映画専門家レビュー一覧
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人類遺産
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映像演出、映画評論
荻野洋一
世界中の廃墟の実景が、20秒程度の等間隔で自動スライドのように写し出される。虫や鼠は写るが、人間は一度も写らず。人類滅亡後の風景はかくやと思わせる未来の透視図。いや違う。この無人ショットの集積は、演劇で言う「空舞台」であり、大和絵で言う「誰が袖」である。今はもういないが、つい先ほどまでその人がいた。廃墟の住人、廃墟を建てた建築家、彼らの「面影」がじつに人間臭く焼きつけられている。そしてカメラの実在。「空舞台」という名のカメラの専制である。
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脚本家
北里宇一郎
廃墟の風景が固定されたキャメラで捉えられる。画面は数十秒ごとに転換されていく。ただ、それだけの九四分。最初は、ここどこだろうと思う。福島の無人の駅とか町とかが映る。同様にいわくつきの風景が次から次に綴られる。が、その背景は語られない。気になったところは後で自分で調べろってことか。なんだか地球にひとり生き残って、世界中を放浪してる気分になる。やがて退屈して。これは美術館で展示した方がふさわしいんじゃないかと思う。映画って時間の芸術だよなあ、とも。
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映画ライター
中西愛子
アメリカ、ブルガリア、日本、アルゼンチン……。人類が踏み込み、捨て去った世界の70ヶ所以上に及ぶ廃墟が風景としてひたすら映し出される。人は登場しない。ナレーションも音楽もない。そこがどこかを記す文字による説明さえも。廃墟を広角でとらえた数十秒の1カットが、静かに物々しくつらなっていく。その廃墟は確かにストーリーを感じさせるし、美しくも悲しく、今そこに存在することが不思議だ。ある意味、究極に観客の想像力を信じた作品。ただ、私にはこの94分は長かった。
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フレンチ・ラン
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翻訳家
篠儀直子
パリの屋根の上を駆け回る序盤の追跡シーンの素晴らしさには大興奮で、これだけで満点をつけたくなった。格闘シーンも面白いし、バディになる二人も魅力的で、話のちょっとした運びも気が利いている。パリのリアルな現在を切り取ったかのような物語である一方で、敵の最終目的があまりにしょうもなくてびっくりしたけれど、現実世界でも案外そんなものかもしれない。単身乗りこんだイドリス・エルバを、武器も腕力もない男女二人が援護するシーンのアイディアには、何やら猛烈に感動。
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映画監督
内藤誠
パリのアメリカ人の物語で、わが世代など、20年代アメリカ人の目を通してパリに憧れたものだけれど、現代では、冒頭からモンマルトルのサクレ・クール寺院の階段の人込みのなかを全裸の女の子が歩いてくるし、すぐさま始まるチェイス・シーンでは、屋根から屋根へと法治国家とは思えない乱暴さで主人公たちが駆け回る。さらには移民問題、テロ、右翼の台頭、それに対するデモ行進の描き方など、パリ市民がどう思うか気になるほどだが、結局、面白いものは何でも取り入れる演出なのだ。
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ライター
平田裕介
雰囲気としては、ヨーロッパコープあたりが製作しそうな快活アクション。実際にそうしたテイストを目指していたのだろうが、監督は「バイオレンス・レイク」「ウーマン・イン・ブラック~」でジト~とした恐怖演出をブチかましたJ・ワトキンス。だから、どうしたって湿気たノリになってしまっている。とはいえ、スリである主人公がその技を駆使するクライマックスは楽しませるし、次期007候補なのも納得できるイドリス・エルバのクールでワイルドな魅力を堪能できるのは◎である。
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アサシン クリード
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翻訳家
篠儀直子
