追悼、映画俳優 梅宮辰夫 わが昭和のスター

追悼、映画俳優 梅宮辰夫   わが昭和のスター
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まるで眠っているかのような、
きれいな顔だった。

内藤誠監督が共同脚本を務めた「血染の代紋」(70年、深作欣二監督) ©東映 1970

 

梅宮辰夫は「昭和のスター」という存在を格別なものと思い、東映東京撮影所で身近にいた鶴田浩二高倉健菅原文太らへの哀惜の情をしきりと口にした。
だから旧年12月12日、梅宮辰夫逝去の報がテレビで流れ、その直後に『デイリースポーツ』に始まり、『毎日新聞』『日経新聞』『朝日新聞』『フライデー』『アサヒ芸能』『映画芸術』などと、追悼のことばを語るようにとの電話が次々にわが家にかかってくると、やはり梅宮辰夫は昭和のスターだったとの思いをあらたにした。
翌13日、東武伊勢崎線の五反野駅にある「統美」という建物に来るようにとマネージャー氏が教えてくれた。しかも、その場所を誰にも教えてはいけないというので、仕事の関係でよく会っている東映出身の瀬戸恒雄プロデューサーに対しても、口外無用との約束を守った。小菅駅のひとつ先にある五反野は初めて行くところだったので、梅宮の早稲田高校の後輩で、彼が出演してくれた「明日泣く」(11年)の脚本と監督補佐をして、面識のある長男の研が同行することを許してもらった。
ひと気のないビルの一室で、梅宮は布団の上でひとり横になっていた。まるで眠っているかのようで、声をかけたら、目をさましそうな、きれいな顔だった。
1959年、小林恒夫監督、高倉健主演の「高度7000米 恐怖の四時間」で初めて梅宮辰夫と一緒に仕事をした。新入社員の私はカチンコを打ちながら駆け回っていたが、ニューフェイスの彼は中原ひとみを相手に車のセールスを競う恋人役で、甘いマスクを活かした現代青年を演じ、期待の新人だった。

1968年、1期先輩の野田幸男が「不良番長」でデビューすることになり、私はチーフ助監督を務めた。私と同期の松本功と山本英明の脚本で、脚本(ホン)直しから付き合い、徹夜の撮影もあって、きつかったけれど、番長梅宮を取り巻く俳優たちも若く、現場は楽しかった。
作品はシリアスな出来栄えで、梅宮の新生面が評価されてシリーズ化(68〜72年)。翌69年、4作目の「不良番長 送り狼」で私はデビューすることになった。『キネマ旬報』の野村正昭インタビュー(『デビュー作の風景』DU BOOKSに収録)によれば、「せっかく一所懸命にオリジナルを書いたのに俺の脚本は通らないのかと、一寸ガッカリしたね」と私は語っていて、京都から山城新伍を呼んでもらい、コメディ・タッチでいくしかないと腹をくくった。梅宮と山城はやがて「兄弟」と呼び合うようになり、拙作「帝王」シリーズ(70〜72年)でコンビを組んだ。

「辰ちゃん、一緒にカンヌへ行こう」

1980年、私が初めて東映を離れて荒戸源次郎製作のシネマプラセットで「時の娘」を監督したときにも梅宮加賀まりこと共に協力してくれた。
旧年暮れ、その主演女優の真喜志きさ子さんが沖縄から土産を手に訪ねてきてくれた。40年ぶり再会の長話のなかで、当然、梅宮の思い出を語ることになった。
あのとき梅宮は、撮影のため鎌倉で合宿中、荒戸源次郎主宰の天象儀館の女優さんたちが料理している場に顔を出して、細かく手伝っていた。はたで見ていた私も、いい光景だと思い、梅宮が料理しているショットをアドリブで撮って、映画に挿入したものだ。
いまでは琉球信仰史研究所と琉球口遊会を主宰している真喜志さんは、すでに私が持っていた『琉球天女考』(沖縄タイムス社)にサインして、近刊の『母の問わず語り 辻遊廓(ハナヌシマ)追想』(琉球新報社)を贈呈してくれたのだが、その本には沖縄版宝塚で男役を演じ続けた彼女の母、上間初枝の、友人との交流ぶりが丁寧に描かれていて感動した。

