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【集中連載5】三船敏郎に聞く- 俳優独立プロ経営のよろこびと苦しみ
2020年12月28日スティーブン・スピルバーグやアラン・ドロンといった世界を代表する映画人と対等に仕事をし、尊敬された日本人はいただろうか? 『三船敏郎 生誕100周年×「キネマ旬報」創刊100周年』を記念し、過去の「キネマ旬報」アーカイヴから三船敏郎に関するよりすぐりの記事を「キネマ旬報WEB」にて連載する特別企画。過去に「キネマ旬報」に掲載された記事を読める滅多にないチャンスをお見逃しなく。 今回は、「上意討ち」を完成させて「日本のいちばん長い日」に出演中の三船に、俳優独立プロ経営のむずかしさと、独力でスタジオを維持しユニークな創作活動をおしすすめることのよろこびと苦しみを、三船敏郎本人へインタビュー。1967年7月発売「キネマ旬報」よりお届けいたします。 対談:三船敏郎×井沢淳 「まだこれからが本番」 「上意討ち」を完成させて「日本のいちばん長い日」に出演中の三船に、俳優独立プロ経営のむずかしさと、独力でスタジオを維持しユニークな創作活動をおしすすめることのよろこびと苦しみを聞いてみた……。 ヒットおめでとう 井沢:「上意討ち」はお客が、よく入っていますね。おそらく興収一億二千万円のレベルのところまで、いくでしょう、この人気の度合いでは。三徳までいってくれれば、なおいいんだが。 三船:ありがとうございます。でも、まあ多くを望めませんからね。一億二千万円あがったとしたって、こっちは一銭にもならん覚悟でいなけりゃ。(笑) 井沢:利益配分はないの? 三船:去年スタジオを建てる時に、中間の支払いとして相当数まとまった金が必要だったんです。その融通を東宝から受けて、こっちの建築費にあてちゃった。そういうことで、「上意討ち」をやるについても、これは仕切り値で請負いという形でやらしてもらいたい、あと利益のパーセント要求なんかはなんにも申しません、という形ではじめたんですよ。会社側が、それじゃなんだから、あるレベル以上あがったら、多少のうまみがなけりゃ張合いがないだろうといって、あるパーセンテージをつけてくれたんです。だから、私はなんにも言いません。いまさら配分が少ないとか、言えた義理じゃないんです。 井沢:でも根本的に、日本というところは、独立プロに利益配分がうすいところですよね。あなたはよく国際的に歩いているからご存知だろうと思うんだけれども。ヨーロヅパ形態でもアメリカの形式でも、メキシコの形式といえども、こんなことはないでしょう。あなたは、言えた義理じゃない、と言ったけれども。そうすると、日本では独立プロってのはできないことになる。 合理化には苦心した 三船:いまのような形では、できないでしょうね。今さら、こんなこと言っちゃいかんけれども。最初、八千二百万円なら八千二百万円という予算がきまったら、七千五百万で製作費をあげれば、七百万ぐらいの利益ば浮くわけです。それができなかった。もちろん最初から八千二百万円という線を出したわけじゃない。最初は九千五百万という予算を出した。が、会社だって、こちらから言ったものを、そうかそうか、と言ってハンコを押すわげじゃありません。いろいろあって、八千二百万でやれ、というところまでいった。それで、なんとか切詰めればできるんじゃないか、というのではじめた。スタッフだって、東宝を例にとっちゃいかんけれども。東宝でこのぐらいの写真だったら、七十名から八十名のスタヅフが編成されるんですよ。われわれはそんな贅沢は許されない、というので、監督以下三十五名です。そういう犠牲のもとに、「上意討ち」がいちおうできた。俳優費だってけっして安くはないんですけれども。これもみんな泣いてくれて、オーバーした分をぜんぶけずったという結果になったんですけれどもね。それでもなおかつ、アシが出ちゃった、ということなんですよ。 井沢:そもそも独立プロというのは、今までは五杜からはみ出た、あるいは昔、六社があったときに、イデオロギー的にいじめられた人が、独立して作ったものだったわけだ。ところがいま動いている独立プロというのは、ちょっと違う。今のままで五社の歯車のなかに入っていると、とんでもないことになってしまうという危機感をもっている良心的な人たちが、イデオロギーとはぜんぜん関係なく、独自で映画を作り出したわけだ。別に金を儲けたいということじゃない。儲けるなら他に、もうちょっとうまいことがあるわけだ。日本映画の危機がここまできたら、もう、おかしなことはしたくない、ということから、独立プロというのが新しい形で出てきている。そういうことじゃないですか。 独立プロの犠牲の上に 三船:そのとおりだと思いますよ。戦後の独立プロの動きは、イデオロギー的なものが多かったわけなんですが。われわれはそういうものはない。 井沢:それなのに、そういう独立プロの犠牲において、五社が儲けようとしている動きというのが、問題になるんだな。やっぱりどう動いても、五社という枠に突き当たるんじゃないですか。 三船:いまの日本の映画企業というのは、そういう形態になっているから、しょうがないわけですよ。彼らは配給網をがっちり握っているし、けっきょく泣くのは作るほうになりやすい。 井沢:それを承知の上で、なぜあなたはやられたか、ということだな。 三船:採算的に、メージャー会社ができないような合理的な作り方をすれば、できると思うんです。 井沢:八千二百万円の予算の場合は、一億かけてしまえば足が出る。これは小学生でもわかるような計算なんだが。 三船:七千二百万円であげれば、一千万円は浮くんです。確実にね。 井沢:この簡単な計算が、どうしてできないか。 三船:(しばらく沈黙。ウィスキーをとりに立上って、ゆっくり封を切り、一杯ついでぐっと飲んでから)やれると思うんです。いずれは、やってやろうと思ってるんです。 井沢:いずれはやるし、やれるだろう。つまり商品っていうものは、映画だけがおかしいんだけど。トランジスタ・ラジオ一つをとってみても、作るとき、その値段きめるでしょう。そのときに、従業員の数とか、一台売れたときにどうなるとかということをこめてコストをきめる。映画というのは、どうしてそういう基礎的なことができないのか。つまり、慈善事業をやっちゃいけないよね。やっぱり芸術家なのかな。どうしてもそこが、わからない。わざと、わからないふりをしているところもあるけれども、わからん。(笑) 三船:ううん。(ひたいにシワをよせる) 甘えちゃいかん! 井沢:前の時代の独立プロの人たちっていうのは、甘さがあった。ジャーナリズムとか新聞が、良心的映画だということでほめてくれたんで、甘えて没落した要素があった、と思うんですよ。あの時代は。だが、今度のあなたとか石原裕次郎君たちがやっていることというのは、甘えはないわな。甘えちゃいかんのだよな。 三船:そうなんだ。ちゃんと計算した上の合理主義でね。 井沢:もう一つは、ヨーロッパでもアメリカでも、そうなんだが、俳優というのは、あるレベルというか、あるところまでやっていくと、自分でプロデュースもしなければならないような時期がくるわけですよ。しなけりゃ、自分の内心がうつ勃として、どうにも押さえきれないときがくる。 三船:ヨーロッパでは、常識になっていますからね。そういうことは。 井沢:それを日本でせんぜんやれないというのは、低開発国だということですか。 三船:そうでしょう。まさに。その点では日本は、残念だが野蛮国ですよ。映画に関しては、ぜんせん後進困ですよ。 井沢:そうだろうな。 三船:メキシコあたりにしても、映画企業に対する、国立銀行まである。たいへん恵まれた作り力をしていますよ。 井沢:このあいたも日本映画全体会議なんていうのが、あった僕は行かなかったけれども、いろいろ報告を聞いてみますと、堂々めぐりをするわりです。してもいいんだけれども、いちばんの根本問題は、なんで日本映画界は、世界中のぜんぶがやっていることを、ようやらんのか、という問題にきませんか。