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  • 2020年7月スタートTVアニメ、必見の10作品厳選紹介!【前半】   コロナウイルス感染拡大の影響で、4月の放送が軒並み中断されてしまったテレビアニメ。7月からはようやく放送が再開される見込みも立ち、新番組も放送が始まります。そこで、今回は7月から放送が始まる話題沸騰のアニメ作品の中から、選りすぐった10作品をご紹介します! 作品の見どころも合わせて、新たに始まる見逃せないタイトルをチェックしよう。 (※作品は50音順です/対象作品は5月中に放送が告知解禁されたものになります)     ウザカワ系女子・宇崎ちゃん、登場! 1.「宇崎ちゃんは遊びたい!」 (C)2020 丈/KADOKAWA/宇崎ちゃん製作委員会 7 月10 日より放送 TOKYO MXにて 金曜日 22:30~   TVアニメ「宇崎ちゃんは遊びたい!」の見どころ 静かなキャンパスライフを満喫する男子大学生・桜井真一。だが、彼が愛する静寂は高校時代からの後輩・宇崎ちゃんにいつも破られて…。八重歯がチャームポイントのショートカット巨乳美少女と、彼女に絡まれる青年が繰り広げる青春ドタバタラブコメディ。 宇崎役の声優・大空直美による“ウザ可愛い”感が最高!   ■放送話数:12話 ■原作:丈(ドラゴンコミックスエイジ/KADOKAWA刊) ■制作スタジオ:ENGI ■監督:三浦和也 ■シリーズ構成:あおしまたかし ■キャラクターデザイン・総作画監督:栗原 学 ■声の出演:大空直美、赤羽根健治、竹達彩奈、髙木朋弥、秋元羊介     レンタルからはじまった、本当の恋 2.「彼女、お借りします」 (C)宮島礼吏・講談社/「彼女、お借りします」製作委員会 7 月10 日より放送 MBS・TBS系全国28局ネットにて 金曜日 25:25~   TVアニメ「彼女、お借りします」の見どころ 初めての彼女にたった1ヵ月でフラれた男子大学生・和也。悲しみを癒すため、あるサイトにアクセスした彼は、そこで美少女・千鶴と出会う。とある夢を追う少女と、彼女に惹かれていく青年を軸に展開するリアルな青春ラブストーリー。 和也を取り巻く魅力的な美少女たちを雨宮天、悠木碧ら大人気声優陣が好演。   ■放送話数:12話 ■原作:宮島礼吏(講談社「週刊少年マガジン」連載) ■制作スタジオ:トムス・エンタテインメント ■監督:古賀一臣 ■シリーズ構成:広田光毅 ■キャラクターデザイン:平山寛菜 ■声の出演:雨宮 天、悠木 碧、東山奈央、高橋李依、堀江 瞬   巨人族男性の花嫁は男子高校生でした。 3.「巨人族の花嫁」 (C)ITKZ/Suiseisha Inc. 7 月5 日より放送 TOKYO MXにて 日曜日 25:00~   TVアニメ「巨人族の花嫁」の見どころ スポーツ万能・女子にモテモテな男子校生・晃一。ある日突然、異世界にある巨人の国の第一王子・カイウスに“花嫁”として召喚された彼は、彼に子作りを迫られる。250㎝の巨人族王子と180㎝の現代バスケ部男子が紡ぐ異世界召喚BL。 斬新な設定と小野友樹&伊東健人という人気声優陣による甘い演技は必見!   ■放送話数:9話 ■原作:ITKZ ■制作スタジオ:studio HōKIBOSHI ■監督:石倉 礼 ■シリーズ構成:黒崎エーヨ ■キャラクターデザイン・総作画監督:吉川真一 ■声の出演:小野友樹、伊東健人、藤本教子、中澤まさとも、白井悠介   世界を舞台に仕掛ける桁違いの騙し合い 4.「GREAT PRETENDER」 (C) WIT STUDIO/Great Pretenders 7 月8日より放送 フジテレビにて 水曜日 24:55~   TVアニメ「GREAT PRETENDER」の見どころ 日本一の天才詐欺師を自称する枝村。ある日、外国人観光客に詐欺を仕掛けるも、逆に大金を奪われた彼は、その男・ローランと共にアメリカへと渡る。マフィアも手玉に取るコンフィデンスマンに翻弄される男の運命を描く痛快クライムエンタテインメント。 明るくポップな色彩とスタイリッシュな音楽が魅力。   ■放送期間:2クール ■制作スタジオ:WIT STUDIO ■監督:鏑木ひろ ■シリーズ構成:古沢良太  ■キャラクターデザイン:貞本義行 ■声の出演:小林千晃、諏訪部順一、藤原夏海、園崎未恵   「モブサイコ100」のスタッフが再結集 5.「デカダンス」 (C)DECA-DENCE PROJECT 7 月8日より放送 TOKYO MXにて 水曜日 25:05~   TVアニメ「デカダンス」の見どころ 遥か未来、未知の生命体《ガドル》と戦う《ギア》と、彼らに守られる《タンカー》に二分された人類。ギアに憧れるタンカーの少女・ナツメはある日、自分たちが暮らす巨大移動要塞《デカダンス》の装甲修理人・カブラギと出会う。 海外でも注目のクリエイター陣が結集し、圧倒的なスケールで描かれる衝撃のSFアクション。   ■放送期間:1クール ■原作:DECA-DENCE PROJECT ■制作スタジオ:NUT ■監督:立川 譲  ■構成・脚本:瀬古浩司 ■キャラクターデザイン・総作画監督:栗田新一 ■声の出演:小西克幸、楠木ともり、喜多村英梨       いかがでしたか? 気になる新番組はありましたか? 引き続き、後半にてご紹介するオススメ作品もチェックしてみてください。【後半へ】   制作=キネマ旬報社  