こないだの「マクベス」の監督だというので嫌な予感がしていたら、やっぱりイメージ映像的なものにひたすら耽溺しておられるので、これはもう、この監督はこういうリズムを生理的に快適だと思っているのだとあきらめるしかない。現代パートが、どうしてこんな描き方にしたのかと小一時間問い詰めたいくらい設定が飲みこめず、長い長いエンドロールが終わるころには話も忘れてしまっている。でも15世紀末パートのアクションシーンは、地形や建物、小道具を活かした工夫があって面白い。
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映画監督
内藤誠
アサシン教団とテンプル騎士団の闘いを15世紀と現代を行き来して描く壮大なドラマだが、ストーリーが粗っぽい。アサシンのマイケル・ファスベンダーの体技はみごとだけれど、彼がどんな犯罪により死刑を宣告されているのか分からない。ジェレミー・アイアンズが支配し、娘のマリオン・コティヤールが研究者を務めるテンプル騎士団の組織も今の時代に存在するという話ゆえ、アクションだけですませず、説明が必要だ。ジャスティン・カーゼル監督の画面は「マクベス」同様に暗い。
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ライター
平田裕介
原作のゲームはプレイしたことがなく、その存在も本作を機に初めて知った。そんな自分だが、特殊な装置で主人公が遺伝子レベルの記憶を追体験する設定はスルッと受け入れられたし面白い。加えて、走って、跳んで、落下しまくるパルクール的アクションもふんだんに用意されているのだが、これがどうにも“重厚感第一”なビジュアルで撮っているものだから、そのまんま鈍いものに感じ取ってしまって乗れず。特殊装置にブンブン振り回されている半裸のファスベンダーが、なんだか滑稽。
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お嬢さん(2016)
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
これぞ真正パク・チャヌク。『イノセント・ガーデン』なんか遠慮しまくりだったことが本作を観るとよくわかる(あれも好きですが)。とにかく過剰なエキセントリシズムのためだけに構築されたかのごとき設定、物語、場面、演技その他ではあるが、夥しいツッコミどころをあっさりと越えて映画はひたすら暴走してゆく。サラ・ウォーターズ『荊の城』をあんな異形の映画に翻案してみせた監督の奇才ぶりには舌を巻く。これがデビュー作のキム・テリが非常に魅力的。そんなエロくないです。
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映画系文筆業
奈々村久生
パク・チャヌクは様式美の監督だ。だから型や作法で固められた上流階級のライフスタイルを描くことは、建築・衣裳・小道具における表現も総合して彼の作家性と非常に親和性が高く、実際相当な完成度で成功している。そこにしっかりとフェティシズムの血が通っているのもいい。貴族趣味の追求が一種の変態性に到達するサド等の使い方たるや。エロティシズムが型に昇華されていく体位の描写も見事だ。イメージのビジュアル化を極める能力の高さゆえ生身の俳優の真価が問われる。
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TVプロデューサー
山口剛
ロマンポルノ・リブートのある作品を見て、完成度はあるがエロスと活力の不足を感じた折、この作品を見て興奮を覚えた。レズビアンのセックス・シーンは「キャロル」をはじめ最近多いがこの映画のエロスと言うより猥褻に近い描写には圧倒された。パク監督のテーマはずばり異端の追求だろう。設定やストーリーの展開は強引だが、エンターテインメントのツボは外していない。伝奇小説的なおどろおどろしさ、ミステリーの意外性、アナーキィな抒情、興趣つきない二時間半だ。
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彼らが本気で編むときは、
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映画評論家
北川れい子
カラフルな毛糸で編まれた“煩悩”の山に思わず笑ってしまったが、美術か小道具の人か、これを編んだスタッフたちを労いたい。痛いエピソードではなく、こういう形でトランスジェンダーのリンコの思いを描くとは、荻上監督、余裕がある。一方で、そんなリンコに母親に置き去りにされた少女を寄り添わせるアザトさが気になったが、2人をつなぐ桐谷健太に気負いがなく、疑似家族ドラマの佳作として気持ちがいい。主人公たちの生活の基盤である仕事を丁寧に描いているのも評価したい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