くるでしょう。 三船:きますよ。当然。 実力で勝負をしたい 井沢:だから三船プロというのは頑張ってもらわにゃ困る、というのが僕らの意見ですよ。 三船:僕は別に、日本映画復興なんていった、おこがましいことを考えてるんじゃないんです。でもね、アメリカ一つを例にとってみたって、プロデューサーだって、監督だって、役者だって、ぜんぶ、みんな独立した人間が、一人で勝負していますよ。だからそういう風に勝負ができる形を、作りたいです「上意討ち」の一場面ね。日本の場合、プロデューサーは、みんな各社に属した社員プロデェーサーでしょう。ほんとうのプロデューサーがいない。他の分野だってそうですよ。仕事が一年間も二年間もなくて、給料だけもらっていると、意欲はなくなってきますよ。欧米では、役者だって、ぜんぶ一人一人、プロダクションをもっているスタイルになっている。そうでない人は、ちゃんとユニオンの大きな組織のなかにバンと入っている。それぞれがそういう活動をしているわげですからね。それが理想じゃないかと思う。そのために遅ればせながら、おこがましいなんて言われながらも、やっているわけです。 井沢:おこがましくないですよ、ひとつも。独立プロ、というような特殊な言い方が、だめなんだな。みんなそうなるのが本当は当り前なんだ。 三船:当り前ですよ。それがノーマルな状態なんだ、並みのことをやっている、というだけなんですよ。それが日本じゃ、入れられない。残念だな。だから、なにも役者だけがプロダクションを作れ、というんじゃなくて。日本の映画企業がもっと根本的にかわってこなければしょうがないんですよ、これは。二本立なんて、そんな、ばかなことは、止めなければいけないんだ。改革しなければならないものは、いくらでもある。ヨーロッパじゃ、映画やってるなんていったら、みんなに尊敬されるんですよ。それだけの、みんなちゃんとしたものをもっているんだ。この間、日本にも来たアントニオーニ。彼だって若い新進だって、一匹狼ですよ。才能をもったある一人の人間がいれば、その才能に投資をする人が、いくらでもいるわけです。だからアントニオーニは本国へぺ帰らないで、イギリスへ行ったり、アメリカへ行ったりして作品を撮れる。だから自由な、いい作品が生れる。 日本映画の鎖国状態 井沢:映画っていうのは映像が中心だから、声は国によって違うけれど、音楽とほとんど同じぐらい、インターナショナルなものなんだ。 三船:インターナショナルなものだと思いますよ。そこまでいかなければ、いかんと思うんです。あるメルクマールというか、歴史的時点というのは、いまはじまりつつあるというような気がする。では、そのあと、どうやればいいかという問題になるわけだけれども。「黒部の太陽」の監督に能井啓を選んだ、というのはいいな。そこでまた、いろいろもめているというのは、五社協定の問題が出てきたとしか思えないわけだが。それまで抹殺するということになると、これからの独立プロというのは、まだ五社協定の力のなかで、たいへんな努力をしなきべあいけないような気、がする。それぐらいたいへんでしょうね。 三船:そうだと思いますね。手続き上、ちょっとした誤りがあったことは認めるんですけどもね。難しい問題です。 井沢:そうとうしんどい。 五社の力を結集せよ 三船:われわれが考えたことは、新しい試みですよね。それに対して、そう既成の会社に損害を与えるものでなければ、そういう新しい形も、もっと大きな心で、もうちょっと抱擁してくれるものがあってもいいんじゃないか。それなら、やってみなさい、とね。つぶれたらつぶれたで、これはまた自分たちの責任でやっていることですからね。別に、どうしてもだめでした、お金を貸して下さい、なんて虫のいいことは言って行きませんよ。それを、大きな気持で見守ってくれるぐらいの度量はないものかな、ということなんです。 井沢:僕なんかの考え方では、こういうケースがあっていい、と思うわけです、日活系と東宝系の小屋が並んでいるところがありますよ、新宿でも、どこでも、地方へ行ったってある、その両方で、共通のスターを出しあって作った大作を写せばいい、と思うんだ。 三船:そのくらいのことを、やってもらえればね。それがもう一歩前進して、五社なら五社、ぜんぶが金を出し合って、各社が全技術障を集めて、生々と外国の映画祭に通用するような映画を、たまには作ってもいいんじゃないか、という気がしますね。かえって、ふつう一般の素人の映画ファンは、そういうことを言うんですよ。 井沢:とにかく、誰かドン・キホーテが出て、風車にぶつかってみて、経営者にちゃんとわからせることが必要な時代ですよ。 「黒部の太陽」のこと 三船:裕次郎君と組んで何かやろう、ということになったのは、三年前なんですけれども。当時、たまたま「馬賊」なんていう企画があったもんですから、どうだ、ということになった.こちらも、三船プロという看板はかけていましたけれども、まだなんにも、機材一つあるわけじゃなしね。今でこそ、まがりなりにも小さいスタジオができましたけわども。その当時はなんにもなかったわけです。製作費とか、仕事をする場所、配給など総ては、日活でもいい、東宝でもいい、ということだったんです。けれども、いろいろありましてね、この話は、こわれた。その後、二、三年期間があったわけですが。裕ちゃんと会うたんびに、是非そういう夢を実現したいと言っていた。それが私がたまたまヨーロッパへ出稼ぎに行ってる留守中だったけれども。こういう本がある、どうだろうといって、ミラノに送ってきた。黒部ダム建設の話です。原作はノン・フィクションですね。記録映画だったら同じ題材を前に日映新社も撮っています。各建設会社が岩波映画などに依頼して撮った記録映画もあります。日映新社が四年がかりで撮った映画は、前半スタンダードで後半ワイドですが、アジア映画祭で賞をとっているぐらいの、立派なものです。これを一つドラマとして、うまい具合に組立てられるんだったら、おもしろい材料じゃないかという話になった。みんなで準備をはじめたわけです。関電の社長をお訪ねして、全面的な協力をいただき、鹿島建設、大成建設、熊谷組、間組、佐藤エ業の各社の社長もじきじきにお訪ねして、協力方をお願いしました。そして、いよいよ、というところまできたんですがね。 井沢:苦労したわけたな。 映画人は考えなきゃ 三船:急遽、裕ちゃんの写真をやったことのある熊井啓監督は、この人が、一年ばかりぜんぜん遊んでいるというんで、素材を彼に見せた。ところが、是非やりたい、といってくれた、僕もこの人は、はじめてだったんです。「日本列島」と「死刑囚」という写真があったということは知っているけれども。失礼だけれども、見てない。紹介してくれるというので、会ったけれども。なかなかファイトがある監督さんです。 井沢:この人は、優秀ですよ。日本映画がもっとよい頃なら、ぐんぐんのびてる人です。 三船:それから、またいろいろなプロセスがあって、今日に至っているわけなんですがね。 井沢:これは、きっと解決すると思うな.、しかしそこまで抱くと、あなただってオール・マイティじゃないのだから、いいマネージャー、あるいはプロデューサーがほしいね。 三船:いや、いなくても「上意討ち」は出来たわけですけれどね。 井沢:とにかく、「グラン・ブリ」があれだけ当って、儲けて、三船君にギャランティを出しても、余りあるくらいの興行成績をあげている。ああいう事態が現実にあるわけですよ。アメリカのプロダクションはそういう計算ができる。日本の映画人は、考えなきゃいかん、という問題が結論にきますね。 三船 敏郎(ミフネ トシロウ) 日本の俳優・映画監督・映画プロデューサー。1951年にヴェネツィア映画祭で最高の賞、金獅子賞を受賞した黒澤明監督「羅生門」に主演していたことから世界中より注目を浴び、1961年には主演した黒澤明監督「用心棒」、1965年にも主演した黒澤明監督「赤ひげ」にて、ヴェネツィア国際映画祭の最優秀男優賞。その他にも世界各国で様々な賞を受賞し、アラン・ドロン、スティーブン・スピルバーグなど世界中の映画人たちへ多大な影響を与えた、日本を代表する国際的スター。1920年4月1日 - 1997年12月24日没。 三船敏郎生誕100周年公式ページはこちら -