  •   毎月リリースされる未公開、単館系作品の中から、「観たら必ず誰かに教えたくなる」作品を厳選してご紹介。劇場で見逃した作品や隠れた名作が多く並ぶレンタル店だからこそ出会える良作、小規模公開でありながら傑作といった、様々な掘り出し映画との出会いを映画専門家レビューと共に提供します!   凸凹最強バディが大暴れ! 映画『マイ・スパイ』 アット エンタテインメントより6月19日リリース (C) 2019 STX FINANCING, LLC ALL RIGHTS RESERVED 映画『マイ・スパイ』あらすじ CIAエージェントのJJはある作戦の無謀な行動が問題になり、経験の浅い同僚と地味な監視任務につくことに。しかし監視対象の9歳の娘に見破られ、内緒にする代わりに彼女から様々な無理難題を頼まれることになる。   映画『マイ・スパイ』映画専門家レビュー 隠密行動が苦手で、何かと腕にものを言わせる武闘派エージェントのJJと、監視対象の9歳の娘で、友達付き合いに悩むソフィの、見た目も性格も凸凹なふたりのバディ感が一番の見どころ。対照的な少女を配したことで、いかついデイヴ・バウティスタが可愛く見えるキャスティングの妙。お互いを補完し合う関係がそれぞれの問題を解きほぐしながら、アクションもしっかりキメる。だいぶズレてる同僚や、普通にしてるのに何故か笑える上司など、周りを固めるキャラも立った、鉄板のバディアクションです。     無敵のドニーが悪ガキを導く! 映画『スーパーティーチャー 熱血格闘』 バップより6月24日リリース (C)2018 MEGA-VISION PROJECT WORKSHOP LIMITED. ALL RIGHTS RESERVED. 映画『スーパーティーチャー 熱血格闘』あらすじ 学園の問題児が集まるクラスの担任になった、アメリカ帰りの新任教師のチャン。中でも特に問題を起こす5人に対し、チャンは自らの経験と腕っぷし、そして真剣な想いで向き合い、次第に彼らの問題を解決していくが……。   映画『スーパーティーチャー 熱血格闘』映画専門家レビュー 雲ひとつない空のような明るさと包容力で、問題児たちに向き合うドニー・イェンの教師像に感激、感涙。嫌みのないスマートかつ実利のある生徒たちへの指導に、真剣にこんな教師がいてくれたらと思う。しかも中盤までアクション控えめ。なのに面白く、泣かせるという憎い演出。満を持してのアクションは激しく、スカッと爽快。悪い奴らをことごとく成敗する。頼りがいもあり、頭も切れ、しかも無敵の強さ。56歳ってマジ!? と思う奇跡の存在、ドニー兄貴の新たな当たり役と言っても過言ではありません!     命懸けの帰省、運命の再会 映画『プライス 戦慄の報酬』 ハーク/ミッドシップより6月24日リリース (C)Firefly Films  映画『プライス 戦慄の報酬』あらすじ 都会でアーティストとして活躍していたノーヴァルのもとに、5歳の時から疎遠になっていた父親からの手紙が届く。期待を膨らませ、父の暮らす海辺の家へと向かったが、再会した父は横暴で言動も不可解な男だった……。   映画『プライス 戦慄の報酬』映画専門家レビュー 父さん、あなたは誰ですか? のコピーがよく似合う、理解しようとしてもことごとく妨げられる、なんか変な道に迷っちゃった! なカテゴライズ不可能な珍品。 宇宙人アコム君そっくりなヘアカットのイライジャ・ウッド(首元のタトゥーにもご注目)が、支離滅裂な父に振り回され、窮地にハマっていく様がお気の毒すぎて病みつきに。中盤、おぞましい展開を迎えると、またまた異次元で始まる暴力の第2章には目を覆いたくなるが、「60年代のUFOみたい」と息子が褒める親父の家は抜群にセンスが良い。       笑って泣けるメタル・ムービー 映画『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』 キングレコードより7月1日リリース (C)Making Movies, Filmcamp, Umed ia, Mutant Koala Pictures 2018 映画『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』あらすじ 幼馴染みとメタル・バンドを組む青年トゥロ。ひょんなことから名曲が完成、さらにノルウェーのメタル・フェス主催者と遭遇して舞い上がるトゥロとメンバーだったが、思わぬ出来事が続いてメタルへの情熱を失くしてしまう。   映画『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』映画専門家レビュー フィンランドの田舎に暮らすヘビメタ・バンドが、フェス参加を目指して隣国ノルウェーへ。田舎でメタルを極めても浮くだけという主人公たちの切なさ漂うおかしみにクスッとさせられていたのも束の間、同じ夢を追っていたメンバーの死、彼の想いを叶える目的もはらんだフェス参加、波乱万丈の国境越えと、意外にも熱いノリへ突入。それでいて、しっかり笑いどころを外さないあたりには唸ってしまいます。北欧=ホンワカみたいなイメージを覆す、メタル好きもそうでない者も泣き笑い必至の快作です!     観始めたら止まらない怒涛作! 