梅宮辰夫もまた人間関係に気を配る男だった。遺著『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』(双葉社)には、現存する人たちに気を使ってか、いろいろカットされている部分があるけれども、『週刊大衆』(双葉社)に連載された時に読んで、保存しておいたところがある。

「時の娘」を撮るに当たり、私は「辰ちゃん、一緒にカンヌへ行こう」と突然、電話をかけたらしい。梅宮いわく《聞けば、出演者は俺と加賀まりこ以外はほとんど無名の役者ばかり。でも、俺はこの話に乗った。内藤監督とは東映で同じ釜の飯を食った同志のような関係だから、断るはずがない。ただ、申し訳ないけど、どんなストーリーの映画だったかは全然覚えてないんだよな》と。それでも2005年、荒戸源次郎が上野の国立博物館敷地内に作っていた映画館「一角座」が幕を閉じるに当たり、拙作の上映会があって、「時の娘」も上映されたときには車をとばして見に来てくれた。居合わせた東映の瀬戸プロや脚本家の館野彰を銀座のレストランに招待までしてくれたのだが、そこでも相変わらず「さっぱり分からん映画だ」と言うので、私も「お客さんは喜んで見ていたぞ。辰ちゃんの基準は『番長』シリーズがベストだからなあ」とぼやいたのも懐かしい思い出だ。
カンヌ云々はあながちデタラメではなく、「時の娘」のために試写室を用意してくれた川喜多和子さんが「物語と関係のないラストシーンさえ直してくれれば、カンヌへ持っていけるのに」と言ってくれたのだけれど、私なりに思い入れがあって、この映画のために六本木のクレージーホースなどで踊り、映画のための資金援助をしていてくれた天象儀館の女優さんたちのダンスで、終わるのがいいと決めていたのだ。真喜志さんも同意見で近々、自分のトーク付きで沖縄での上映会をするのだという。

また会おうと言って別れた

2008年9月にTBSで徳光和夫の司会による『徳光和夫の感動再会“逢いたい!”芸能人スペシャル』(放送は10月)出演のため、久しぶりに東映東京撮影所に行った。撮影後、映画にくわしい徳光さんが「夜のならず者」(72年)のヒロイン光川環世は現在どうしているのか、などという質問をした。しかし、梅宮も私も答えることができず、一度、昔の仲間に会いたいなあと言いながら、この時はそれきりになった。
2010年の夏、色川武大原作、斎藤工主演の「明日泣く」では、島田陽子とともに特別出演ということで、地下カジノの地回りという役をノーギャラで演じてくれた。いま、東映ビデオのメーキングを見たのだが、梅宮と私が談笑しながら撮影現場に行く姿が一瞬、写っていてなんとも言えない気分になった。

いろいろ世話になったお礼にと、私が釣り好きの彼のために、いしいしんじの作品からヒントを得て、幻の魚シーラカンスを釣り上げる『老人と海』の映画化を申し出た。「進歩したCGを使えば何だってできる」と言ったところ、釣りにCGはいけないとたしなめられ、『不良役者』にも書かれてしまった。
2017年、徳間書店から『不良番長 浪漫アルバム』(杉作J太郎、植地毅編著、徳間書店)という本が出たのを機に、今度こそ、番長50年同窓会をやろうということになり、その打ち合わせのために梅宮が幹事役の谷隼人と鈴木やすしたちを駒沢の「寿司たつ」に招待してくれた。その席で私が、撮影所のある大泉で適当な店を探そうかと言うと、梅宮の意見で、東京プリンスホテルで盛大にやろうということになった。
翌18年1月22日、早い時間に寝てしまう習慣の梅宮のために、昼間から酒を飲み、雪が降るなか、小林千枝やフラワー・メグ、カルーセル麻紀、中田博久、当時は助監督だった梶間俊一監督まで来てくれて、にぎやかな会となった。梅宮辰夫も楽しそうで、記念写真を撮り、また会おうと言って別れた。