『映画芸術』458号の荒戸源次郎追悼の談話を読んで生田斗真という俳優を見直した矢先のこの映画。ますます見直す。ジャニーズ俳優で言うと私は短?ながらマッチョな役柄をやりきる岡田准一の和製トム・クルーズ性が嫌いではないが、それと完全に立ち位置・ベクトルを別にしたメタモルフォーゼ系の役柄チョイスをする生田も非常に興味深い。「土竜の唄」二作のヤクザ&警察世界において華奢な彼がこの映画ではごつ過ぎる悲哀を出す。面白い。あとは能町みね子氏の感想を待つ。
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映画評論家
松崎健夫
〈血縁に依らない人間関係〉を描く作品が〈血縁よりも濃い絆〉を提示するにつけ、どんどん利己的になってゆく現代社会において「自分のためだけでなく、誰かのために生きるという選択肢もあるのではないか?」と考えさせられる。本作は、これまでの荻上直子監督作品とは表層的に異なっているように見えるのだが、実は“周囲に馴染めない主人公”という共通点がある。そして〈食べる〉という行為も、荻上作品で描かれてきた共通点。〈食べる〉ことは、即ち〈生きる〉ことなのである。
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きょうのキラ君
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映画評論家
北川れい子
映画化される学園コミックのほとんどが、授業の休み時間と学校への往き帰り、放課後だけで成り立っている。そうか、授業中は全員、死んでる状態なのね。しかも生きてる時間は男女のことしか関心がない。あ、いじめもあるか。ま、中学生女子向きに作られた作品に嫌味を言うのも何だが、作っているのはプロの大人、現場の苦労を思ったりも。それにしても“貞子”ふうに目を隠したイジケ女子の、イジケとは無縁のお節介と、キラ君のヒミツにはおいおい!! もう好き勝手やって。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
飯豊まりえがよかった。最近の私の若い女優への「よかった」は娘に対するような感覚だ。この映画で安田顕演じる父親は何かフランス系のことをやる学者らしくそれに引っ張られた家庭のセンスから飯豊のファッションもリセエンヌふうで、それが彼女の風貌と合っていてよかった。黒ギャルが自分の娘だとつらいわ。つまり安田にアイデンティファイ、だから余命いくばくもない男と娘の交際を禁じる件はよくわかる。家庭こそ諸悪の根源。だが映画とヒロインは、それを乗り越えてゆけ!
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映画評論家
松崎健夫
舞台は横浜と思われる。それゆえ、ダイナーや教会など洋風な匂いが全篇に漂っている。しかし同時に、画面から和風なものをあえて極力排除することによって、全体のトーンを整えようとしていることも窺える。また、ともすればつまらない脇役になってしまう恋敵役ながら、抜群の破壊力を発揮する平祐奈。誰かのために何かをすることは、自分の時間を相手のために使うことでもある。その相手が残り僅かの時間を過ごしている。だからからこそ、本作ではそれが尊い行為に思えるのである。
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バンコクナイツ
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映画評論家
北川れい子
富田監督たち“空族”の描く現実はいつも痛い。世間からはみ出した若者たちの怒りと暴走。みなつんのめるように生きている。今回は日本からはみ出し、タイの歓楽街で根無し草のように生きる日本人たちと、日本人相手の娼婦たちの現実を交錯させていくが、いくつもあるエピソードが生々しく、どこか粗削りな演出、映像もスリリング。後半は、里帰りをする娼婦と元自衛隊員の話になるが、タイ東北部の風景やここでのエピソードも苦々しい。とりとめのなさが“空族”らしい野心作だ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
またワケのわからん映画を! と思ってやきもきするのはまだ自分は本作と富田克也と相澤虎之助をわかるほうで、もっと彼らの映画が日本でウケるべきだと考えるから。ヒロインのラックが冒頭つぶやく“バンコク、シット!”に「地獄の黙示録」冒頭の“まだサイゴンか…クソッ”を感じ取り、ラックの母が持つジッポーに「恐怖分子」を思うが、狙いは映画趣味ではない。戦後アジア世界だ。そしてタイの田舎を深夜に女と二ケツですっ飛ばす富田克也はいまだ名前のない階級の英雄だ。
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