映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』 ギャガより7月3日リリース (C)(2019) TRÉSOR FILMS ‒ FRANCE 2 CINÉMA - MARS FILMS- WILD BUNCH ‒ LES PRODUCTIONS DU TRÉSOR - ARTÉMIS PRODUCTIONS 映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』あらすじ ベストセラー3部作の完結編を全世界一斉発売すべく、各国版翻訳者9人が密室で翻訳することに。原稿の持ち出しが不可能な徹底した警備システムの中で翻訳が進むが、出版社の社長に原稿流出の脅迫メールが届く。   映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』映画専門家レビュー ヒット小説シリーズの最新刊原稿が翻訳中に流出! 犯人は? その目的は? 各国版翻訳者が幽閉状態で作業する密室が主な舞台ゆえに密室劇かと思いきや、時制も空間も目まぐるしく動き回るまさかの展開。翻訳者たちはクセありワケあり、彼らが乗り回すスケボーやハメている腕ギブスといった“小道具”もいわくありげで、目は皿状態の心臓はバクバク。そして明かされる原稿流出テクニックと犯人の正体は、絶対予測不可能で呆然とするのみ。文学が商業主義に迎合していいのかという秘めたテーマも響く!   幼き日の忘れかけた小宇宙 映画『幸福路のチー』 竹書房、フロンティアワークス/竹書房より7月3日リリース (C) Happiness Road Productions Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED. 映画『幸福路のチー』あらすじ アメリカで暮らすチーのもとに台湾の祖母が亡くなったと連絡が届く。久しぶりに帰ってきたチーは、すっかり姿を変えた自身の故郷・台北郊外の幸福路に迎え入れられ、旧友との再会を通して幼き日の記憶を辿り始める。   映画『幸福路のチー』映画専門家レビュー 30歳。貴方がこの年齢を過ぎる頃にぜひ観て欲しい1作。そしてこれは後世に残るアニメ作品だ。幼き日、祖母のやや常人離れしたポジティブさに助けられた少女の心情や、何故か見てはいけないと感じて目を背けた人々の脆さや心の傷までもが、台湾の現代史を背景に滲ませながら普遍的な物語として描かれている。『ガッチャマン』を子供たちが口ずさんだ時代を空想的な情景で魅せる、宝物のような幼き日の小宇宙。「何を信じるかで、自分の人生は決まる。」祖母の言葉が、私たちの背中を押してくれる。   ■前回の誰シネはこちらから
  • 6月26日(金)より公開されるシルヴェスター・スタローン主演最新作「ランボー ラスト・ブラッド」の連続企画。第5回となる最終回は、ランボーの世界を掘り下げるエッセイその3。 ※第4回の記事はこちらから。 80年代に大ヒットシリーズとなり、 年代の長い沈黙を経て、 世紀に再び動き出したランボー。 それぞれの作品は、アメリカが当時繰り広げていた戦争とどのような関係にあったのか? 時代によって生み出され、翻弄されるヒーローの姿が見えてくる。  アメリカが戦争してない時代の映画  映画「ランボー / 怒りの脱出」 「アメリカの戦争とランボー」というのが今日あたえられた「お題」ですが、実はこれ、意外に面倒くさい――なんて言ったら叱られますけれど、「ランボー」シリーズの最初の三部作は、実はアメリカ合衆国が戦争をやってない時代の映画なんですね。 第二次世界大戦後のアメリカは一貫して海外で戦争をやってきました。大戦が40年代半ばに終結し、50年代は朝鮮戦争、60年代から70年代はヴェトナム戦争。そして90年代は旧ユーゴ紛争とソマリア介入など「グローバル世界の警察官」としての戦争。ところが80年代だけはぽっかり穴が空いている。そしてこの時期に「ランボー」の最初の 3作は製作されているわけです。  念のために映画を振り返っておきましょう。 まず第1作の「ランボー」。ヴェトナム戦争でトラウマを背負い、故国での白眼視に耐えかねた若者が暴れるという“帰還兵残酷物語”です。いま見ると描写ではなく科白ですべて説明していて、 あの時代を知らなければわかりやすくて教訓的な映画に見えるだろうなあと思える仕上がりです。 スタローンも素朴で野暮ったくて、「狼よさらば」 (72)のチャールズ・ブロンソンなんかよりずっと未熟な、可哀想な若者に見える。そういえば当時のアメリカでの映画評に「まるで悩めるボーイスカウトのようだ」というのがあったのを覚えています。 次が「ランボー/怒りの脱出」。これがいわゆる「筋骨隆々」のランボー像を確立した作品で、実際、映画の大半を半裸で過ごします。ヴェトナム軍の描き方は相変わらずの「顔のないオリエンタル」ですが、ランボー本人の見た目だけはぐっと洗練されてもいる。でも考えてみるとランボーは特殊部隊員でしょ? ジャングル戦の兵隊は余計な傷を防いでちゃんと装備してるものなんだけど、なぜかランボーはずっと裸なんですよね。  で、その次が「ランボー3/怒りのアフガン」。 アフガンのムジャヒディーン(聖戦士)を助けてソ連軍と戦う話。後年、「9・11」テロ後に「ビンラディンはランボーが育てた」というジョークが飛び交ったのはこの映画の“遺産”ですね。またここでもランボーは前作以上に裸のまま。 ここまでが初期の三部作で、これで「ランボー」シリーズは事実上完結しました。 