 

 

 

東映チャンネル
追悼特別企画 俳優・梅宮辰夫

3月 Vol.1
「不良番長」(68年)
監督:野田幸男 脚本:松本功、山本英明
出演:梅宮辰夫、谷隼人、丹波哲郎、大原麗子
放送 3月11日(水) 21:00-23:00ほか

「仁義なき戦い 4Kリマスター版[R15+]」(73年)
監督:深作欣二 脚本:笠原和夫
出演:菅原文太、梅宮辰夫、松方弘樹、金子信雄
放送 3月10日(火) 20:00-22:00ほか

「わが恐喝の人生」(63年)
監督:佐伯清 脚本:瀬川昌治、大川久男
出演:梅宮辰夫、千葉真一、水上竜子、北原しげみ
放送 3月9日(月) 20:00-21:30ほか

「暴力金脈」(75年)
監督:中島貞夫 脚本:野上龍雄、笠原和夫
出演:松方弘樹、梅宮辰夫、丹波哲郎、若山富三郎
放送 3月1日(日) 19:00-21:00ほか

『レジェンドトークVol.6 梅宮辰夫』
出演:梅宮辰夫、谷隼人
放送 3月11日(水) 20:00-21:00ほか

4月 Vol.2
「花札渡世」「血染の代紋」「昭和残俠伝」
「極道VS不良番長」

5月 Vol.3
「やくざ対Gメン 囮」「渡世人」
「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」「俠客の掟」

 

梅宮辰夫
うめみや・たつお/俳優
1938年生まれ、満州浜江省ハルビン市出身。水戸を経て、東京に転居。56年、日本大学法学部に入学。在学中、日東紡のモデルを務め、58年、東映第五期ニューフェイスに合格し東映と養成契約。59年、2月「母と娘の瞳」(小林恒夫監督)に助演。同年、専属契約し「少年探偵団 敵は原子力潜航艇」「遊星王子」二部作(ともに若林栄二郎監督)に主演。60年、第二東映が発足。「殺られてたまるか」(若林栄二郎監督)で急死した波多伸二の代役として主演。以後主演スターとなる。「乾杯!ごきげん野郎」(61年、瀬川昌治監督)などに出演するが、61年、ニュー(第二)東映、撤収。以後、「人生劇場 飛車角」(63年、沢島忠監督)をはじめとする任俠映画、「夜の盛り場(二字)」シリーズ(66〜67年)などの風俗映画に出演。67年、耽美的な任俠映画「花札渡世」(成澤昌茂監督)に主演、代表作となる。68年、「不良番長」(野田幸男監督)がヒットし、シリーズ化。72年「骨までしゃぶれ」まで16本作られる。73年「仁義なき戦い」以後、実録やくざ路線にも出演。75年、日本テレビの倉本聰脚本のドラマ『前略おふくろ様』に出演。85年、フジテレビの『くいしん坊!万才!』日本テレビのバラエティ番組『鶴ちゃんのトッピング』に出演。オリジナルビデオ、テレビドラマ、テレビ番組に多数出演。最後の映画は東映東京撮影所時代からの盟友・内藤誠監督の「明日泣く」(11年)。著書に『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』(19年、双葉社)。19年12月12日死去。81歳。

内藤誠
ないとう・まこと/昭和11(1936)年生まれ、愛知県出身。映画監督・脚本家・著述家・翻訳家。59年、東映入社。69年、「不良番長 送り狼」で監督デビュー。監督作に「番格ロック」(74年)「俗物図鑑」(82年)「スタア」(86年)など。著書に『偏屈系映画図鑑』(キネマ旬報社)『監督ばか』(彩流社)ほか。

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