新進クリエイターインタビュー”岩井澤健治” 7年以上に及ぶ個人制作期間経て完成させた「音楽」
2020年12月27日新進クリエイターインタビュー”岩井澤健治” 7年以上に及ぶ個人制作期間経て完成させた『音楽』 2020年1月に劇場公開され、単館系としては異例の大ヒット。さらに仏アヌシー映画祭などで国際的な評価も得た「音楽」。インディペンデントの長篇アニメーションとして、日本映画に新たな地平を切り拓いた画期的な一作だ。その中心人物である岩井澤監督に、作品の苦労や今後の見通しについて、改めて話を聞いた。 「音楽」という特異な存在 ――「音楽」が公開されてから約1年。振り返って今の心境をお聞かせください。 岩井澤:公開したらパッと手が離れて、次の企画に移れるかなと考えていたんですが、甘かったです(笑)。今回のBD発売を含め、いろいろとやるべきことがあって。なんだかずーっと「音楽」が続いている状態ですね。 ――公開後の観客からの反応で、とくに目を引いたものは? 岩井澤:“間”を活かした演出を、多くの方が作品の魅力としてすんなりと受け取ってくれたのは、意外でもあり、嬉しくもありました。アニメーションって、動かすことが基本なので、“間”というものはまず存在しないんです。でも、「音楽」ではそれをあえて大胆に用いることで、物語的にもメリハリが出せるんじゃないかって考えたんです。セオリーからは外れるけれど、作品としてはプラスになるはずだと。今回は「アニメーションだったらこう」という枠を外して、あくまで「映画」としての演出をやろうとしたんですが、それが受け入れられた手ごたえがありました。 ――アニメ業界の方々からの反応も気になりますが。 岩井澤:「音楽」って、インディペンデントの長篇アニメーションという、それまでにあまり例のない、不思議な立ち位置の作品なんです。その中途半端さもあってか、一部、アニメーターや評論家の方からは好意的な意見がある一方で、「え、なにこれ?」と戸惑う反応が多かったように思います。たまにエゴサーチすると、普段見ているアニメとのルックの違いに否定的な意見や、商業でアニメーションに関わっている方からも、インディペンデントの作り手からも、「なんか観たくない」みたいな、微妙な反応を目にすることはありました……。まぁ、観たら面白そうだから悔しかったのかな、と良いほうに考えていますけど(笑)。それからインディペンデントでやっている人たちは、いつか長篇を撮りたいという憧れがあると思うんです。だから、こういう作品が出てきたことが嬉しい反面、悔しくもあるんじゃないかと。 ――自主制作で長篇劇場アニメーションを生み出した苦労を改めて伺いたいのですが。 岩井澤:インディペンデントの監督って、スタッフの手配からなにからすべてを自分でやらなきゃいけないんです。むしろ監督業のほうがおざなりになる(笑)。そこに尽きますね。金銭面に関しては、お金がないなら時間を掛けようって考えだったので。予算が足りなくなったら僕だけで作業すればいいやって。 ――あらゆる面での意思決定を自分ひとりでというのは、確かに辛そうです。 岩井澤:7年も掛けたとか、手描きで4万枚も作画したから、すごくこだわりを持っているイメージを持たれがちですが、むしろ逆なんです。周りに頼める人がいたら全然おまかせしたいタイプなんですけど、いなかったので仕方なく自分でやるという方法論でした(笑)。制作中は生活を切り詰めたりして大変でしたけど、「完成させれば勝ち」だと思って、黙々と作業していましたね。逆にそう思わないと、続けられなかった。「音楽」は完成すれば絶対に注目されると思っていましたから。 ――どの時点で、その確信を得ましたか? 岩井澤:フェスのシーンがうまくいったときですね。「ウッドストック/愛と平和と音楽の3日間」(70)とか、昔のライブ映画ってカメラマンもステージに上がってミュージシャンの近くで撮っているじゃないですか。あれをアニメで、しかもロトスコープ(*1)でやれば絶対にすごいものができるというヴィジョンが最初からあったんです。でも、それを自分がうまく伝えられなかったせいで、ライブハウスで代用できないかなんて言われちゃって。一時は実現できるかわからない状況に陥ったんですけど、無事にできたときは「ああ、これでイケるな」って。 (*1)ロトスコープ……実写映像を基にそれをトレースしてアニメーションにする手法。1910年代にマックス・フライシャーによって開発された。 アニメーション映画の世界はまだまだやりたい放題だと思っています ――本作最大の見どころであるフェスシーンも含め、音を映像化する苦労があったかと思いますが。 岩井澤:企画の段階からこの作品には音が重要だと言われていて、僕も最初はそう思っていたんですけど、言われ続けてだんだん腹立ってきて(笑)、そもそもアニメーションなのに、なんで画よりも音が大事なんだって、画が一番大事に決まってるじゃないかと。そこから、まずは画をつくって、後からそれに合う音を付けましょう、という方針に切り替えたんです。だから最初の2年くらいは音のヴィジョンがないままつくっていました。音について考え始めたのは、やっぱりフェスのシーンに取り掛かったときですね。お願いしたミュージシャンの方にイメージを伝えて、出てきたものがほぼ一発OKだったので、あんなに考えていたのはなんだったんだろうと思いましたよ(笑)。 ――では、音を映像化してやろうという思惑はとくになかった? 岩井澤:そうですね。むしろ面白い画をつくるので、それに合う音楽をつけて、という感じでした。まあ、実際はロトスコープなので、演奏シーンなど同録のところもあるんですけど。 ――「音楽」では、ロトスコープというある種古典的な手法を用いて新たなルックを生み出したわけですが、監督はアニメーション表現の現状についてどのようにお考えですか? 岩井澤:アニメーションは表現としてまだまだ多様性がないジャンルだと思っています。とくに日本のアニメは、限られたヒットするものにアプローチする企画が多い。正直、「音楽」も実写だったらオフビートなコメディということでそれほど目立たなかったはず。でも、アニメになった瞬間に“いままで見たことがない”作品として目立った。それほど多様性がないんです。だから、正直アニメーションはやりたい放題という感じで、いろんなアプローチができると思っています。 ――次回作もロトスコープで? 岩井澤:次はエロスをテーマにしたものを考えています。アニメーションでエロスというとSFやファンタジーみたいなのを想像しがちですけど、四畳半的な感じで。それをまたロトスコープでやると、生々しさが実写よりも増すかなと思って。アニメーションは海外でも依然として子供向きの作品が主流なので、大人向けの作品を作りたいし、需要は絶対にあるなと睨んでいます。 文=平田裕介/制作:キネマ旬報社 (キネマ旬報1月上下旬合併号「新進クリエイターインタビューそれぞれの挑戦」より転載) 岩井澤健治(いわいさわ・けんじ)/1981年生まれ、東京都出身。高校卒業後、石井輝男監督に師事。その傍ら独学でアニメーション制作を始め、08年に短篇「福来町、トンネル路地の男」を発表。長篇第1作となる「音楽」は脚本、絵コンテ、作画監督など1人7役をこなし7年半の歳月をかけ完成された。 アニメーション映画「音楽」 ●2020年12月16日発売 ●数量限定豪華版Blu-ray[2枚組:本編Blu-ray +特典Blu-ray ] 価格:7,800円(税抜) ●DVD/Blu-ray 価格:3,800 (税抜)/ ¥4,700(税抜) ●発売元・販売元: ポニーキャニオン © 大橋裕之 ロックンロール・マウンテン Tip Top -
年末年始に観たい!「コンフィデンスマンJP」を始め、オールスター俳優による大ヒット作!
