映画専門家レビュー一覧
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教皇選挙
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批評家
佐々木敦
レイフ・ファインズ演じるローレンス首席枢機卿がバチカンに急遽やってくる冒頭のシーンを除き、映画はシスティーナ礼拝堂の敷地内を一歩も出ない。コンクラーベを巡る思惑と策謀。繰り返される投票が静かなサスペンスを生むが、広大な密室劇の「外」を開示するある出来事以降、物語は大きく転回する。ファインズをはじめとする俳優陣の重厚な演技、監督ベルガーの手堅い演出も見事だが、これはピーター・ストローハンのシナリオの勝利だろう。一種の宗教論とも呼ぶべき作品だと思う。
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ノンフィクション作家
谷岡雅樹
映画には作者の主張が滲み出る。対立する候補がいても、言い分を並列に描いても、そこには作家の態度が現れる。理想を捨ててはならない、という主張の人物こそ際立つ。103人という多人数でもって、人間模様を映し出し、善悪の境界を微妙に群像配置する。右往左往し逡巡する集団の様を俯瞰で捉えた洪大な映像で見せる。脚本家は「裏切りのサーカス」よりまた一つ権力闘争を心で紡ぐ点描図。選挙には不純物が混じる。形勢は刻一刻変転する。点である個々の人間の動線。これこそがまさに映画だ。
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少年と犬(2025)
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映画評論家
上島春彦
馳星周がこういう原作を書いているとは驚いたが、私が無知なだけでした。瀬々敬久の毒々しさと抒情性を兼ね備えた演出、そして連作をうまいこと一本化した林民夫の脚色もいい。宣伝だとネタバレ厳禁なので『名犬ラッシー』調の企画と思われそうだが、見れば分かるように、迷い犬の多聞をどこまでも追ってくる高橋文哉が鍵となる。しょっぱな、多聞はガーディアン・エンジェル(守護天使)と規定されるのだが、高橋も西野七瀬の守護天使なんだね。西野が××嬢ってのも驚きの好配役。
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ライター、編集
川口ミリ
原作の淡々とした筆致とは異なり、映画はコミカルに幕を開ける。高橋文哉演じる主人公が陽気な語り部となるのだが、訳ありとはいえ闇バイトに手を染めた彼に、ここまで倫理的な葛藤や切迫感がなくていいのか。諸社会問題はもはや物語を進行するための駒でしかなく、後半は感動ポルノ的なドラマへと強引に転調する紋切り型の流れ。各キャラは薄っぺらで、ショットもなんだか味気ない。ただ多聞に扮する、シェパード犬のさくらはナイス配役。憂いをたたえた瞳にほとんど唯一、役の深みを感じた。
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映画評論家
北川れい子
この映画における犬の多聞は主役というより世相や時代を描くための狂言回し的。いや、それが悪いわけではないが、多聞が出会ういずれも孤独な人々のエピソードが重すぎて息苦しいことも。特に西野七瀬のパート。多聞は森の中での彼女の異様な行動を静かに見ている。これって、ここ掘れワンワン? が彼女はとんでもない秘密を抱えていて、しかも多聞、危うく彼女に殺されそうに。南を目指す多聞が横切る四季それぞれの叙情的映像は効果的だが、へヴィな美談である。
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悪い夏
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映画評論家
上島春彦
原作の毒を映画に期待した人には物足りない脚色かもしれないが、私はこれが功を奏したと思う。河合優実を刑務所に送らないですむように処理したわけだ。また原作で唯一の被害者である母子も映画では死んでいない。ここも重要。やみくもに倫理観を振りかざす伊藤万理華の口元が徐々にひん曲がっていく印象で実に可笑しい。嵐の晩に関係者が一堂に会するクライマックスがスラップスティック喜劇感覚で最高だ。それにしても北村匠海がこんなにいい役者だとはこれまで知らなかった。
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ライター、編集
川口ミリ