その次の4作目「ランボー/最後の戦場」になると年の空白がある上に、ジョン・ランボー「心の父」トラウトマン大佐が出てこない。大佐役のリチャード・クレンナが亡くなっちゃったから仕方ないんですが、これはランボーの生涯に とってまさに宿命的な変化ですよね。 しかもその間にアメリカの戦争は大きく変化し、 ランボーにも戦う動機がなくなってゆく。もともと彼は「戦いたくないのに戦わざるを得なくなった男」ですから、明確な動機や根拠がないまま偶然のきっかけで暴れるのは苦しい。ですから4作目以降 の「ランボー」はどうしても不明瞭になってしまう。 というわけなので、最初の三作と、「最後の戦場」や今回日本公開される「ランボー ラスト・ブ ラッド」の二作はやはり分けたほうがいい。そこ で最初の三部作を本体、あとの二作をスピンオフの一種と見て「お題」を考えてみたいと思います。 レーガン政権の下で 映画「ランボー / 怒りの脱出」 まず、先にも触れたように「ランボー」三部作は「アメリカが戦争してない時代」の産物。それが80年代のレーガン政権時代です。 レーガンは80年の大統領選を現職のジミー・カーターと戦って勝利し、81年に就任、88年まで二期連続で大統領職にありました。ヴェトナム戦争の時代以後、初めて「二期連続」を達成した大統領がレーガンです。 それまでは、暗殺されたケネディをはじめ、ヴェトナム戦争半ばで引責したジョンソン、 ウォーターゲート事件で失脚したニクソン、その副大統領だったフォード、そして一期で敗れたカーターと五人の大統領が志半ばで退(ひ)いています。 レーガンはまずこの点で「ヴェトナム敗戦からの復活」を象徴すると見なされた存在なんですね。 ついでに言うと彼は自分に向けて暗殺者の兇弾が直接発射された歴史上の五人の大統領(リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディ、レー ガン)のなかで、唯一生き延びた人物でもあります。 これは81年3月、就任式から2カ月後のことで、 当初のレーガンは支持率の高い大統領ではなく、リベラル派からは総スカン、中間層も不安に見ていた。ところがこの事件が起こり、しかも跳弾を胸に受けて担ぎ込まれた病院では執刀医たちにむかって 「君たちが共和党員であることを願うよ」 なんてジョークをとばしたというので国民は大喝采。これで一気に支持率が上がり、政策への支持率は低いのに大統領の支持率は高いという、傷をつけても傷つかない「テフロン大統領」になった。 その後は「スター・ウォーズ計画」やら「悪の枢軸」発言やら強気の冷戦外交やらと、軍事主義一 点張りで「強いアメリカ」を演出していく。そして「ランボー」三部作はこの時代にぴったり寄り添ようにシリーズ化されたわけですね。 実際、レーガンはホワイトハウスで「怒りの脱出」を上映させて何回も好意的に言及しているし、左派の雑誌がふたりを重ねて「ロンボー」(R o n b o )なんていうパロディのキャラクターを描いたりしている。そのへんを含めて、三部作時代のランボーはいかにも80年代らしい社会機運の産物でした。  80年代の実際と文化のズレ  映画「ランボー3/ 怒りのアフガン」 ここで80年代という時代の文化的な「ズレ」に ついて一言つけくわえておきます。 さっきも言ったように80年代は、戦争してないのに軍事的な気分だけは盛り上がった時代だった。 ただ、レーガン政権はまったく軍事行動をしなかったわけではなく、83年にはグレナダ侵攻という重大な軍事行動がありました。 これはヴェトナム戦争後初めてアメリカ正規軍が大規模なキャンペーン(会戦)を実施した例で、 ヴェトナム敗戦のショックから立ち直り、91年の湾岸戦争で多国籍軍を率いた大作戦へと至る途上の重要な一歩となった作戦です。 ただこの出来事は厳重な報道管制が敷かれて、いまでも詳細がほとんどわかりません。だから映画で英雄的に描かれることもない。唯一イーストウッドが「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」(86) でとぼけた話に仕立てていますが、この映画の現実味は少々割り引いておいたほうがいいでしょう。 その一方、レーガン政権下ではイラン・コントラ事件のような不明朗な軍事作戦もおこなわれていて、この時代の闇をうかがわせます。 非正規戦の苦手なアメリカ軍のエリート将校にこういう武器商人まがいの任務を与えるのは、いかにヴェトナム戦争症候群に縛られていたとはいえ、ポスト近代の二重規範的なズレのなかに陥り始めていたことを暗に物語っている。 レーガンは第二次大戦前後の強かったアメリカへのノスタルジーを象徴した存在で、そのイメー ジはあくまで願望の幻影でした。すなわち、ハリウッドの銀幕で人々が夢見たものは幻想に過ぎなかったとわかっている、でもそれを認めたくない、という70年代以降の大衆の内向き気分。これを慰撫するレトリカルな効果を発揮したのが、父親的なレーガンのイメージだったわけです。 UCバークレーの名物政治学者だったマイケル・ローギンが『Ronald Reagan The Movie (映画としてのロナルド・レーガン)』という本でこのへんのことを論じてますが、父権的なレーガン像はトラウトマン大佐のイメージにも重なります。つまりランボーは父親としてのレーガンに守られていたからこそ、80年代にあれだけ大暴れすることができたとも言えるわけです。 