2020年12月27日豪華絢爛★主演級俳優陣が総出演! 「コンフィデンスマンJP プリンセス編」を始め、オールスター俳優が織り成す大ヒット作! ©2020「コンフィデンスマンJP」製作委員会 今年の年末年始は外出することをなるべく控えて、出来るだけ家の中で過ごすことが多くなるのではないでしょうか。そこで、凄腕詐欺師たちの活躍を描く劇場版第2 弾『コンフィデンスマンJP プリンセス編』を始め、超豪華出演陣たちの共演でとことん楽しませるエンタメ作品をご紹介します! 1.映画「コンフィデンスマンJP プリンセス編」 映画「コンフィデンスマンJP プリンセス編」の作品概要 コンフィデンスマン(信用詐欺師)たちの痛快な “ダマし合いバトル”を描いた人気ドラマ劇場版シリーズ第2弾。世界屈指の大富豪フウ家の当主が遺した10兆円の遺産の相続をめぐって、世界中から詐欺師が集結。ダー子、ボクちゃん、リチャードの3人もフウ家に潜り込むが……。 映画「コンフィデンスマンJP プリンセス編」の見どころ 狙うは10兆円の遺産相続! 豪華キャスト陣によるコンゲーム開幕! 長澤まさみ×東出昌大×小日向文世演じる最強“コンフィデンスマン”たちが、今回はマレーシアにあるランカウイ島を舞台に、騙し騙されのコンゲームを繰り広げる大人気シリーズ第2弾。ドラマ版に引き続き出演の広末涼子、江口洋介らお馴染みのレギュラー陣に加え、今回は白濱亜嵐、関水渚といった人気急上昇中の若手俳優から、北大路欣也、柴田恭兵らベテラン大御所、更には20年ぶりの日本映画出演となるビビアン・スー、そしてあのデヴィ夫人まで……こんな豪華キャストの総結集、ほかでは絶対あり得ません! 発販:フジテレビジョン/ポニーキャニオンより12月25日リリース 2.映画「記憶にございません!」 発販:フジテレビジョン/ポニーキャニオンよりリリース中 映画「記憶にございません」の見どころ 記憶喪失の総理大臣が日本中を大騒動に巻き込む! 人気脚本家・三谷幸喜が監督を務めた、記憶喪失の総理大臣が主人公の政治コメディ。史上最低の支持率を叩き出した総理大臣を中井貴一が演じ、ディーン・フジオカ、石田ゆり子、草刈正雄、佐藤浩市ら豪華キャスト陣と共に「政界」をめぐるドタバタ劇が描かれていく様に、爆笑とワクワクが止まりません! 3.映画「シン・ゴジラ」 発販:東宝よりリリース中 映画「シン・ゴジラ」の見どころ ゴジラの圧倒的存在感と、豪華俳優の贅沢すぎる配役を堪能 日本を代表する“キング・オブ・モンスター”ゴジラを「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明監督が新たに再映画化。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみら総勢328人にも及ぶ豪華俳優陣が、未曾有の危機に立ち向かう日本人を全力で演じ、観ている我々も彼らと共に「その場」にいる様な臨場感に圧倒されます! 4.映画「エイプリルフールズ」 発販:フジテレビジョン/東宝よりリリース中 映画「エイプリルフールズ」の見どころ 嘘が嘘を呼びバラバラの出来事に最高の奇跡が起きる! エイプリルフールの東京を舞台に、総勢27名の超豪華キャストが「嘘」をめぐって抱腹絶倒の騒動を巻き起こす痛快コメディ。「コンフィデンスマンJP プリンセス編」も手掛けた古沢良太による脚本と、戸田恵梨香、松坂桃李、菜々緒、ユースケ・サンタマリアらによる爆笑演技が、最後には思いもよらぬ感動へと導きます! 突然の結婚に驚きとお祝いの声に沸いた主演ふたりの共演作としても注目です。 いずれの作品もオールスター総出演で楽しませてくれるエンタメ作品です。これらの作品をお近くのレンタル店で借りるなどして、コロナ禍にある年末年始のお休み期間を少しでも楽しいものに変えてみてはいかがでしょうか。 映画「コンフィデンスマンJP プリンセス編」 制作=キネマ旬報社 -
【集中連載3】戦後最大の国際的スター三船敏郎(2)
2020年12月26日スティーブン・スピルバーグやアラン・ドロンといった世界を代表する映画人と対等に仕事をし、尊敬された日本人はいただろうか? 「世界のミフネ」と呼ばれた三船敏郎 生誕100周年を記念し、創刊100周年を迎えた「キネマ旬報」に過去掲載された三船敏郎に関するよりすぐりの記事を「キネマ旬報WEB」にて連載する特別企画。過去に「キネマ旬報」に掲載された記事を読める滅多にないこの機会をお見逃しなく。 今回は、1984年5月&6月発売の「キネマ旬報」に掲載された、水野晴郎による三船敏郎本人へのインタビュー後半をお届けします。 戦後最大の国際的スター三船敏郎 三船敏郎さん。実に気さくな方である。そうして礼儀正しい方。堂々たる貫禄の中に常に笑顔をたやさず、こちらの心をひきつける。日本の『サムライ・ミフネ』として、世界の人々の心をとらえている一因はここにあるのだと思う。話は泉のごとくつきない。日本人の目から見た世界の映画づくりの裏話。何とも面白い。大プロデューサー三船敏郎として、大いに世界へ発言してほしい。いつまでも世界の映画にかかわってほしいと思う。 水野晴郎(以下、省略) 三船さんは、外国でいろいろな作品に出ていらっしゃいますが、最初がメキシコでの作品でしたね。 三船 そうです。「エル・オンブレ・インボルタンテ」、日本の題名は「価値ある男」。サンフランシスコとヴェニス映画祭で主演賞をもらいました。 撮影の方法は、日本とはずいぶん違うものですか。 三船 全く同じですよ、現場に行けば。ただ、出ずっぱりでセリフの数が多かったんで苦労しました。黒澤(明)さんの「用心棒」を撮ってる時に、この映画の話がきたんです、メキシコ大使館を通じてね。「用心棒」を撮りながら、暇があれぽ、テープに入れてもらったセリフを、イヤフォンで聞いて、それで全部覚えていったんです。映画は脚本の順番通りに撮るとは限りませんからね。最初にオアハカという所にロケーションに行ったんですけど、それがラスト・シーン。全部覚えてから行ってよかった。 撮影に入ったら台本を見ないという三船さんの習慣が役に立ったわけですね。でも、セリフを覚えるって簡単に言っても、実は大変なことですよね。 三船 大変ですよ。しかも、こっちは、スペイノ語のセリフなんて初めてですから、それこそ、耳から覚えていくほかないんです。スペイン語でテープに入れてもらって、くり返しくり返し聞いて。人の二倍も三倍も苦労しなけりゃならない。メキシコのナルシソ・ブスケットという名優に入れてもらって、感情込めてね。完壁なテープを送ってくれて、それで覚えていったんです。 メキノコ映画にお出になった後に英語の映画にもどんどん出ていらっしゃいますが、例えば「レッド・サノ」は、英語で撮影されたんですか、フランス語ですか。 三船 英語でした。テレンス・ヤング監督は、まずいところは、アフレコでどうにでもなるからと言って、付きっきりで指導してくれましてね。 現場でセリフが変わるとか、場面が変わるとか、書き直しがあったりしますと、困るでしょうね。 三船 あわてちゃいますよ(笑)。 