生活保護制度を巡って渦巻く人々の欲望。そんなただでさえドロドロとした物語が、クローズアップを多用してグロテスクに描かれており息が詰まる。アプローチが安直すぎるのでは。演技にも同じことが言える。城定監督はきっと俳優を乗せるのがうまいのだろう。それは諸刃の剣で、今回はクレイジーに振り切った芝居ばかり見せられ残念に思った。その中でシングルマザー役の河合優実、木南晴夏は光って見える。彼女たちの、役の尊厳を損なわないレイヤーのある人物解釈が本作の救いだ。
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映画評論家
北川れい子
さして珍しくもない貧困ビジネス。描き方次第ではいくらでも社会派映画になる。がこいつら全員ロクでなしと、冷酷な遊びを盛り込んで容赦なく追い詰めていく向井康介の脚本と城定秀夫監督にシビレた。どいつもこいつもザマアミロ! スケールは異なるが、ちょっと韓国の露悪的犯罪サスペンスに似てるかも。同情と善意と弱気の三つ巴で貧困ビジネスに加担せざるを得なくなる職員役の北村匠海も、無気力にふてくされた河合優実も、笑えるほど実感があり、いや笑った。
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その花は夜に咲く
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映画評論家
鬼塚大輔
いや、これは主人公カップルの片方をトランスジェンダーにしなくても成り立つ古臭い話ではないのか?と思って観ていると、途中からもう一人(二人?)が加わって、性別/性差を超えた小さくとも理想的な共同体の成立と崩壊の物語として奥行きが出てくる。いくつかの点で「エミリア・ペレス」を想起させるのも、二つの作品を合わせて考えると興味深い。ヴェトナムの街並みをしっとりした触感で捉えた撮影も魅力的で、作品世界の中に引き込まれていく。
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ライター、翻訳家
野中モモ
ナイトクラブで歌うあでやかな姿も、化粧を落とした自宅での姿も、主人公を演じるチャン・クアンが本当に美しく撮られているのが見どころ。ちょっとIS:SUEの釼持菜乃に似ているし、往年のナスターシャ・キンスキーや満島ひかりを思わせる瞬間もあってまさに「なりたい顔」。社会の周縁に生きる若者たち(というかほぼ子ども)が肩寄せ合って疑似家族を築く中盤はある種の少女漫画に通じる味わいがあって引き込まれたが、悲劇に向かう展開はあまり好きになれなかった。
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SF・文芸評論家
藤田直哉
魅力的で壮麗な衣裳や美術で現代ヴェトナムが活写されており、ハッとさせられるような都市描写が幾度もある。貧困な若者が格闘家になったり、トランスジェンダーの女性たちが身体を売っており、富裕層との描き方の差、彼らの精神的な苦しさの描写には胸が詰まる。が、どうも肝心のドラマが弱い。対立と葛藤がはっきりと顕在化しないような個と関係性の社会だからこそ中盤の関係性になったのかもしれず、そこは良かったのだが、それをもう少し掘り下げてほしかった。
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教皇選挙
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映画評論家
川口敦子
90年代グッド・マシーン社でA・リーやT・ヘインズにつき修業した監督ベルガー。その佳作「ぼくらの家路」(14)は、R・ハリス原作の新作とはまた別の世界を描きながら、目の前の困難に耐える少年を無駄口叩かずみつめる眼差しが、ヴァチカンの閉塞的時空で欲望と陰謀渦巻く教皇選挙の現実に耐えるひとり(R・ファインズ適役!)を活写する様と重なり面白い。70年代A・J・パクラの政治的スリラーを意識したという今回も不安を抱え耐える存在への共感がふるふると映画を活かしている。
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批評家
佐々木敦
レイフ・ファインズ演じるローレンス首席枢機卿がバチカンに急遽やってくる冒頭のシーンを除き、映画はシスティーナ礼拝堂の敷地内を一歩も出ない。コンクラーベを巡る思惑と策謀。繰り返される投票が静かなサスペンスを生むが、広大な密室劇の「外」を開示するある出来事以降、物語は大きく転回する。ファインズをはじめとする俳優陣の重厚な演技、監督ベルガーの手堅い演出も見事だが、これはピーター・ストローハンのシナリオの勝利だろう。一種の宗教論とも呼ぶべき作品だと思う。
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ノンフィクション作家
