私の20世紀の映画専門家レビュー一覧
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ライター
石村加奈
1900年の大晦日、生き別れた双子の姉妹が、オリエント急行に乗り合わせた運命的瞬間を、食堂車の飾り窓越しに映る華やかなドーラの顔から、暗がりのホームに立つ、不安そうなリリの姿へ。ティボル・マーテーの立体的な映像をマーリア・リゴーが美しい物語につなぐ。謎の男Zをめぐるリリとドーラの展開も痛快だ。見世物小屋の鏡の迷宮に誘い込んだZに、二人が別人だと知らしめて、ヴァイニンガーの二分法を巧みに遠ざける。夢落ちだとしても、30年前の作品とはかなりの野心作。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
90年の初公開時は感動に咽せったわけではない。リヴェットやカサヴェテス、ガレルやドワイヨンの日本公開が本格化しつつあった当時、ヒリヒリとした生のリアリティが上位にあり、本作の醸すメカニックなファンタズムを若干アナクロに感じたフシがある。しかし現在、本作をきちんと再評価すべき時が来たように思う。なぜなら、当時こそ作者固有のファンタズムに収束していた20世紀が、もはや誰にとっても手の届かぬ距離へと遠ざかり、異質かつ不吉な回路に変質したからだ。
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脚本家
北里宇一郎
「心と体と」の鹿の夢が、ここでは映画全体の夢となって。双子姉妹のマッチの炎。それがエジソンの電球の光となって、ヘルメットにライトを点した男たちのパレードとなる。20世紀のはじまり。その混沌の西欧世界をヴァンプとなった、アナーキストとなった姉妹が駆け抜け、一人の男を翻弄する。20世紀とは、機械文明とは、男とは、そして女とは。時に無声映画の懐かしさを見せて、次から次へと奔放なイメージを連ねたこの作品。面白い。けど、その若さが、ちと独りよがりに走りすぎて。
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