ヴェトナム戦争映画で描かれなかったもの もっともこれに対して、 80年代のアメリカはヴェトナム戦争映画がリアルで不条理な戦争を描 いた最盛期だったじゃないかという反論があるかもしれません。確かに当時は「プラトーン」(86)、「ハンバーガー・ヒル(87)」、「フルメタル・ジャケット」( 88)その他が目白押しですね。でも戦場だけに限らず、アメリカ社会をも覆いつつあった正体不明の暴力性、という点に注目したらどうでしょう。 こういう暴力性は60年代末から70年代に噴出し、いったん伏流化したあと、90年代に尖鋭化した人種対立を経て今日につながります。で、こういう正体不明の狂気をヴェトナム帰還兵に象徴させた映画は70年代に続々とつくられたんですね。たとえば 「ハイジャック(72)」のジェイムズ・ブローリン、「タク シードライバー」(76)のロバート・デ・ニーロ「ローリング・サンダー」(77)のウィリアム・デュヴェイン、「帰郷」(78)のブルース・ダーン......。いまでは「タクシードライバー」ぐらいしか想起されませんけど、 あの時代の「ヴェトナム帰還兵」は実に集合的に形成された陰惨なイメージだった。そしてその暴力性から正体不明の気味悪さを取り除いて、気の毒な暴力青年に変換したのが第1作の「ランボー」だった。 実際、 80年代のヴェトナム戦場映画は、いかに不条理であろうと映画館の外の空間と地続きだったとはいえない。だって 年代のアメリカは―― もう一度繰り返します――戦争してないんですよ。 そういえば80年代はスタローンと同世代のシュワルツェネッガーが登場してまさに「ハードボディ」時代の象徴になりましたが、ふたりを比べてみると両者の筋肉は「見せるため」という点で共通する一方、「魅せる相手」は対照的です。つまりスタローンというかランボーの裸体には、どことなくミソジニー(女嫌い)の気配がある。現在のスタローンのヒット作が「エスクペンダブルズ」シリーズという、おっさんだけの集団物語であることは、なんだか象徴的な気がしますね。 不在の90年代、そして「対テロ戦争」のなかで じゃあその後のアメリカはどうなったか。 まず90年代は、湾岸戦争に始まって正規軍が 「国連軍」の名で「平和維持」にいそしむ時代になりました。その間に特殊作戦任務も進化して、グリーンベレーのほかにもデルタフォース、ネイヴィーシールズ、さらに各軍に特殊作戦コマンド が設けられます。が、それ以上に「ランボー」の 空白に影響を与えたのは 年にアメリカとヴェト ナムが国交正常化して、「怒りの脱出」で描いた ような恨みつらみが一掃されたことでしょう。 帰還兵の世代も一気に老けたように丸くなって、 昔の戦友どうしでヴェトナム旅行に出かけたりな んていうのが流行った時期でもありました。 そして21世紀。「9・11」同時テロで幕を開けた今世紀は、かつてのゲリラ戦とは似て非なる「対テロ戦争」の時代です。ここには明確な「戦場」はありません。だってテロは社会の心理に攻撃を加え、恐怖で相手を弱らせる戦術ですから。  それは「大義がない」というヴェトナム帰還兵 たちの嘆きとも異なる、恐怖とトラウマがぐるぐる循環する時代です。「ウロボロス」というのは二匹の蛇がお互いの尻尾を飲み込んでつながっている神話上の化け物ですが、いわばそんな感じ。「ハートロッカー」(08)、「アメリカン・スナイパー」(14)、「ドローン・オブ・ウォー」(15)、どれもまさにその出口のなさを描いているわけでしょう?  さて、そう考えると今回の「ラスト・ブラッ ド」が、かつてのランボー映画とは違う地平にあることが改めて実感されます。ランボーはずっとトラウマや正義と裏切りの相克に苦しんだ男だけど、彼にカタルシスが訪れる日は来るのか。そして行く手を見失って呆然とする我々の時代はどこに行くのか――。そう考えると、あれ、意外に重い映画なのかもしれませんよ。  【「ランボー ラスト・ブラッド」への道 全5回】 ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道① シルヴェスター・スタローン主演・脚本インタビュー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道② 名台詞とともに振り返る 「ランボー」シリーズのこれまで はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道③ キリスト受難劇としてのランボー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道④「西部劇」としてのランボー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道⑤アメリカの戦争とランボー はこちらから   映画「ランボー ラスト・ブラッド」 Rambo: Last Blood 2019年・アメリカ・1時間41分 監督:エイドリアン・グランバーグ 脚本:マシュー・シラルニック、シルヴェスター・スタローン 撮影:ブレンダン・ガルヴィン 音楽:ブライアン・タイラ ー 出演:シルヴェスター・スタローン 、パス・ヴェガ、セルヒオ・ペリス=メンチェータ、アドリアナ・バラーサ、イヴェット・モンレアル、オスカル・ハエナダ 配給:ギャガ ◎6月26日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて ©2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC. ©︎1982,1985,1988 STUDIOCANAL   文・生井英考 いくい・えいこう/アメリカ文化学者。立教大学教授。著書に『ジングル・クルーズにうってつけの日 ヴェトナム戦争の文化とイメージ』『負けた戦争の記憶 歴史のなかのヴェトナム戦争』など。 
