解説
山本周五郎原作“赤ひげ診療譚”より「天国と地獄」でコンビの井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明が共同で脚色、黒澤明が監督した文芸もの。撮影もコンビの中井朝一と斎藤孝雄。
「赤ひげ」のストーリー
医員見習として小石川養生所へ住み込んだ保本登は、出世を夢みて長崎に遊学したその志が、古びて貧乏の匂いがたちこめるこの養生所でついえていくのを、不満やるかたない思いで過していた。赤っぽいひげが荒々しく生えた所長新出去定が精悍で厳しい面持で、「お前は今日からここに詰める」といった一言で、登の運命が決まった。人の心を見抜くような赤ひげの目に反撥する登はこの養生所の禁をすべて破って、養生所を出されることを頼みとしていた。薬草園の中にある座敷牢にいる美しい狂女は、赤ひげのみたてで先天性狂的躰質ということであった。登は、赤ひげのみたてが誤診であることを指摘したが、禁を侵して足しげく通った結果登は、赤ひげのみたてが正しかったことを知った。毎日、貧乏人と接し、黙々と医術をほどこす赤ひげは、和蘭陀医学を学ばなければ解る筈のない大機里爾という言葉を使って、登に目をみはらせた。赤ひげは「病気の原因は社会の貧困と無知から来るものでこれに治療法はない」といつも口にしていた。こんな中で登は、貧しく死んでゆく人々の平凡な顔の中に、人生の不幸を耐えた美しさを見るようになった。登が赤ひげに共鳴して初めてお仕着せを着た日、赤ひげは登を連れて岡場所に来た。そして幼い身体で客商売を強いられるおとよを助けた。人を信じることを知らない薄幸なおとよが登の最初の患者であった。長崎帰りをひけらかし、遊学中に裏切ったちぐさを責めた自分に嫌悪を感じた登は、おとよの看病に必死となった。やがておとよは、登に対しても他人に対してもあふれる愛情を示し始めた。そしてふとした盗みでおとよに救け出された長次とおとよの間に、幼い恋が芽生えた頃、登はちぐさの妹まさえと結婚の約束を取り交した。そして、名誉にも金にも縁遠くなっても、一生この養生所で医術にいそしむことを誓った。
「赤ひげ」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
---|
キャスト | 役名 |
---|

「赤ひげ」のスペック
関連するキネマ旬報の記事
関連記事一覧 | |
---|---|
2019年1月上旬特別号 |
UPCOMING 新作紹介 「ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」 野上照代に訊く黒澤映画「赤ひげ」後篇 インタビュー 野上照代 |
2018年12月下旬号 |
巻頭特集 キネマ旬報創刊100年特別企画 第2弾 1980年代外国映画ベスト・テン ベスト20グラビア開設 野上照代に訊く黒澤映画「赤ひげ」前篇 インタビュー 野上照代 |
1983年11月上旬号 |
外国映画批評 時の支配者 特別企画 [黒澤明の全貌]によせて 第1回 私の黒澤映画 「赤ひげ」 |
1965年4月下旬号 |
日本映画紹介 鼠小僧次郎吉 巻頭グラビア 「赤ひげ」完成 日本映画紹介 赤ひげ 原作寸描 「赤ひげ」 |
1965年5月上旬号 |
日本映画批評 鼠小僧次郎吉 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 激烈から温和へ・黒沢芸術の転換 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 圧倒する黒沢「映画表現」の重量 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 黒沢明における巨匠の条件 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 不退転・黒沢明の気魄に快哉 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 「赤ひげ」の構成と黒沢の精神構造 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 黒沢-青年アレルギー症の決算 「赤ひげ」-黒沢明論特集 -「赤ひげ」を中心に黒沢芸術の本質をつく 「赤ひげ」撮影日誌抄 |
1965年6月下旬号 | 日本映画批評 赤ひげ |