ヘンリー・フォノダ、チャールトン・ヘストンのような名優と共演したリリー・マーヴィンと真正面から対決なさったり、他の日本の俳優さんではできないことを、敢然とやっているという感じですね。 三船 たまたま、そういうものに巡り合ってきたということですよ。 演技の発想は、基本的にはどこの国でも同じなんですか。 三船 国によって風俗、習慣が違う様に多少の違いはあります。 この人とはうまく合うとか合わないとか、個人的に相性のようなものはあるめでしょうね。 三船 合わないといってもしょうがないしね。てめえは、てめえなりにやるほかないですよ。しかし結局は人間同士だからね、通じ合う。 「太平洋の地獄」などは、リー・マーヴィンと、お二人だけの芝居でしたね、頭からしまいまで。 三船 彼はとにかく酒が強くて、二十四時間飲みっばなしでしたね。朝からビール飲んで。仕事中は、ジャングルの中に入って、横倒しになった木の陰で寝てるんですよ、大いびきかいて(笑)。監督(ジョン・プアマン)と二人で、ほっぺたひっぱたいて、「起きろ、起きろ」(笑)。面白い男でした。 ああいった役(注*太平洋戦争末期のカロリン群島に流れついた米海軍大尉で、三船扮する生き残りの日本海軍大尉と憎悪と友情の握り合った複雑な感情を抱いたまま行動を共にする)だから、酔っぱらっていても、分からないですね。 三船 もう陽に焼けて真っ赤な顔してるしね。酒が入っていても分かりゃしない(笑)。 「レッド・サン」「グラン・プリ」など海外での映画製作は、三ヵ月、四カ月と、相当長くかかるんですか。 三船 長いですね。「グラン・プリ」は前の年の一年間、各国のグラン・プリを全部見て廻って準備をして、翌年やったわけです。僕はモナコから参加したんだけど、十ヵ月くらいかかりましたね。 それに、お出になってると、日本での映画出演は若干少なくなってしまいますね。 三船 そうですね。「グラノ・プリ」はMGM作品でしたけど、あの頃は、メイジャーがたっぷりと金を出して、ゼイタクな撮影をやってました。 イヴ・モンタンとのおつき合いは「グラン・プリ」からですか。 三船 イヴ・モンタンも英語ができないんで苦しんでましたな。毎日コーチがつきっきりで、隣りの部屋で、大きな声出してやっていた。こっちも負けずにやって(笑)。一人しかいないコーチをモンタノにもってゆかれて、こっちは独学でしたよ(笑)。 男は心で泣いても顔には出さん 振り返ってみまして、いわゆる戦記ものをけっこうやっていらっしゃいますね、日本映画もアメリカ映画も含めて。「連A口艦隊司令長官・山本五十六」「太平洋の翼」、アメリカ映画の「ミッドウェイ」。我々、見ていて、この人を置いて他にいないというくらい軍人役がフィットしていると感じるんですが、単に格好の問題ではなくて、人間的なものを含めた、軍人の姿とでもいいますか、どこか哀しみを奥に秘めているんですね。 三船 今も田中(友幸)さんと、ニミッツと五十六の決定版を作ろうと準備してるんです。ヘストンも出るといってるんですけどね。とにかく資金が必要です。向こうからの資金の参加を得たいと、交渉中です。 それは楽しみですね。ヘストンもそういったキャラクターの合う役者ですね。三船この間も、ユル・ブリソナーと一緒に飯を食ってきたけど、ニミッツはブリンナーではないんですね。ブロンソンでもない。今誰かを選ぶとしたら、やはヘストンが一番似ている。 ヘストンは基本的には了解ですか。これは面白いな。比較的に海軍ものが多かったようですけど、「日本のいちぽん長い日」では、阿南(惟幾)陸相に扮して、よかったですね。 三船 監督が岡本喜八さんでした。 作品もよかったですが、三船さんの阿南さんの姿は、苦渋と意志の力を見事に表現していて、感動しました。 三船 当時、日本でいちばん苦しんだ人だと思います。 そういう役柄に取り組まれる時はデータなどをいろいろお調べになりますか。 三船 「連合連隊司令長官・山本・五十六」の時は、ご遺族からお話をうかがったり長岡へお墓参りをしたり、その他資料をいろいろ頂きました。アメリカ映画「ミッドウェイ」の時は、脚本を読んだら、東京初空襲の時に山本司令長官が、広島の料亭で芸者をはべらかして酒を飲んでいた、というところから始まるんですよ。元参謀の方々から詳しくお聞きして、そういう事実はないと確信したので、そのことを申し入れました。ウォルター・ミリッシュに。 あの大プロデューサー。「ウエスト・サイド物語」などを作った人。 三船 そこのところを全部変えてもらったわけです。ロサンジェルス郊外に、赤い太鼓橋のかかった日本式庭園があってその庭を借りましてね。庭で読書しているところに参謀が来て「東京が爆撃されました・…」と報告する形に直してもらいました。そういうディスカッションは徹底的にやります。事実にないことはやれない、と。 三船さんが外国ものにお出になる時は、必ずそれをやってらっしゃるとい話ですが、必要ですね。今後もぜひぜひやっていただきたい。 三船 日本人として出る場合は、多くの日本の方もあとで見るわけですからね。日本人としてこんなことは考えられないというようなことはできません。それをはっきり申し入れます。しょっちゅう現場でもめてますけどね(笑)。 向こうの二世、三世、あるいは中国系の人のやっている日本の将校にしてもちんけな形になってますもんね。私なども、事実を記憶しているだけに気になる。 三船 「太平洋の地獄」のジョン・プアマンはイギリスの監督でしたが、兵隊の経験は無いんです。リー・マーヴィンは、海兵隊の経験があるんですね。サイパンで日本の兵隊に銃剣で刺された傷跡を見せてくれました。「止まれ」って言葉が分からなかったんで、ジャングルをどんどん入って行ったら、ザックリやられたって言ってました。こっちも兵隊あがりだし、お互い話は合いました。最初は、向こうが航空隊の少佐で、こっちが海軍の兵曹だったんですよ。そうすると階級に差ができてしまう。昔、満州にいた時、親父から、軍人は国が違っても上官に対して敬礼しなければならないと聞いてましたから、同列同級にせいと強く「ミツドウェイ」ヘンリー・フォンダ(左)とヘストン左よりグレン・フォード,ロバート・ミッチャム,ヘストンに要求して。向こうは大尉に降格、こっちは大尉に昇格(笑)。あと、筏を作って脱出するというシーンで、筏の作り方でもめるわけです。そこで、私に地団太踏んで泣けって言うんですよ。じょうだんじゃない。「大日本帝国軍人は泣かんのである」(笑)と断固としてつっぱねて、二、三日撮影にならなかった。「日本の男は、心で泣いても顔には出さん」と頑固なこと言って(笑)。 でも、ちゃんとお通しになって、結果いいものがでぎるわけですからね。 三船 日本人が見て、何だあんなバカなことをしやがって、と言われたくないから、こっちは必死ですよ。 「レッド・サン」のような時代劇でも意志を通されますでしょうね。 三船 「レッド・サン」の時の監督テレンス・ヤングは理解があって、打ち合わせの時から、「俺は日本の時代劇を知らない。お前に全部まかせるから勝手にやれ」と。責任負わされたはいいけど、それがまた大変なことになってね。