  • 6月26日(金)より公開されるシルヴェスター・スタローン主演最新作「ランボー ラスト・ブラッド」の連続企画。第4回は、ランボーの世界を掘り下げるエッセイその2をお届け。 ※第3回の記事はこちらから。 新作「ラスト・ブラッド」では馬に跨り、あまつさえカウボーイハットすら被ってみせるランボー。だが、それは決して驚くべきことではない。なぜなら、ランボーはもともと「西部劇」だったのだ! シリーズの基盤、西部劇の記憶 シルヴェスター・スタローンは、「ランボー」シリーズの前作となる「最後の戦場」公開時の記者会見で、さらなる続篇への意欲を見せ、「西部劇として作りたい」と述べていた。今回出来上がった最新作「ラスト・ブラッド」を見ると、主人公ランボー が農場で野生の馬を馴らす仕事をしているという設定だけでなく、拉致された知人を救いにゆくという展開、かつメキシコが舞台と、なるほど西部劇というのも納得できる仕上がりになっている。と同時に、さかのぼってそれ以前のシリーズ作もまた根本的には西部劇ではなかったのか、と思えてくる。この新作は、「ランボー」シリーズがその底流に潜在させていた西部劇を照射してくれるのだ。  第1作「ランボー」は、ヴェトナム戦争の英雄が、 母国の田舎町でよそ者を敵視する保安官にいわれなき迫害を受け、逆襲、彼らに壊滅的な被害を与えるという内容だ。ヴェトナム帰還兵が、正義なき戦いで心の傷を負ったうえ、帰還してみれば自分たちの戦争が汚辱にまみれたものと規定されるという二重の苦しみを味わわなければならなかった不条理を、直接的ではなく象徴的に、それゆえ普遍的な形に昇華して描いた秀作(マーティン・スコ セッシ「タクシードライバー」、マイケル・チミノ「ディア・ハンター」など)は既に70年代に撮られており、遅れてきた「ランボー」は、これらの秀作と比較されてかえって損をしていた可能性がある。 ヴェトナムものという枠組みを外して見れば、西部劇に直につながる紐帯も見えやすくなってくる。  「流血の谷」と「モヒカン族の最後」 実は「ランボー」には、これがリメイク元では ないかと思われる西部劇がある。アンソニー・マンの「流血の谷」(50)だ。白人とインディアンの混血である主人公(ロバート・テイラー)が南北戦争に従軍、勲功を挙げて故郷に帰るが、人種差別的な住人によって迫害され、土地も奪われ、裁判まで起こすが白人側の勝利に終わり、ついに立ち上がる、というもの。主人公が戦争の大義を信じ、そのために戦ってきたという点だけは違っているものの、話はほとんど同じ、しかもランボーは、第2作「怒りの脱出」で明かされるところによるとインディアンとドイツ人の混血であり、「流血の谷」の主人公と出自も似ている。 白人の血が混じったインディアンといえば「モヒカン族の最後」という何度も映画化された有名 作があり、直近ではマイケル・マン監督「ラスト・オブ・モヒカン」(92)としてリメイクされているが、ダニエル・デイ=ルイスが長髪をなびかせ、弓矢を引く姿が印象に残る。この造形は弓矢を武器として好んで使用する第2作以降のランボーに極めて似ており、ランボーの西部劇への逆輸入を思わせる。これはランボーが西部劇的な土壌に親近性があることのひとつの証しになりはしないか。ランボーは、西部劇におけるインディアン、白人に迫害されて反逆するインディアンの系譜につながる存在なのだ。  ジョン・フォードの記憶 2作以降、第3作「怒りのアフガン」、第4作「最後の戦場」、そして最新作に至るまで、基本的には拉致された存在をランボーが奪還にゆくというストーリー形式をとる。 西部劇には、インディアンに囚われた捕虜の救助作戦を描く作品群があり、最も有名なものとしてはジョン・フォード「捜索者」(56) 、「馬上の二人」(61)が挙げられよう。ただし、これらの作品では必ずしも助けることが正義とばかりも言えない倫理的暗さがまといついている。「ランボー」シリーズ第2作以降にそうした暗さは見当たらないが、拉致された者の救出という枠組みは、西部劇の型を踏襲していると見てよいだろう。  また第2作でランボーは自分たちをヴェトナムでは使い捨ての兵士=消耗品に過ぎなかったと述べているが、これはやはりジョン・フォードの「コレヒドール戦記」、( 原題 「彼らは消耗品だった」)を思わせる。さらに「最後の戦場」でランボーは、正義感の強い女性にいわばほだされて 彼女の仲間を救いにゆくが、その結構はヘン リー・ハサウェイ「勇気ある追跡」(69)とコーエ ン兄弟によるそのリメイク「トゥルー・グリッ ト」(10)を連想させる。「勇気ある追跡」はフォードの常連俳優ジョン・ウェインの晩年の代表作だ。偉大な「西部劇作家」ジョン・フォードは、アメリカにおいて西部劇なるものの紋切り型として受け取られているきらいがあるが、それだけに観客の無意識にまで浸透しているともいえる。フォードの記憶は「ランボー」シリーズにも流れ込んでいる。  「許されざる者」  さて 、 最新作「ラスト・ブラッド」ではランボーはメキシコの人身売買組織に捕らわれた友人の娘を救いに行く。