解説
「雨のしのび逢い(1960)」のコンビ、マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロのシナリオをアンリ・コルピが演出したロマンチック・ドラマ。撮影は「OSSと呼ばれる男」のマルセル・ウェイス、音楽はジョルジュ・ドルリューが担当した。出演は「顔のない眼」のアリダ・ヴァリ、「めんどりの肉」のジョルジュ・ウィルソン、ほかにジャック・アルダン、ディアナ・レプヴリエ、カトリーヌ・フォントネーなど。なお、六一年度ルイ・デリュック賞、同年カンヌ映画祭グランプリを受賞している。黒白・ディアリスコープ。
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
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89bubble93
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ミャーノフ大佐
1990年代だと思うが1度観ている。
大学時代、友人が監督はアラン・ロブ=グリエだと言うのをずっと信じていた。
山田洋次監督「虹をつかむ男」で西田敏行がこの映画を推していながら、上映中に寝ていて、田中裕子が「感動したわ。」といっていた。
主人公アリダ・ヴァリはキャロル・リード監督「第三の男」でクール・ビューティだったけど、ずいぶんと変わった。
改めて観ると、長回しが多い映画だった。1960年の映画なので、すでにヌーベルバーグの時代に入っていたが、この映画はいわゆるヌーベルバーグとはちょっと違うかな。
最初に観た時は、結局、探していた人とは違った、と思っていたが、見直すと...
マルグリット・デュラスが本を書いているから、そう簡単な解釈ではないだろう。
戦争というものがいかに文化に影響を与えるかを考えさせられる。フランスは、第二次世界大戦後も、映画の中でもいっているように、アルジェリア戦争、インドシナ戦争とずっと戦争していた。
この映画は1960年の映画で、第二次世界大戦後15年経っているのに、パリの中でもあのような風景だったんだ。
この映画に点数をつけろ、だって?あんまり意味がない。90点以上でもいいんだけど。
日本に持ってきたATGに感謝。
「かくも長き不在」のストーリー
テレーズ(アリダ・ヴァリ)は、セーヌの河岸に近い、“古い教会のカフェ”の女主人。貧しい人々の憩の場である。しっかりものと評判高かったが、女盛りを独り身で過したのだ。運転手のピエール(ジャック・アルダン)の親切にほだされるのも無理からぬことだった。彼女が、朝と夕方、店の前を通る浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)の姿に目をとめたのは、そんなある日だった。十六年前、ゲシュタポに捕えられたまま、消息を絶った夫アルベールに似ているのだ。彼女は不安の混った期待でその男の通るのを待つようになった。ある暮れ方、手伝の娘に男を導き入れさせ、物陰で男の言葉に耳を傾けた。男は記憶を喪失したのだという。彼女は男の後をどこまでも尾けて行った。セーヌの河岸のささやかな小屋。その夜、そこから離れなかった。翌朝、男と初めて言葉を交した。彼女はもしや……という気持が、もう動かせない確信に変っていった。何日か後、アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、記憶を呼び戻すような環境を作ってその結果に期待したが、彼の表情に変化は認められなかった。叔母は否定的だったが、彼女は信じて疑わなくなった。ある夜、男を招いて二人だけの晩さんをした。ダンスをした。それは彼女を幸福な記憶に誘う。彼女の眼にはいつしか涙が光っていた。夫の記憶を取り戻す術はないのか。背を向けて立ち去ろうとする男に、思わず叫んだ。「アルベール!」聞えぬげに歩み去る男に、それまでの一部始終を伺っていた近所の人たちも、口々に呼びかけた。瞬間、男は立ち止った。記憶が甦ったのか?次の瞬間、彼は脱兎の如く逃げ出した。その行く手にトラックが立ちふさがった。あっという間の出来事であった。目撃者のひとり、ピエールのなぐさめの言葉に、テレーズは一人言のように呟いた。「寒くなったら戻ってくるかもしれない。冬を待つんだわ」
「かくも長き不在」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「かくも長き不在」のスペック
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