なぜか「レッド・サン」テレンス・ヤングと列車の中で峠を着たりね(笑)。日本の時代劇のコスチュームを全部紹介してやったんです。「いい。いい。思った通りやれ」。それで全部日本から運んだ。スペインの一番南のアルメリアで撮影したんですが七、八ヵ月かかりましたね。 そうすると、直接の演出はテレンス・ヤングでしょうけど、日本側演出は三船さんということですね。 三船 お前の思った通りにやれっていうんで、やらしてもらったわけです。 とてもスケールの大きな映画でした。「将軍」の時はどうでしたか。 三船 あれは、エリック・バーコヴィッチが脚本を書いたんだけど、原作はジェイムズ・クラヴェル。パーコヴィッチは、今またクラベルの「ノーブル・ハウス」の脚本を書いています。彼が「コンニチワ、ハイ、イイエ、ワカリマシタ、ワカリマスカ」なんて言葉を外国人に教えたいんだという。僕は将軍の役だから、チェンバレン(リチャード)のやった人物(注*日本のサムライに捕えられるイギリス人航海士アンジン)に、「ワカリマシタカ、コンニチワ、アンジンサーン」なんて言えないと言ったんですよ(笑)。「分かったか」でいいんだ。「ワカリマシタカ」は、現代語だ。当時、そんな言葉はないってね。そういう言葉のことでもめちゃって、一晩撮影にならなかったことがありました。「ワカッタカ」という言い方だっていろいろあるでしょう。「ワカッタカーアッ!」と強く言うのと、「ワカッタカ」と静かに優しく言う言い方もあるし。そういう説明を一所懸命しても、どうしても「ワカリマシタカ」と言えと言う。「ワカリマシタカ、アンジンサーン」(笑)なんて俺は言えない。将軍として言えないって、頑として言わなかった。向こうも意地になってた(笑)。 そうした意気込みが結果的に相手に通じちゃうんじゃないかという気がしますね。 三船 だろうと思いますね。それでいいと思うんですよ。結局、「将軍」は、アメリカをはじめ、各国であれだけの多くの人が見てくれたのは、ジェイムズ・クラヴェルさんの功績ですけどね。日本の作家が幾ら立派な作品を作っても、あそこまでいかなかったと思います。そういいった功績は認めますけど、おかしなところがずいぶんありました。そこまでこちらは介入できませんが、自分の役のところだけは、主張しました。日本の習慣として、動あの時代の身分の人はこういうことであったと……。 三船さんは、喜劇には、あまり興味ありませんか。 三船 いやーあ……(笑) 「社長洋行記」のように、ゲストとして出演なさったのはありますね。 三船 ありますよ、時々。それと日常で喜劇みたいなことやってる(笑)。ステイーヴン・スピルバーグの「1941」、こ、れはもう完全なコメディ。まじめくさってやればやるほど、ばかに見える(笑)。それが狙いですけど。 あの作品は何日間くらいかかったんですか。 三船 僕の出演はわずかだったんだけど、二ヵ月くらいは現場にいましたよ。最初のうちは、兵隊さんに扮する様ざまな東洋の人たちに、毎朝、敬礼練習から、キヨツケーッ、ミギヘナラエッ、などから始めて、とにかく、初年兵教育から始めたわけです(笑)。ステノーヴンがやってくれっていうので。帽子を斜めにかぶってダーラダーラと潜水艦の上を歩かれたんじゃ困るんでね。こっちは、毎日、朝から初年兵教育。やあ、くたびれましたよ(笑)。 教官で。 三船 撮影に入っても、胸の注記っていうのかな、あれは伊・19(船の印)でしたね、伊・19の何の誰と、服の胸のところに名前を書いてやる。毎日洗濯するもんですから、毎日書いてやらなきゃならない、一人ひとりに。余計な仕事でくだびれちゃった。セリフは日本語だったからよかったですけどね。雑用が多かった(笑)。 スピルバーグの演出ぶりはどうでしたか。 三船 そんなには細かい注文はありませんでしたよ、私には。ただ、「モーイッペン」「モーイッペソ」で、フィルムをふんだんに使って……。「1941」は幾らかかったのかな。日本の金に換算して……百億か。プロデューサーが、のんきなおじさん(笑)。自分でも脚本を書いて監督もしている、鉄砲が好きな……ジョン・ミリアス。ステイーヴンが金をガボガボ使ってるのに、ニコニコしている(笑)。ヘーえ、こらぁ大物だなと思った。まだ回収できないって言ってましたがね(笑)。 いろんな物を壊した映画でした。 三船 ステイーヴンは才能のある人だけど、この時まだ三十一か二だった。鮨が好きでね。彼の誕生日にスタジオに鮨の職人呼んで、鮨パーティをやってやった。 スピルバーグも映画少年だったらしくて、黒澤さんの映画もよく見てるんですね。それで三船さんにも出てもらったんでしょうね。 三船 自分でも言ってたね。「JAWSジョーズ」もそうだし、「1941」のファースト・シーンの霧は、「蜘蛛築城」の真似だと。女の子が裸になりながら海にドッボーン。下から潜望鏡が出てきてキャーッ(笑)。このシーンは、クロサワの真似だって言ってた。 じゃあ、念願だったわけですね、三船さんに出ていただくのが。 三船 それで、ステイーヴンは「黒澤さんは『用心棒』みたいなものをどうして撮らないんだ。『用心棒』みたいなのを撮るんだったら、俺、金出すよ」と言うんです。黒澤さんに話したら、冗談じゃないよ、今さら「用心棒」は撮れないよって。 「用心棒」「椿三十郎」「隠し砦の三悪人」の影響はすごいんですね、今のアメリカの若い監督に。ジョージ・ルーカスにしてもそうですしね。 三船 そうね。「隠し砦の三悪人」は、サンフランシスコに不思議なアメリカ人がいて、誰が売ったのか知らんけど、あれ一本だけフィルムを持っていて、商売して歩いている(笑)。「用心棒」も、あの当時、「用心棒」何とかなんて会社つくって、「用心棒」一本で食ってた連中がいました(笑)。東宝がどんな形で売ったのか知らんけど、駐在員が騙されたのか、売り切っちゃったんですね。もったいないと思いますね。「上意討ち」もそうだ。あの作品は引っ張りだこなんですよ。去年、八月に二世ウィークがあるというんで、ロサンジェルスに二週間ばかり招かれたんですが、新しくリトル・トーキョーに日米劇場がでぎたんです。二世ウィーク中にこの劇場を何に使うんだと聞いたら、何もアイデアがないという。遊ばせとくのはもったいないじゃないか、東宝の支社に伺本もフィルムがあるはずだから、フィルムを借りて皆さんに安く見せたらどうかと言ったんです。ちょうどNHKの大河番組「山河燃ゆ」の撮影があったもんだから、一世の方々が住んでいるアパートにご挨拶にお訪ねしたりしたんですけどね。そういう方々をご招待してもいいじゃないかと提案したんです。ところが、「上意討ち」なんて、フィルムがもうズタズタなんだね。ああいうのは、焼き直して、きちんとしたプリントを持っていないとダメですね。見てくれる人に失礼だ。 今ある企画 ラスト・サムライ スピルバーグと三船さんの顔合せも面白いけど、私は、ジョン・ミリアスと組んでも面白いんじゃないかと思いますね。 三船 いやあ、あの人は怠けもん(笑)、といったら悪いけどね、のん気なんですよ。鉄砲が好きでね。顔合わせると鉄砲撃ちに行こう、行こう(笑)。のん気なことばっかり言ってるんですよ。