前作のラストで故郷アリゾナの、父が営む農場に帰った彼だが、その父もすでに墓に入っている。ランボー自身の顔にも風雨や年月に晒されて深い皺が刻まれている。実際、彼はもはや昔のような超人ではない。本作ではランボーが組織の連中に人事不省になるまで痛めつけられる場面があるが、こんなランボーは今まで見たことがない。ランボーも老いたのだ。 老いた存在が主人公の西部劇と言えば「許されざる者」(92)を思い起こさないわけにはいくまい。 本作のこれまで述べてきた特徴は実はすべて「許されざる者」に存在する。大木の根元、残照に陰る墓。最後の一仕事に出る老体。痛めつけられ、 死の間際までいった主人公の逆襲。「許されざる者」が、老いのアクションの基準となったことは 十分考えうることだ。 西部劇はアメリカ映画にとっての無意識である。 銃による正義の行使を描こうとする時、アメリカ映画であれば、それは必ず西部劇という土壌を通過しないわけにはいかない。ここに挙げた西部劇を「ランボー」シリーズが参照したとまでは言えないにしても、作る側も見る側も、無意識に蓄えられた西部劇の記憶をまさぐりながら作り、見ているのである。現在という時点に露呈する映画作品が、いかに過去との交渉の中に生きているか、その一つの証左がここにある。  【「ランボー ラスト・ブラッド」への道 全5回】 ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道① シルヴェスター・スタローン主演・脚本インタビュー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道② 名台詞とともに振り返る 「ランボー」シリーズのこれまで はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道③ キリスト受難劇としてのランボー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道④「西部劇」としてのランボー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道⑤アメリカの戦争とランボー はこちらから 映画「ランボー ラスト・ブラッド」 Rambo: Last Blood 2019年・アメリカ・1時間41分 監督:エイドリアン・グランバーグ 脚本:マシュー・シラルニック、シルヴェスター・スタローン 撮影:ブレンダン・ガルヴィン 音楽:ブライアン・タイラ ー 出演:シルヴェスター・スタローン 、パス・ヴェガ、セルヒオ・ペリス=メンチェータ、アドリアナ・バラーサ、イヴェット・モンレアル、オスカル・ハエナダ 配給:ギャガ ◎6月26日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて ©2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC. 文・吉田広明 よしだ・ひろあき 映画文筆。著書に『B級ノワール論 ハリウッド転換期の巨匠 たち』『亡命者たちのハリウッド 歴史と映画史の結節点』がある。
  • 6月26日(金)より公開されるシルヴェスター・スタローン主演最新作「ランボー ラスト・ブラッド」の連続企画。第3回からは、ランボーの世界を掘り下げるエッセイをお届けしていこう。 ※第2回の記事はこちらから。 なぜランボーはいつも敵に痛めつけられるのか? なぜその身体は傷だらけなのか? シリーズを通して幾度も描かれる肉体的苦難=受難(パッション)の迫力のなかにこそ、俳優スタローンの真髄があった! 強調される肉体的苦難  カトリック系宗教新聞による2007年のインタビューのなかで、スタローンは「ランボー/最後の戦場」を「キリスト教的な映画(Christian movie)」だと述べている【脚注】。また、この記事は、 彼が幼少時からカトリック教育を受けたこと、 80年代は成功にかまけて教会から遠ざかっていたが、 90年代後半、病気を抱えて生まれてきた娘の存在がきっかけで、ふたたび信仰を重んじるようになったという事実を伝えている  さて、では「キリスト教的」とは、どのような意味だろう。「最後の戦場」は、コロラド州からやってきた牧師たちをランボーがミャンマーで手助けする話だ。あらゆる「信仰」を失った主人公が、血みどろの戦場で、魂の救済のためのかすかなチャンスを摑むことができるかいなかが問われる。だから物語に「キリスト教的」なところがあるとひとまず言える。だがもちろんそれだけではない。ここでもまた濃密に繰り返されているランボーの苦行──あざけられ、ののしられ、嗤われ、瀕死の傷を負うその様子が──ヴィジュアルにおいて、はっきりとキリストの「受難=パッション」を反復している。スタローンはそのことをも自覚して「キリスト教的」と述べたのではないか。  たとえば、「ランボー/怒りの脱出」を見返してみよう。敵軍の捕虜となり、鎖で縛られたままヒルたちの巣食う泥沼に肩までとっぷりと浸かった主人公が、ずるずるとチェーンで引き上げられてゆく。すると私たち観客が目撃するのは、磔刑図そのままに、両腕を広げ足をだらりと垂らすその全身図であった。次の場面、加虐趣味が人相にはっきりと浮き出たソ連軍人たちにランボーが高圧電流を流されると、当時体脂肪率が5%を切っていたというその引き締まった肉体はさらに怒張し、筋線維の一本一本までが裸電球に照らされて浮き上がる。