谷岡雅樹
映画には作者の主張が滲み出る。対立する候補がいても、言い分を並列に描いても、そこには作家の態度が現れる。理想を捨ててはならない、という主張の人物こそ際立つ。103人という多人数でもって、人間模様を映し出し、善悪の境界を微妙に群像配置する。右往左往し逡巡する集団の様を俯瞰で捉えた洪大な映像で見せる。脚本家は「裏切りのサーカス」よりまた一つ権力闘争を心で紡ぐ点描図。選挙には不純物が混じる。形勢は刻一刻変転する。点である個々の人間の動線。これこそがまさに映画だ。
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逃走(2025)
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評論家
上野昻志
桐島聡とは誰か? 1974?75年に三菱重工本社ビルの爆破をはじめ、企業を連続爆破した東アジア反日武装戦線内のさそりのメンバーで、他グループを含め大半が逮捕されたなかで、ただ1人、逃げおおせた男だ。本作は、山中で、爆弾の威力を確かめる若き日の桐島たちの行動から始まるが、主題は、他人になりすまして官憲の手を逃れた桐島の49年間を問うところにある。自問自答を繰り返す桐島を演じた古寛治がいい。そこから、彼にとっての逃走が闘争であったことが浮かび上がる。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
多くを語らず死去した桐島聡本人の内心は想像しかできず、どのようにも創造し直すことができる空白のキャンバスである。ここでその“空白”に注入されているのは監督の半生……本作は桐島聡の伝記である以上に足立正生の半自伝と言えるだろう。オリヴァー・ストーンが乱発していたような“他人の人生をハイジャックした実質的自伝映画”は時に問題を孕む。しかしこの余人に作れない作家性の煮凝り・総決算には、かつて若松プロの映画にハマっていた内なる大学生が拍手喝采させられた。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
桐島聡の逃走=闘争=労働の日々。熱い思いを描きながらも、形式とスタイルは意外にクール。1970年代に存在していた物品だけをそろえて時代を再現するのは難しかったように見える前半部には、演劇的な抽象性の面白さがある。若き日の桐島は、日雇い仕事をしながら現実社会のシステムを学んでいるかのようだ。古寛治に交代してからの壮年以後の彼は、社会の激変に立ち会いつつ、自己批判と内省を繰り返す。現実とも幻覚とも知れぬシーンとの交錯により、抽象的な前半とのトーンの整合性も保たれる。
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評論家
上野昻志
桐島聡とは誰か? 1974?75年に三菱重工本社ビルの爆破をはじめ、企業を連続爆破した東アジア反日武装戦線内のさそりのメンバーで、他グループを含め大半が逮捕されたなかで、ただ1人、逃げおおせた男だ。本作は、山中で、爆弾の威力を確かめる若き日の桐島たちの行動から始まるが、主題は、他人になりすまして官憲の手を逃れた桐島の49年間を問うところにある。自問自答を繰り返す桐島を演じた古寛治がいい。そこから、彼にとっての逃走が闘争であったことが浮かび上がる。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
多くを語らず死去した桐島聡本人の内心は想像しかできず、どのようにも創造し直すことができる空白のキャンバスである。ここでその“空白”に注入されているのは監督の半生……本作は桐島聡の伝記である以上に足立正生の半自伝と言えるだろう。オリヴァー・ストーンが乱発していたような“他人の人生をハイジャックした実質的自伝映画”は時に問題を孕む。しかしこの余人に作れない作家性の煮凝り・総決算には、かつて若松プロの映画にハマっていた内なる大学生が拍手喝采させられた。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
桐島聡の逃走=闘争=労働の日々。熱い思いを描きながらも、形式とスタイルは意外にクール。1970年代に存在していた物品だけをそろえて時代を再現するのは難しかったように見える前半部には、演劇的な抽象性の面白さがある。若き日の桐島は、日雇い仕事をしながら現実社会のシステムを学んでいるかのようだ。古寛治に交代してからの壮年以後の彼は、社会の激変に立ち会いつつ、自己批判と内省を繰り返す。現実とも幻覚とも知れぬシーンとの交錯により、抽象的な前半とのトーンの整合性も保たれる。
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