「コナン・ザ・グレート」は、スペインで撮ったらしいんだけど、プロデューサーが、ディノ・デ・ラウレンティスで、えらい撮り直しがあったらしいんです。第二次ロケーションをやって大変な金遣ったようで、お互いに悪口をボロンチョンに言っていた(笑)。ミリアスは現場にはあまり行かないんですよ。プラモデルなんかやってる。坊やに日本のプラモデルを持っていったことがあるんです、「1941」の時に。伊・19のプラモデルだったんですけど、そしたら気に入っちゃってね。日本に来た時などいっぱい買い込んでた(笑)。「コナン・ザ・グレート」の時もミリアスに会いに現場に行ったら、監督なのに彼がいない。遊びに来たといったら、オートバイでブルルルッと会いに来て、ついでにチョコチョコッと仕事をやって、また帰ってプラモデルやってた(笑)。大物なんだな、あれは(笑)。才能はある人ですけど、なかなかおみこし上げないんですねえ。 「コナン・ザ・グレート」では、日本の剣法を取り入れてましたね。 三船 あの時も、刀を日本で作ってくれって来てね。日本のキャメラマンも誰か紹介しろと。いろいろやってやったんだけれども、いつの間にか別なやつでやってるんだな、これが(笑)。 「風とライオン」を見ても、アスは、、ミリ日本の時代劇が大好きだという「レッド・サン」アラン・ドロンと事がわかるし、剣戟の型を大分取り入れてやってるんですね。 三船 ステイーヴンもミリアスも、「クロサワ、ミゾグチ、オズなど、日本映画を見て、ずいぶん勉強した」と自分ではっきり言ってます。尊敬している、とちゃんと言う。立派だと思うんです。日本の若い助監督などは、巨匠なんて古い、みたいなこと言うけれどね。 逆にそれを告白してね。「スター・ウォーズ」なんか「隠し砦の三悪人」ですものね。「七人の侍」は、彼らにとっては聖書といえる。こうした作贔は、アメリカの新勢力が出る前に、イタリア映画にもずいぶん影響を与えましたね。 三船 イタリアでは、もめたのがありましたね。「用心棒」とそっくりのやつがあった。 セルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」。 三船 東宝のローマ駐在員が見つけて、あれ、これどっかで見たことがあるなと(笑)。川喜多(長政)さんに報告したらしいんですよ。ちょうど、川喜多さんとパリに行ってた時でしたけど、川喜多さんの何十年来の常宿、パリのキャリフォルニアというホテル。ある日、そこのロビーで川喜多さんが、ガンガン怒鳴ってるんですよ。ブロッコリとか野菜みたいな名前のプロデューサーを前に置いて。フロントにいる頭の真っ白い支配人が、「ムッシュ・カワキタがあんなに大きな声出してるのは初めて見た」と言ってましたよ。国際人でしたね、川喜多さんは。堂々と相手を向こうに回して難詰していた。明らかに版権の侵害だ。ストーリーそっくりそのままじゃないか、と。 「用心棒」以外の日本の時代劇も、ずいぶんイタリアには真似られましたもんね。影響はものすごくあった。 三船 マカロニ・ウエスタンの時代も過ぎましたね。あの当時稼いでいたのは、ブロンソンとクリント・イーストウッド。ブロンソンも、今、ロサンジェルスでショボーンとしているね、仕事がなくて。 ブロンソンは、レオーネの「ウエスタン」あたりから、スターとして出てきたんですもんね。一時は、日本でもすごい人気でしたけどね。 三船 ロサンジェルスからは、うちに毎年、年鑑ブロックが送られてくるけど、俳優さん、女優さんをはじめ、映画関係の九〇パーセントが失業状態だと言うことです。なかなか厳しいですね、アメリカも。日本ばかりじゃありません。アメリカは、かつては鉄鋼、自動車、三番目に映画と、ハリウッドの映画は、基幹産業の一つだったんですけど、今はご存じの通りですからね。去年の暮にコロムビアから「空手キッド」という映画出演の話しがあったんだけど、スケジュールの都合で降りちゃったんです。そのコロムビアは、コカ・コーラが買っちゃったでしょう。ユニヴァーサルは、観光映画村の元祖でMCAの傘下だしね。センチュリイシティの二十世紀フォックスは、デンバーの石油王が買っちゃった。新宿副都心じゃないけど、ビルがボンボン建って、スタジオなんかどっかいっちまえって言う感じだね。 ずいぶん変わってきましたね。 三船 頑張っているのは、みんな独立プロの人たちですよ。メイジャー会社の名前だけは残ってますけどね。 配給会社という形でね。 三船 スタジオはレンタルで借りられますから、独立プロはスタジオを持ってなくてもいいわけですよ。気の合った連中が集まって、一所懸命自分で面白いものを作ろうとする人だけが残ってゆく。スピルバーグ、ルーカス、ミリアス・・・。 フランスではアラン・ドロンが、三船さんと映画を撮りたがってましたね。以前、アラン・ドロンが侍になって日本で撮るという話を聞きましたが……。 三船 無理ですね。前に、企画立てたことがあるけど。黒澤さんに相談したところ、あいつじゃあだめだよ、って。 アラン・ドロンとのおつき合いはいつ頃からですか。 三船 「レッド・サン」から。それからあと、ダーバンのCMを十年ぐらいやってくれたんですけど。フランスも映画が低調ですし、ADマークの化粧品なんか作って、商売のほうに夢中になってね。それでちょっとトラブルがあって、サイナラー(笑)。ソニーさんにいろんな子会社があって、アラン・ドロンのマークの化粧品を売り出したんです。契約の問題かなにかでダーバンさんとまずくなっちゃって、以来、私はノー・タッチ。 ジャン・ギャバンさんともお知り合いだったようですね。 三船 亡くなる直前に、化粧品のバルカン、今、マストロヤン(マルチェロ)がやってるCM、それをやってくれるというので契約書を作って。彼は飛行機は絶対嫌いだって言うんで、ジュネーブで撮ることになっていた。じゃあ、あさって何時の汽車に乗る、なんて言ってた時にパタッと亡くなったんです。彼は、昔、フランスの水兵さんだったんですよ。で、俺が死んだら海へ流してくれって……。あとでお訪ねした時、弁護士事務所で、未亡人に会ったんですが、「あの人、お酒飲んじゃいけないというのにガブガブ飲んで…あなた方にもご迷惑かけた。この話はないことにしてくれ」と、契約書を破いてくれた。金よこせなんて言わないんです。実にちゃんとした、しっカりした人でしたね。そのお葬式の写真まで、あとで送ってきてくれました。 黒澤監督にはよくお会いになりますか。ぜひまた一緒にお仕事してほしいですね。 三船 時々、会うんですけどね。今、「乱」を撮っておられる。ぜひ成功してもらいたいですね。「ミッドウェイ」の時のウォルター・ミリッシュ、ああいう大プロデューサーに、いろいろ相談した事があるんですよ。そうしたら、アメリカの興行ペースに乗せるんだったら、アメリカの役者を二、三人入れなきゃだめだ、というんです。日本の映画となると、アート・シアター扱いになるからと。アメリカで商売しようと思ったら、アメリカの人が出ないとダメらしい。 三船さんのこれからの外国での出演予定はいかがですか。 三船 まあ、いろいろ来てましてね。バート・レイノルズのところからも来てる。