この衝撃的な光景は、殉教の苦悶を誇張して描いたバロック絵画さながらの力で観客を怯えさせずにいない。  「ランボー3/怒りのアフガン」では、冒頭の地下闘技場場面を経て、大工姿でトンカチを操る姿を 披露するランボーがいる。仏教寺院の上とはいえ、 キリストと同じ仕事に手を染めていることが偶然とは思えない。闘いに身を投じると、やはり肉体的苦難こそが過剰なまでに強調される。洞窟で独り、自分の脇腹── 十字架のキリストが 槍で刺し貫かれたのと左右違いで はあるが同じ箇所──に突き刺さった木片を、傷口の反対側から親指を突っ込んで押し出し、つぎに弾倉の火薬を注ぎ、着火して消毒、苦悶に耐えかね「ハウ アッ!」と絶叫するまでの姿が、 えんえんと、物語展開だけを考えればどう考えても不要な長さで描かれる。見誤るべくもないだろう。「ランボー」シリーズは、アメリカの大義の犠牲となって見捨てられた戦士の姿を、キリスト受難劇に重ねて描こうとする作品群なのだ。  ”受難劇俳優” スタローン  無論、アクション映画を「受難」の意匠とともに物語ることは、スタローンの専売特許ではない。木谷佳 楠の『アメリカ映画とキリスト教──120年の関係史』(キリスト新聞社、2016年)に詳しいが、 そもそもハリウッド商業映画は、アメリカ国民に反感なく受け入れられるために、自ら進んでキリスト教的な要素を積極的に取り入れてきた歴史を持つ。 1970年代のキリスト・リヴァイヴァル(ヒッピーのような長髪の反逆児として描かれることで、キリスト人気が再燃した)、1980年代のレーガン政権下における保守的宗教観の復権等々といった情勢を、 本シリーズの作り手たちは当然、意識していただろう。  だが、そうした文脈を踏まえてもなお、スタローンが自作自演する受難の光景には、異様としか言いようがないみなぎ かいいようのない迫力が漲る。それはなぜか。  俳優スタローンの魅力の核心部分と、それはかかわっている。モノマネのときによく誇張される あのだらりと垂れ下がった唇と舌っ足らずのしゃべりかたは、わざとそう演じているのではなく、 出生時に負った神経の傷の後遺症なのだそうだ。 イタリア系であることに加え、唇の麻痺による特 徴的な話し方が悪ガキどもにマークされ、スタローンはニューヨークの少年時代に過酷ないじめに遭った。悪夢としてずっとフラッシュバックし つづけるほどの体験だったそうだ。  忘れようとしても忘れられないもの。やむにやまれぬもの。意図に反して漏れ出てしまうもの。 芝居で意図的に表現するのが本来不可能であるは ずのこうした何かを、スタローンは、だらりと垂 れ下がった唇という自らのスティグマをあえて強調しながら、スクリーンに顕現させる。余人を持って代え難い資質というほかはない。  最新作の「ランボー ラスト・ブラッド」もまた、 忘れようとしても忘れられない過去の傷が再燃する物語を描く。そしてランボーは暴力の渦巻く場 所へと吸い寄せられてゆく。老いを加えたその肉体が、暴力描写に一層の凄みを与えている。いっ たいスタローン以上の“受難劇俳優”がかつて映 画史に存在しただろうか。あの「裁かるゝジャンヌ」(1928年)のファルコネッティ以外についぞ思いつきはしないのだった。  【脚注】 “Rambo IV “is also a Christian film,” Sylvester Stallone confirms, ” Catholic News Agency, Mar 1 2007, (https://www.catholicnewsagency.com/ news/rambo_iv_is_also_a_christian_film_sylvester_ stallone_confirms).  【「ランボー ラスト・ブラッド」への道 全5回】 ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道① シルヴェスター・スタローン主演・脚本インタビュー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道② 名台詞とともに振り返る 「ランボー」シリーズのこれまで はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道③ キリスト受難劇としてのランボー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道④「西部劇」としてのランボー はこちらから ・「ランボー ラスト・ブラッド」への道⑤アメリカの戦争とランボー はこちらから 映画「ランボー ラスト・ブラッド」 Rambo: Last Blood 2019年・アメリカ・1時間41分 監督:エイドリアン・グランバーグ 脚本:マシュー・シラルニック、シルヴェスター・スタローン 撮影:ブレンダン・ガルヴィン 音楽:ブライアン・タイラ ー 出演:シルヴェスター・スタローン 、パス・ヴェガ、セルヒオ・ペリス=メンチェータ、アドリアナ・バラーサ、イヴェット・モンレアル、オスカル・ハエナダ 配給:ギャガ ◎6月26日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて ©2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC.