「路傍の石(1964)」のストーリー
吾一は、卒業式の日、晴れの総代となって、優秀な成績で卒業した。中学へ行きたい、そして大学へもゆくのだ、吾一少年の学問に対する夢は大きくふくらんだ。しかし、酒のみで、働くことのない父をもった吾一の家庭では母のおれんの裁縫だけが唯一の収入であった。細々とためた中学進学の費用も、東京で一旗あげるという父のためにもちだされ、吾一は中学進学をあきらめた。呉服問屋伊勢屋から裁縫の内職をもらっていた母につれられて、吾一は、伊勢屋に奉公にいった。“商人向きの名前に”と五助と呼ばれるようになった吾一の前を、伊勢屋のできの悪かった秋太郎が、ピカピカの金ボタンを光せて、またおきぬは女学生姿で、学校に出かけた。見送る吾一の目にいつも光るものがあった。だが、小学校時代の受持ちだった次野先生の“自分の道は自分で切り開け”の言葉を励ましに、毎日を過した。中学へ行っても、勉強嫌いの秋太郎は、宿題を吾一に押しつけることが、しばしばあった。だが吾一は、英語だけはどうしようもなかった。向学心に燃える吾一は、おきぬから英語を習うと、仕事のすきをみて単語を憶えた。が、先輩の吉どん、幸どんはそんな吾一を快よく思わず秋太郎の部屋への出入りは止められた。やぶ入りの日、次野先生の家に遊びにいった吾一は同じような境遇の京造と、作次の語らいに、勇気づけられて、貿易商になることを誓った。作次が、胸を患って死んだ日、お葬式にゆくことを許してくれない、大番頭の忠助に、いままでの吾一の不満は爆発した。吾一は京造と作次の葬式にゆくと、東京へ行くことを決意したと語った。おれんも、吾一の決意をとめようとはしなかった。吾一は、希望をもって、東京へと旅立っていった。見送るおれんと京造の目も輝いていた。