「ピンク・パンサー」の監督からも来てるんですけど、これが題名がおかしい。 ブレイク・エドワーズですね。 三船 「ラスト・サムライ」(笑)。南アフリカのヨハネスブルクで撮りたいと言ってます。あとは「戦場にかける橋」のパートII。今、準備してます。私も出稼ぎもやらなきゃいかんし(笑)。 いろいろ、やって下さい。侍というと三船さん。外国のライターはそういうイメージで書いているんじゃないですかね。ともかく、さらに世界に飛躍して、これからも私たちを楽しませて下さい。 三船 敏郎(ミフネ トシロウ) 日本の俳優・映画監督・映画プロデューサー。1951年にヴェネツィア映画祭で最高の賞、金獅子賞を受賞した黒澤明監督「羅生門」に主演していたことから世界中より注目を浴び、1961年には主演した黒澤明監督「用心棒」、1965年にも主演した黒澤明監督「赤ひげ」にて、ヴェネツィア国際映画祭の最優秀男優賞。その他にも世界各国で様々な賞を受賞し、アラン・ドロン、スティーブン・スピルバーグなど世界中の映画人たちへ多大な影響を与えた、日本を代表する国際的スター。1920年4月1日 - 1997年12月24日没。 三船敏郎生誕100周年公式ページはこちら -
問題作批評:日活ロマンポルノ「白い指の戯れ」【後編】
2020年12月25日来る2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえます。それを記念して、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げる定期連載記事を、キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時配信いたします。「キネマ旬報」に過去掲載された、よりすぐりの記事を「キネマ旬報WEB」にて連載していく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。 連載第1弾は、斎藤正昭氏と飯島哲夫氏によるコラムを「キネマ旬報」1972年9月上旬号より、前編、後編の二部構成にて、転載いたします。 ロマンポルノ作品として1972年第46回「キネマ旬報ベスト・テン」の第10位に選ばれ、脚本賞を神代辰巳、主演女優賞を伊佐山ひろ子が獲得した『白い指の戯れ』をピックアップ。飯島哲夫氏による映画評(後編)をお届けいたします。(※脚本賞と主演女優賞は第6位の『一条さゆり 濡れた欲情』とあわせて受賞)。 1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく! ポルノを否定するポルノ 三回見た。 ヒロインゆき(伊佐山ひろ子)が、鳩の群れにたたずむショット。ヒーロー拓(荒木一郎)が、おもむろに空を見上げ横向きざまペェッと吐き捨てる、タイミングはずしたようなストップモーションに、新人・村川透の秀れた映画感覚があった。 あるいは、「彼にとって女はあなた一人じゃないの、女のところを転々と泊り歩いているのよ、所帯もってそっから出勤するスリなんて考えられる?」というスリの洋子(石堂洋子)のセリフにさえ、脚本・神代辰巳の存在をありありと感じ、妙な親しみを覚えるのである。 渋谷の、とある喫茶店の片隅、レッカー車に涙ぐんでいたゆきと、なにげなく話しかけた二郎(谷本一)との出合いは、ボーイ・ミーツ・ガールなのだろう。さらに、ゆきと拓の出会い、看板の字を逆さに読みながら歩くあたりも、そんなふんいきだが、村川透はゆきの初体験を、ゆきへのあくまでキョトンとした表情を通して見事に描いた。 「初めてじゃないけど本当はよく知らないのよ」とケタケタ笑いく〈一つ、一人でするのをセンズリ何とか……〉なる春歌をつぶやいていたのは「濡れた唇」(神代辰巳)のコールガール洋子である。 「濡れた唇」はこの洋子とフーテン金男(谷本一)の話であるが、「白い指の戯れ」の二郎は、金男そっくりに現われながら、映画の三分の一ほどで、あっさり消えてしまう。もしかすると、この風変りな構成は「濡れた唇」の続きを意識した、さりげない企らみかもしれぬ。二郎の愛人もまた洋子である。洋子は、ゆきに悪魔のささやきを吹き込む重要な役割りになって、ついに、最後まで存在するのだ。 ▲「白い指の戯れ」より 四人の男女が刑事の追跡をのがれ、ままごと遊びのようなフリーセックスを進行させながら、「うまくやっていけるよ」と気ままに思い描く性共同体幻想、「濡れた唇」の全裸で刑事にひかれゆくヒロインと、クシャミするヒーローの寒々とした姿に対し、村川透は、コソドロ・スリ集団を、まぎれもない現実の性共同体として描き、権力との緊張関係を持ちこたえようとした。彼らは、絶えず刑事の目を意識する。その恐怖の入り混じったスリリングな感性と、性の回路の微妙な交錯。 八王子駅で襲った直後、ゆきは拓によって、初めて性の快楽を知り、張り込み中の刑事にくちびるをぐっとかみしめる。拓に燃えながらスリ仲間の山本(五条博)に身をまかせたあと、ゆきは初めてひとり、万引きのスリルを味わう。ゆきと拓のセックスのあとには、必ず刑事が登場する。従って、バッカジャナカロカ・ルンバを歌い、阿波踊りのリズムに興じる、あっけらかんとした、嬉々とした場面が、解放の瞬間として、生きてくるのだ。 春歌・秋田音頭からバッカジャナカロカ・ルンバに至るシークェンスの、何という見事さ。自らの性体験をはるかにエスカレートさせてきたゆきが、ここで何だか恐くなったと告白すれば、それは「仲間になった証拠よ」と洋子が言い聞かせる。村川透は、ゆきにおける大いなる転生の契機をあくまでおおらかな春歌・秋田音頭に託したのである。 ひとの嬶すりゃ忙しもんだ 湯文字ひも解くふンどしこはずす 挿入(いれ)る持ちゃげる気を遣る抜ぐ拭ぐ 下駄めっけるやら逃げるやら 拓やゆきたちがめざしたのは東北の旅だったが、村川透のふるさとは山形だという。何故、東北へ行くか。ディスカバー・東北、七十年代資本の論理…… 悲劇のヒロイン(小川節子)、挑発的セックス(白川和子)、そのいずれでもない「濡れた唇」や「白い指の戯れ」は、〈ポルノ〉にあって〈ポルノ〉を否定する世界かもしれない。セックス場面に株式市況が入る謎! 文・飯島哲夫 「キネマ旬報」1972年9月上旬号より転載 前編はこちらから 「白い指の戯れ」【Blu-ray】監督:村川透 脚本:神代辰巳・村川透 価格:4,200円+消費税 発売:日活株式会社 販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング. 日活ロマンポルノ 日活ロマンポルノとは、1971~88年に日活により製作・配給された成人映画で17年間の間に約1,100本もの作品が公開された。一定のルールさえ守れば比較的自由に映画を作ることができたため、クリエイターたちは限られた製作費の中で新しい映画作りを模索。あらゆる知恵と技術で「性」に立ち向い、「女性」を美しく描くことを極めていった。そして、成人映画という枠組みを超え、キネマ旬報ベスト・テンをはじめとする映画賞に選出される作品も多く生み出されていった。 オフィシャルHPはこちらから