいで、みたいなものをよく観る。しかし単なる地方アピールを超えて、都会では生が次代までも持続可能なものとして感じられない、というのは共有されうる実感かもしれない。主役を演じた林遣都の名“けんと”は彼の本名で、都に出て名を成せというご両親の願いがあるそうだがそれを反語的に見つめ直すかのようなこの役もまた運命的だ。昨年の映画「怒り」の逆をゆく筋立てが好ましい。
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映画評論家
松崎健夫
ハードなオープニングから一転、桃源郷のような山間の町での暮らしが描かれる本作。“箸を持ち直す”など、人生をやり直すことのメタファーとなる描写が挿入されるなど、主人公の姿は平家祭の由来と重なってゆく。それゆえ映画の冒頭と終盤では彼の成長を、去ってゆく“うしろ姿”で表現している。同じ“うしろ姿”であるはずなのに、その意味が「逃亡」と「前進」と異なっている点は秀逸。2010年に発表された秦基博の〈アイ〉は、まるで本作のために作られたような趣がある。
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雪女(2016)
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映画評論家
北川れい子
8ページほどの小泉八雲の原作は、すでに50年以上も前に小林正樹監督が4話形式のオムニバス「怪談」の第2話で描いている。若い木こりは仲代達矢、雪女は岸惠子。オールセット撮影で、吹雪も森も人工的に作ったものだった。今回は雪も森も実写で、時代こそ曖昧だが、洋服姿の人物も登場する。だからか、冒頭の、雪女が山小屋に現れるくだりはともかく、それ以降は、“怪談”というよりも因縁話めき、恐怖や神秘と無縁なのが残念。いかにも低体温ふうの杉野監督の雪女はワルくないが。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
キン・フー「侠女」をリバイバルで見直した。チンルー砦の激闘ののち死体の山を見渡すグの戦慄は自分が母性の選択によって生かされた一匹の精虫にすぎないと気づいたためで、雪女の夫となる巳之吉も物語の最後には同じものを感じたろう。「侠女」の元ネタ『聊斎志異』と日本の雪女伝承に直接の関係はないが、キム・ギドク映画に出演しリム・カーワイ映画でキム・コッピと共演、ヤスミン・アフマドと交流を持っていた杉野希妃が探り当て、企んだアジア的な女の魔と慈愛が本作だ。
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映画評論家
松崎健夫
監督・主演をこなす女優は、古今東西その例が少ない。そのひとりである杉野希妃は、既存の芸能システムにあえて背を向け、自らの映画キャリアを己の才覚で切り開いてきたという点でも特異な存在。本作では、その周囲とは異なる〈異質なもの〉としても雪女を描いている。“あちらとこちら”を暗喩させる劇中の川は三途の川のよう。当初から国際的視点を意識して製作され、伝承民話の世界に現代的な解釈を取り入れているからか、雪女の姿はどこか移民や難民の問題とも重なるのである。
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アシュラ(2016)
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映像演出、映画評論
荻野洋一
都市再開発に巣くう利権、市長-司法-警察の三つ巴の抗争、各陣営のはざまを泳ぎ回る悪徳刑事の主人公。だいたい話はついている(笑)。極辛舌痛のコリアンノワールだ。香港のジョニー・トーを頂点とするこのジャンルで目立つためには、とにかくバイオレンス描写を極辛化するしか方法がない。そして隠し味はいつも“鬼の目にも涙”だ。本作も例外ではなく、その塩っ気は相当なもの。ただそこが、ドライとウェットを天才的に使い分けるトー監督と他の作り手を隔てる分岐点である。
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脚本家
北里宇一郎
汚職刑事が悪徳市長と検察の間にはさまれてあっぷあっぷ。これがアメリカ映画だったら、最後の最後に知恵を使って大逆転となるんだろうけど、こちらはもうやられっぱなし。その終始受け身のところが、韓国的というかアジア風味というか。登場人物のキャラも、単純一色。悪い奴はひたすら悪い。裏表なく裏ばっか。ゆえに展開はただただ濃厚になっていくばかり。もうこうなったら行き着くところまで行っちまえ、みたいなヤケッパチのカタルシスも感じて。とはいえ、もうちっと頭も使ってよ。
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映画ライター
中西愛子
悪徳市長の裏仕事を引き受ける汚職刑事が、執拗に市長を追う検事に弱みを握られ板挟みとなり利用されていく。架空の街を舞台に、生き残りをかけた男たちの裏切りの物語が繰り広げられる。クライマックスの地獄絵も凄いが、迫力のカーチェイスや、中盤までの人間描写に緩急あるアクション(ユーモアすら含む)を絡ませリズムをつける渋い演出に唸った。韓国映画の層の厚さを再認識。そして俳優陣が圧巻だ。チョン・ウソン熱演。最近よく見る悪代官顔のクァク・ドウォンが気になる。
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汚れたミルク あるセールスマンの告発
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映像演出、映画評論
荻野洋一
タノヴィッチが、多国籍企業によるパキスタンの食品公害事件という実話の映画化に挑んだ。ボスニアの映画作家はボスニアの問題を語るのに忙しいはずなのに、この視野の拡がりにまずは賛意を表したい。固有の問題を人間軽視という普遍的問題へと敷衍した。しかし同時に、作り自体もタノヴィッチ色が薄まり、国際的合作が孕む大雑把さ、弛緩、通俗化したドラマ性も指摘しなければならない。本作に次いで連続公開される「サラエヴォの銃声」では再び鋭利なタノヴィッチが戻ってくる。
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脚本家
北里宇一郎
パキスタンで粉ミルクを飲んだ乳幼児が次々に死亡。直接の原因は現地の汚水にあるが、にもかかわらず販売を続ける発売元のグローバル企業にも責任があると、内部告発した男の話。この題材ならドキュメンタリーでも有りじゃないかと思うが、本人が顔出しできない事情がうかがえて、ちょっとゾッとする。主人公が必ずしも清廉潔白の存在ではないことも正直に描いて、この監督、誠実な上にも誠実、しかも慎重にこの題材に取り組んでいる。映画も告発のための武器になりうるのだと――。
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映画ライター
中西愛子
パキスタンで粉ミルクを強引に販売するグローバル企業に対し、それが乳幼児の命を奪う危険性があると知った地元のセールスマンが自社を告発する。実話を基に、ダニス・タノヴィッチが社会派ドラマとして映画化。粉を溶かす際の“不衛生な水”がここでは強調されるが、粉ミルク、正面から向き合うとなるとそもそも相当扱いづらい題材だろう。一個人が巨大企業に正義を訴えた時、どのようなことが起こっていくか。メディアも含めたその裏側が見えてくる。幻の問題作というのも納得な作品。
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